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私はかなり落ち込んでいた。
あの子の言葉に動揺してしまった自分に対して、だ。
あんなどうしようもない理由で無視されたことを知った私は、あまりの莫迦莫迦しさにすごく腹が立った。
自分が何かしてしまったのかと心を痛めて悩んで、理不尽ないじめに耐えて、楽しいはずの高校生活を台無しにされて。私は平気だと、なんてことないと自分の心に何重にも殻をかぶせて。
私の貴重な輝かしい十代の時間を返せ。青春を返せ。
いや、言い過ぎました、ごめんなさい。輝かしい青春はかなり怪しいけれど、とにかく私の平穏は奪われて、心は深く傷ついたのだ。思い出す度にあの時の苦しさが蘇る。私の怒りは大きかった。怒って怒って。
そうして私は疲れてしまった。
怒りを持続させるにはとてもエネルギーが要る。だけど私にはその持久力が不足していたみたいだ。
あの時間はもう戻ってはこない。それにあんなくだらない人達に割ける時間はないと結論付けて、私は忘れることにした。
もちろん、言いたいことはあるから再会したら何か一言くらいは言ってやろうと思っていた。それなのに、今日彼女に会っても私は何も言えなかった。体が固まって動けなくなったのだ。なんてことだろう。
しかもあの子は何て言った?
時効だとか、すっきりしたいとか。わだかまりを無くそうみたいな。そんなのは加害者が言うべき言葉ではない。そう言えば謝罪もなかったよね。つまり、謝る気も自分が悪いとも思っていない訳だ。
自分の駄目さと相手のどうしようもなさに、私はなんというか言葉にならないイライラやモヤモヤが胸に渦巻いて感情を消化できず、家に帰って一人で叫んだり、辺りを転げたりとかなりおかしい行動を取った。
で、少し落ち着いたところでアルクがお茶を淹れてくれた。
「美味しい」
床に転がっていた私はアルクに抱き起こされ、何故かそのまま背中を預けた形でお茶を飲んでいる。アルクの片手は私のお腹、もう片方は私の頭をなでていて、ぬいぐるみにでもなった気分だ。甘やかしてくれているんだろうなーと思い、しばらくそのままでいた。
「私ね、すごく悲しかったの」
アルクは黙って聞いてくれる。
「無視されて意地悪されて、悔しくて苦しくて悲しかった。誰も助けてくれなくて、助けてって言うことも出来なくて……どうしたらいいのかも分からなかった」
「うん」
高校生の時の自分には、学校っていう場所はそれなりに大きな社会で、その中で孤立してしまったという事に不安や恐怖を感じた。だけど自分はこんなの平気だって、誰かに相談するなんてことも妙に強がってしなかった。というか出来なかった。
親に心配をかけたくないとか、自分がそういう立場に居ることが恥ずかしいとか、まあ色々ね。
今考えてみれば何かやりようがあったとは思うけど、あの時の私はまだ子供で臆病で、どうしていいか分からずにただ怯えていた。そして何もしなかった。まあ、今だって臆病なところは変わってないんだけど。
「今も自分がどうしたいのか良く分からない」
「うん」
アルクは頷くだけだ。別に一緒になって相手を非難して欲しいとか、可哀そうだねって慰めて欲しいとかは思わなかった。
私はただ、誰かに気持ちを聞いて欲しかった。
寄り添って一緒に居て欲しかった。
ぽつりぽつりと話す私の言葉をアルクは静かに聞いてくれた。
心が落ち着いていく。
「アルクが居てくれて、良かった」
「そうか」
しばらくして、私は我がままを言ってみた。
「アルク、ケーキ食べたい。チョコレートケーキ作って」
ケーキを作ってなんて言ったのは初めてだった。だからなのか少し驚いていたけれど、アルクは笑いながら頷いてくれた。
アルクが離れるのは少し寂しかったけど、彼のケーキ作りを見るのは好きだ。綺麗な手が流れるように作業していく様子はずっと見ていられる。
私は台所の片隅に椅子を持ってきて座り、飽きもせずにじっとそれを眺めていた。
アルクの作ったケーキは美味しかった。涙が出るくらい凄く凄く美味しかった。
「アルク、ありがとう」
「うん」
ケーキは少しだけしょっぱい味がした。




