202
リカが刺された。
あの時、舞台上で杖を受け取ったリカを神殿の女が支えるような仕草をした。それを見てリカの体調を心配したが、次の瞬間、あろうことかその女がリカを振り払ったのだ。
リカは吹き飛ばされ、舞台から落ちて地面に叩きつけられた。
「リカっ!」
何事かと思うよりも早く、私は駆け出していた。
しかし、すぐに女がリカから奪った杖を振りかざしてきた。
辺り一帯に激しい爆音が響き、舞台が破壊されて目の前に巨大な亀裂が走った。その威力はすさまじく、周辺の森の木々が遥か先までなぎ倒されて大地が抉れた。
私は後退して攻撃をかわしたが、そのせいでリカとの距離が離れてしまった。
女に目を向ければ、杖を片手に禍々しい笑みを浮かべて悠然と立っている。一体あれは何者だ。
女の振るった力の残滓からはリカの気配を感じた。恐らくあの女がリカから力を奪ったのだと察したが、なんと忌々しい。
儀式の為に集まっていた者達は突然の事態に驚き、先程の攻撃に巻き込まれて怪我をした者もいるようで悲鳴や叫び声、逃げ惑う人々で辺りは騒然としていた。
足止めはくらったが二撃目は来ない。まだリカの力が残っているかもしれないと、次の攻撃を警戒しながらも私はリカの元へ急いだ。
一刻も早く、ただそれだけを思う。
ここしばらく、あの指輪のせいでリカの気配が薄くなっていて今も状態がよく分からない。焦る気持ちのまま駆け寄れば、そこにはうずくまって横たわるリカの姿があった。
リカの胸には短剣が刺さり、服は血に染まっている。
「なっ……」
あの女の仕業かと更に頭に血が上った。すぐにでもこの手で痛めつけたい気持ちは大きかったが、報復は後からでも出来ると一旦留まった。今は何よりもリカの回復が先だ。
リカは「いつ何があるか分からないし、自分がいつも一緒にいるとは限らない」そう言って、ポーションと蘇生薬を私達に携帯させていた。そして何かあった時は躊躇なく使えと言っていたが、まさか一番に使う相手がリカになろうとは思わなかった。
しかし、私がリカの体に触れた時には既に気配はあり得ない程の希薄さで、ポーションで回復を促しても気配は更に弱まっていった。
私は焦りと恐怖を覚えた。
「駄目だ、リカっ!」
私の叫びは届かず、リカの気配はそのまま消えていく。
私はすぐに蘇生薬をリカに含ませた。
しかし……リカからは何の反応もない。
目を閉じて、眠っているかのようなリカ。
そして私の目の前で、腕の中のリカの体はすうっと静かに
消えていった――
短剣が地面に落ち、指輪が転がっていく。
私の手に残されたのは、リカの服のみで。
「リ、カ……」
私はその場から動くことが出来なかった。
「なっ!……リカ様が? そんな……」
「何故です、リカ様は、リカ様はっ……」
私に一歩遅れてやってきたマリーエとエミールの驚き戸惑う声が聞こえた。
リカの服を握りしめる。
リカが消えた
リカの気配がどこにもない
リカを守れなかった
私は、私は……
――間に合わなかった……
「フフフ……アーハハハハッ! これで邪魔者はいなくなったわねぇ」
耳障りな声がした。目を向ければ、女がこちらを見下ろして笑っている。
あの女がリカを……
「何故お前がここに居る? しかも……なんということをしてくれたのだ……」
初代と呼ばれる男が女に対峙していた。
周囲には騎士が居たが、女のまわりに壁があるらしく近付けない。
「ああ、愛しいあなた。やっとお会い出来ましたわ」
そう言って女はフードを取ると、にこやかな笑顔で言葉を続けた。
「どうか安心なさって。これでこの世界は守られましたわ」
女はさも褒めてくれと言わんばかりだった。
「守られた? 何を言っている、彼女はこの世界を、崩壊を待つしかないこの世界を救おうとしたのだぞ」
「あなたこそ何をおっしゃっているのです? アレは私達の世界を破壊する者。あなたを唆し、私とあなたを引き裂こうとする身の程知らずなど、消されて当然ではありませんか。ああ、でも優しいあなたは何もしなくて良いのです。邪魔者はすべて私が排除致しますわ」
女は罪の意識など何もない顔でほほ笑んだ。
「莫迦な……彼女は最後の希望だった。この世界を救える唯一をお前は……」
何の茶番だろうか。
冷めた目でそのやり取りを見ていたが、私は女に向かって攻撃した。
バチッ
しかし障壁に阻まれる。
「なあに? 私を攻撃するなんて。ああ、さっきのアレの仲間ね」
つまらなそうに私を見て呟く女を無視して、私は攻撃を続けた。
バチッ、バチッ、バチッ
「やめなさい、無駄よ」
バチッ、バチッ、バチィッ
障壁が歪んだ。
「ちょっと、やめなさいと言っているでしょう?」
イラついた声をあげて女が杖を振るったが、攻撃は先ほどとは比べものにならない程に弱いものだった。避ける必要もない。私の一振りで相殺され、あっけなく散った。
「なっ……!」
驚き、なにやら悔しそうに顔を歪めた女は、今度は周囲の騎士に叫んだ。
「あれを捕えなさい、殺してもいいわ」
騎士は捕える対象からの指示に戸惑うだけで従わなかった。
「何をしているのっ! 私は使徒よ、私の指示に従いなさいっ!」
女は苛立ち叫んだが、騎士はやはり動かない。使徒という言葉に動揺はしたようだが、あの男が騎士達を留めていた。
「いい加減にしろ、この状況を作り出したお前に誰も従うはずがないだろう」
「ベルスベディア様、何故です? 私達はこの世界の創造主です、神なのです。この世界の者達が私に従うのは当然のこと。そして私はこの世界に不要な物を排除したまで。それなのに、何故そのようなことをおっしゃるのです? やはりあの者になにか良からぬことを吹き込まれたのですか? 外界の者は狡猾で卑劣です。すぐに私とあなたを引き離そうとする。騙されてはいけません、あなたには私が必要なのです。私さえいれば良いのです。この世界は私達二人の為のもの。二人で幸せになろうとお約束したではありませんか」
「誰も約束などしていないし、お前と生きていくなどご免だ。もういい、やはりお前は狂っている。この世界に不要なのはお前だ、ノーマイーラ」
予想はしていたが、やはりあれがリカの話していた元凶の女だった。別にこの女の正体はどうでもいいが、あの男にあの女の処分を譲る気はない。
私は女に向かって攻撃を再開した。
女の攻撃はともかく、障壁はそれなりに強度はあるようだったが、私には破れるという確信があった。そして私の攻撃は思った通りに女の障壁を破壊した。
「なっ、そんな、どうして……」
私は狼狽える女に構わず攻撃を続けた。
「キャァー、痛い、痛い!」
この世界において、私の力にはかなりの制約があった。精霊体ではほぼ力は使えず、こちらの世界で構成した体でかろうじて力を使うことが出来た。そして時間が経つにつれて体は馴染み、使える力も増していった。しかし、ダンジョンのアイテムを使うことで多少自由に操れるようになったが、それでも本来の力には及ばなかった。
だというのに……何故だろうか。今振るっているこの力の感覚、これは以前の私の力に近いものだった。
私は風の刃で女の体を次々に切りつけた。
顔、腕、腹、足
徐々に強く、深く
ザクッ、グサッ、ズシャッ
「いやぁ、痛い、痛い、痛いィーっ!!」
膝を付き叫び続ける血まみれの女の姿に、一度攻撃の手を止めた。あまりにも手応えがなさ過ぎる。
すると女の傷が再生を始めているのが分かった。
「傷が、ふさがっていく……?」
背後で驚くマリーエの声がした。
「なるほど、これが不死の体か」
ならば好都合だと思う。
「……はぁ、はぁ。お前、私に対してこのようなこと、許されると思って」
ザンッ
立ち上がった女の腕を切った。
「……え?」
ザンッ
もう一本。
「……あ、あ……」
力の出力を上げる。女は障壁を張ったようだが問題なく貫通できた。
私は手のひらを上に向けて氷の塊を作った。先端の尖った鋭利な氷だ。
「な、何をするつもり……?」
怯える様子を何の感情もなく眺めながら、私は女に狙いを定めた。
女は私から距離を取ろうとしたが、指先を倒して氷を飛ばす。
ザシュッ
「ギャアァー」
氷の刃は女の腹を貫いた。
倒れ込んだ女の腹からは血があふれ、吐血しながら苦しんでいる。しかし、しばらくすればそれも治まり、女の傷はふさがって腕も再生していった。
「……はぁ、はぁっ……こんな、こんなこと。許さないわ……許さない、許さないっ!」
女が叫んだ途端、周囲で爆発が起こった。しかし私には届かない。
この女が最初に放ったのは、リカから奪った力だった。あれから一度もあのような攻撃を仕掛けてこないのは、そもそもそのような力がこの女にないからなのだろう。
必要な時に必要な力を供給して使う。そういうやり方をしていたとリカからは聞いていた。この女もあの男も、この地の人々よりは力を持っているのだろうが、必要以上の力は持っていない。すべては外部からの力頼りであり、このように力を振るうこと自体が想定外なのだろう。
そしてあの体も。安全対策として不老不死の仕様になっているそうだが、まさかそれが自身を苦しめるものになろうとは皮肉なものだ。
「嘘よ、こんなの嘘。この世界では私は神なのよ、なんで私がこんな目に合うのよ! せっかく目障りな女を排除したのに……なのになんで、なんでお前のような者がここにいるのよ、おかしい、おかしいわっ!!」
よく吠えるものだと思う。自分の力も立場も状況も理解せず、自分の思い通りにならないと泣き叫ぶ様は滑稽ですらある。
だがそれでいい。
私は女へ次の攻撃を始める。
そう、報復はまだ始まったばかりだ――




