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暖かくてふわふわする。
とても気持ちがいい。
だけど、何処かで
誰かが呼んでいるような……
ゆっくりと意識が浮上していく感覚。
ああ、まだ、このままでいたいのに……
「――もう、少し……」
「そうか」
返ってきた声は穏やかで。
頭をなでてくれる手も、すごく優しい……
「……ん……」
だけど、一度浮上した意識はそのまま徐々に覚醒に向かい
やがて私はゆっくりと目を開けた――
「目覚めたか」
ぼんやりとした視界の中、そこには見知らぬ男の人の顔があった。
私を覗き込むその顔は……そうだ、木にもたれて眠っていた人。
ああ、瞳が、とろけそうな蜂蜜色……すごく綺麗……
だけど、あれ、これってどういう……
まだ半分ほわほわしていた頭が段々と動き始め、少しずつ自分の状況を理解し始めた。
そこはまだ草原の木の下で、どうやら私はあのまま眠ってしまったらしい。私は横になっていて、しかも何故か男の人を枕にしている……って、え、なんで……?
「す、すみません……」
私は体を起こそうとしたけど、少しだるくて動きは思った以上にゆっくりしたものになった。
「別にかまわん。起きたならお茶にしよう」
そう言うと男の人は立ち上がり、手を一振りした。すると一瞬の輝きの後に、目の前にはテーブルと椅子、そしてティーセットが現れた。
「……わぉ」
こういうのを目の前で見るとちょっと感動する。いやちょっとどころじゃないな、うん、ファンタジー。
「さあ、座れ」
私は言われるままに席に着いた。男の人は自らお茶を淹れてくれて、私の前にカップを置いてくれる。何だか色々と理解が追い付かないけど、喉が渇いていたのでとてもありがたかった。
私はカップを手に取った。
ああ、香りが良い。思わずほぉっと声が漏れる。
少し顔を上げると、男の人も自分のカップを手にして同じように香りを楽しんでいた。
なんだろうね、疑問はあるけど目の前の人物への警戒心は不思議なほどなくて……とにかく、私はかなりリラックスしてお茶を頂いた。ああ美味しい。
そうやって何故か始まったお茶会だったんだけど……
「で、何故泣いていた?」
「っぶふ……!」
いきなり聞かれて思わずむせてしまった。ああ、お茶がもったいない。
突然何をと思ったけれど、確かに私はここまで泣きながら歩いてきたし、泣きながら寝ていたかもしれない。さっき起きた時は目の周りがカピカピしていたし、まぶたは少し腫れている気もする。鏡がないので確認は出来ないけど、かなりひどい顔をしているんだろうと想像できた。これでは理由を聞かれるのも当たり前かもしれない。
冷静になって、そして特に隠す理由もないなと思った私は、ぽつりぽつりと話し始めた。
アルクとの出会い、異世界での生活、おじいちゃんのことや勘違い。そして気付いた自分の気持ち……。だけどアルクとの関係を壊したくなくて何も出来なかったこと。拒絶されたりアルクが離れていくのが恐くて自分から距離を置こうって考えたのに、いざアルクが選んだのが私ではないと知ったらショックで逃げ出したこと。
なんだか余計なことや話す必要ないんじゃないかってことまで、気が付くと何故かするするといっぱい話してしまった。
そうして男の人は黙って私の話を最後まで聞いてくれたんだけど……
「はっ、くだらん」
と、ひとこと。
ですよねぇ。私もそう思う。
話していて自分で何やってるんだろうとか面倒くさいなぁと思った。あの時、アルクとヒナちゃんの姿を見てびっくりして、同時に裏切られたって思ったんだけど、別に二人は何も悪くないって冷静になった今なら分かる。
そりゃ確かに嫌だったし傷ついたけど、別に報告義務なんてないよね。二人が何をしようが二人の自由だ。一緒にいた理由は分からないけど、私に内緒だったのは何か事情があったか言いにくかったか、とにかく二人の性格を考えれば私に意地悪しようとかひどいことしようなんて考えるはずがないってことは分かってる。分かってるはずなのに……はぁっ。
本当に誰かを好きなるって自分の感情が制御できなくて恐くなる。なんかこう、自分で自分に振り回されてるっていうか……そんな私の周りはさらにいい迷惑だろう。
だけどこんな風にアルクや自分のことを全部そのまま話したのは初めてだった。花ちゃんに話した時は異世界やアルクのことなんて言えなかったし、隠さず話せるのってすごくラク。こんな話を聞かされてすごく迷惑だろうけど、いっぱい泣いて、寝て、思ってることを全部話したからか随分すっきりした。うん、ため込むのは良くないって改めて思うよね。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
しかもねぇ、くだらないとか突き放す割には優しいんだよ、この人。
私の話を最後まで聞いてくれたのもだけど、心配してくれているのかちゃんとこうして尋ねてくれる。お茶のお替りやお菓子まで出してくれるしね。
私は新しく淹れてもらったお茶を飲んで考えた。
「どう、したいんでしょうねぇ」
だってアルクとヒナちゃんは仲良しなんだし、私にはなにも出来ることはない。だけど……
「二人の姿を見るのは、辛いかなぁ……」
あの時の楽しそうな二人の様子を思い出すと、どうしても胸が痛む。
「――いっそ忘れられたらいいのに」
だから、思わずこぼれてしまった言葉だった。
アルクへの気持ちを忘れたら、自分の気持ちに気付かない頃に戻ったら、また普通に笑えるかなって。ああでも、アルクはヒナちゃんのところに行っちゃうのかな。そうしたら今まで通りはもう無理なんだろうけど……それでも、笑顔でアルクに「良かったね」って言ってあげられるのかな。
「では、それを対価にするか?」
それは突然の言葉で、私は意味がよく分からなくて聞き返した。
「……なんです、対価って?」
「なに、お前にはやってもらうことがあるからな、その報酬にお前の望みを叶えようという話だ。お前の中から相手の記憶を消せばいいのだろう?」
「そんなこと出来るんですか?」
「まあな、記憶なら問題なかろう。ただ一部の感情だけというのは難しいだろうから、そいつに関するすべてを消すことになるだろうがな」
なんだかすごいこと言うなぁって思った。記憶を消すとかそんな簡単なことみたいにさらっと言うなんて。だけど……アルクのことを忘れるって。そうしたら確かに辛くなくなる、よね。
一瞬そう思ったけど、ああでもそれって今までの思い出も全部なくなっちゃうってことなのか。そう気付いて、それは、なんていうか……
「別にすぐに決めなくてもいい。他の願いでもかまわないから考えておけ」
私が悩んでるのを見て男の人はそう言った。本当にそんなことが可能なのかと疑う気持ちは多少あるけど、この人が出来ると言うんなら出来るんだろうなと何故かそう思えてしまう。
だけど、だよ。
そもそもその「やってもらうこと」って何って思う。勝手に決定事項みたいに言われてるし、その対価がそんな記憶を消すとかいう神様めいたことだったら一体何をさせられるのかってすごく怖いんだけど。
しかもなんでそれを私にさせようとするのかだよ。なんでも出来そうなんだから自分でやればって思うし、この人に出来ないなら私には到底無理だと思う。というか、この人誰なんだろうね。
この人が私が居るのを当たり前みたいにして扱うから流されたけど、私はこの人が何者なのかも、更にはここが何処なのかも知らないことに気が付いた。
「あの、あなたは一体誰なんですか?」
本当に今更過ぎる質問。
「うん? なんだ、私を知らないのか」
その人は驚き呆れたような顔をしたけど、すぐにちょっと面白そうに、というか意地悪そうに笑ってこう言った。
「私の名はベルスベディアだ」




