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 扉を開けたら知らない部屋があった。



 綺麗な板張りの床に、木製のカウンター。正面の壁にはいくつもの窓が並び、シェードカーテンからは太陽の日差しが透けている。


 壁は漆喰だろうか。柔らかな光が壁に反射して部屋をほのかに照らし、なんともいえない優しい雰囲気があたりを満たしていた。


 カウンターには椅子が数脚。他にもソファや意匠の違う椅子、テーブルが点在し、高い天井からはペンダントライトが下がっている。


 窓の並びの壁にはアンティーク調の重厚感ある扉が見えた。おそらく外へ通じているのだろう。


 ここがどこだか分からず、けれど不思議と危険を感じなかった私は部屋を進み、ゆっくりとその扉を開けた。



 広がっていたのはのどかな風景。


 辺りは花や緑であふれていている。


 はちみつ色の石造りの家があちこちに並び、雰囲気はまるでヨーロッパの田舎町。


 なんというか、絵本のような世界だ。



 私はその場で立ち尽くす。


 ここは、どこ?――





      ◇





 私は死んでしまったんだろうか?


 あれかな、最近よくある異世界に行ってしまうというやつ。


 確かに働ぎすぎだったようには思う。


 私の働いていた会社は、もとは社員同士の関係も良い働きやすい職場だった。


 社長が代わるまでは……。


 方針が変わり、徐々に人が減り、仕事量が増え、なのに人の補充はなし。いつも貧乏くじを引いてしまう私は見事に逃げ遅れ、気が付いたら取り残されていた。


 サービス残業は当たり前、深夜まで終わらない仕事に休日出勤。この仕事がひと段落ついたら、きっと忙しさも落ち着くはず。自分に言い聞かせながら私は頑張った。


 そんな状態が一ヶ月続き、半年続き、一年続き。


 私の忙しさは変わらなかった。


 もうその頃には自分の状態もまともに把握できなくなっていたのだと思う。


 ある日、いつものように深夜に帰宅して倒れるように眠り。


 翌朝、会社からの電話で目が覚めたけど起き上がれず、鳴り続ける着信音を聞きながら「会社を辞めよう」とぼんやり思った。



 うん、異世界に行くならこの辺りのタイミングじゃないかな?


 翌朝目覚めず、そのままGO! とか。


 もしくは会社帰りに事故に遭う、とか?


 痛いの嫌だけど……。


 あとはこう、足元がぱ~っと光って召喚されちゃったり?


 まあだけどそういうことは一切なく、私は翌朝目を覚ました。完全に寝坊だった。


 とりあえず会社からの電話に折り返し、体調不良で出社できないと伝えた。だって本当に起き上がるのがやっとというか、体が動かなかったんだよ。


 何やらめちゃくちゃ嫌味とか言われたけど、黙って聞いていたらむこうは落ち着いたのか「明日は出社しろ」と言われて電話は切れた。


 なので二度寝に突入して。次に起きたのは夕方。


 今度はちゃんと起き上がることが出来た。


 久々のたっぷりの睡眠に頭もすっきりした。寝過ぎはかえって怠くなるというけど、それもなく。最近ずっと続いていた頭痛も治まって睡眠って大事だなぁって改めて思った。


 お腹が空いたので昨日のお昼にするつもりだったパンを食べた。その後、何故か部屋の掃除を始め、そうしたらまたお腹が空いたので買い物に行った。


 いつぶりだろうという料理をして、ご飯を食べて。久々にお湯を張って湯船にゆっくり浸かり、一年以上前に買って読まずにいた推理小説を少しだけ読んで早々に就寝した。


 あれだけ寝てまだ眠れるかと心配だったけど、ちゃんと眠れた。



 翌日はとりあえず会社に行き、上司と色々と色々と話をして退職することになった。お話用の材料は一応前から用意だけはしてあったので、それを出したらすごく早かった。


 もっとこう話すら聞いてもらえない、辞めさせてもらえない、なんてこともあるかと思っていたけどそんなこともなく。なんだかあっけないくらいだった。


 有給も消化させてもらえるよう交渉して、引継ぎのあとはお休みになった。それなりに嫌味っぽいことも言われたけれど、もう終わったことなのでどうでもいい。


 ああ、なんて解放感だろうっ!


 先々の心配はもちろんあるけど、何とも言えないすっきりした気分だった。


 そしてまず何をしようと考えた私は……結局したいことが思い浮かばず、とりあえず実家へ顔を出すことにした。




 突然帰ったにもかかわらず両親は喜んでくれた。


 仕事の忙しさを言い訳にほとんど帰らず、連絡もしていなかった私をずっと心配してくれていたらしい。ありがたいことだと思う。


 会社を辞めると伝えると、父は「そうか」とだけ言い、母は「ゆっくりしていきなさい」と優しかった。


 夕食はあれもこれもとおかずが出てきて、食卓がいっぱいになった。みんな私の好きなものばかりで涙が出そうになった。



 その夜、みんなでお茶を飲んでいた時に、ふと父が祖父の家のことを話題に出した。


 おじいちゃんが亡くなってからしばらく経つ。おばあちゃんもおじいちゃんが亡くなる少し前に亡くなっていて、二人の住んでいた家はそのままになっていた。


 車がないと不便な山の中で今は誰も住んでいない。近隣には数軒家があり、たまに様子を見てもらえるように頼んでいるらしい。


 父は何度か様子を見に行ったらしいが、やはり人が住んでいないと家が傷むと心配していた。かといって誰かに貸すというのもあまり気が進まないようだ。


 そこで私はなんとなく「疲れた心に自然の緑は沁みるのではないか」なんていう話をしたら、なぜか「じゃあお前が住めばいい」と突然言われてしまった。


「え、本気?」


 私はすごく驚いたけど、父は本気だった。


 で、何故かいつから住むかなど話はトントンと進んでしまい、結局しばらく私が住むことで決定していた。


 なんだか後から思い出しても、どうしてこんなに簡単に決めてしまったのかが自分でも不思議なんだよね。父の勧めがあったというのもあるんだけど、何故かすんなり「それもいいかな」と思えたというか。


 まあ実際気分転換したいと思っていたし、心機一転、人生を変えるには引っ越しをするのは有効だろう。今の私には丁度良い気がする。


 仕事だって探せばあるはず。リモートワークっていう手段もあるし。まあその辺はもう少ししてから考えようと思う。


 ちょっと(だいぶ)流された感が強いけど、こうして私は田舎のスローライフを楽しむことになったのでした。わーい!




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