8,ほんとにそう思う?
話し終わると、菰野さんはスクエアリュックからペットボトルを取り出して、一口飲んだ。
いつの間にか外は雨が降っていて、雨の音が聞こえる。
「この事件以来、美術部にうわさが流れた」
菰野さんが言った。
「美術室には悪魔がいて、私たちを見ている。
そして美しい子がいると、その子を絵の中に閉じ込める」
菰野さんが僕の顔をじっと見る。
「気を付けて」
菰野さんが言った。
「悪魔はきっと、八代君を狙う」
「た、ただのうわさだよね?」
僕が聞いた。
情けないけど、少し声が震えた。
「ここでは変なことがよく起こる。
ひとりでに物音がしたり画材がなくなったり。
知らない人の声を聞いた人も何人もいる」
菰野さんが言った。
だけど僕は反論した。
「悪魔なんているわけないし、絵に人を閉じ込めるなんて……」
そんなのできるわけない。
だけど菰野さんはまじめな顔をして僕の目をのぞきこむ。
「ほんとにそう思う?」
「え?」
「絵を紙から出す人がすぐ身近にいるのに?」
黒江さんの絵。
走り回る子どものパンダ。
のどを鳴らすくつした。
ありえない現象を、僕はすでに目の当たりにしている。
「で、でも、僕きれいじゃないよ」
僕が言うと、菰野さんが首を横に振った。
「八代君はきれい。今この学校にいる誰よりも」
菰野さんが断言した。
「僕、男だよ?」
「美しいものに性別は関係ない」
「でも……」
反論しようとしたけど、なにを言ったらいいか分からない。
僕はつい想像してしまう。
なにか邪悪なものが、この部屋のどこかに潜んでいることを。
並べられた机の影か、壁にかかった肖像画の裏か。
どこかは分からない。
でも見つからないよう隠れながら、僕をじっと見つめている。
背筋が冷える。
手のひらが汗ばむ。
ごくっと生唾を飲み込んでしまう。
突然、ドアが開いた。
「ひぇっ!」
僕は思わず声をあげてしまった。
「どうしたの?」
ドアの前に立っていた黒江さんが、目を丸くして言った。
「なんでもない」
菰野さんが言った。
「そう? ちょっと見て。いいものが手に入ったの」
黒江さんは素早くいすを出して僕たちの前に座り、スクールバッグからイラスト集を取り出した。
有名なイラストレーターの最新の画集だそうだ。
そして黒江さんはこのイラストレーターの魅力を矢継ぎ早に語り出した。
菰野さんもファンだったみたいで、黒江さんに負けず劣らず語り出す。
僕は二人の熱のこもった話に圧倒されてしまって、うわさの話についてそれ以上聞くことができなかった。
二人の話に相づちを打ちながら、背中にはまだ、汗の嫌な感触が残っていた。