4.
『国王陛下、万歳。王妃陛下、万歳』
王城の周りでは、国民たちが新しい王の即位を慶んでいる。普段、見ることの出来ない国王夫妻を一目見ようと集まっている。
「みな、慶んでおりますわね」
「うん、良かったよ」
バルコニーから僕とユジェは手を振る。距離があるから話し声は聞こえない。この機会を逃すと、一生教えてもらえないだろうから、僕はユジェに質問する。
「ねぇ、ユジェ」
「何かしら?」
「王太子のスペシェを押し退けて、僕が国王になったのにユジェは驚いていなかったね」
「そうですわね」
「どうして?」
そう。僕は王太子にならずに国王になった。スペシェが生きているにも関わらず、だ。父上が僕に譲位すると聞いたときは、流石に驚いた。なのに、ユジェは全く驚いていなかった。いつものように笑っていた。
「ジョルド殿下もスペシェ殿下も、魔女に頼み事をしたのでしょう? ならば、マッカルが国王になるのは、なるべくしてなったというだけのことですわ」
「魔女に頼み事をしたら国王になれないの?」
「少し違いますわね。もし、お二人が国王になりたいと頼み事をしたら国王になれたでしょう。その後のことは自分次第なのですよ」
そろそろお披露目が終わる。今日は長い間、立っていなければいけないから夕方以降は執務をしなくていい。
「お披露目が終わりましたら、ゆっくりお話しますわ」
「ずっと不思議に思ってたんだ。父上は何か知ってるみたいなのに、ちっとも教えてくれないし」
豪華な正装から寝間着に着替えると、ソファに並んで座る。秘蔵のワインを開けた。ワイングラスを掲げて同時に飲み干す。
「ジョルド殿下とスペシェ殿下は、魔女に頼み事をしました。ジョルド殿下は、婚約破棄を。スペシェ殿下は、王太子就任を。今の状況は間違い無く願いが叶っておりますわね」
「うん」
「ですが、普通は婚約破棄を勝手に宣言すれば、罰を受けます」
僕がまだ学生だったころに、ガーデンパーティーで婚約者の令嬢に婚約破棄を突きつけた令息がいた。婚約は家同士の契約でもあるから子どもが勝手に動かすことは、できない。
「確か、長男は年上の未亡人のところに婿入りして、次男が家を継いだよね」
「はい。家同士の決め事を守れない者に継がせられないとの判断で、替わりました」
事前に内密に根回しをすれば、そのまま継げただろうけど、断罪するように宣言したから下ろされた。婚約破棄は、致命的な醜態であると言える。
「ジョルド殿下は、公の場で破棄を告げた訳ではありませんが、国を背負う者が簡単に約束を反故にするようでは信用は得られませんわ」
「普通は、言って叶うようなことじゃないしね」
「はい。謹慎したあと、後継者から外されて、結婚し、人知れず病にかかられるのが通例ですね」
下手に外交を任せて国際問題を起こされても困る。血筋を残したあとは用済みだ。
「ジョルド殿下も婚約破棄ではなく、好きな女と結婚したいくらいなら何とかなったかもしれません」
「そうなんだね」
「婚約破棄の対価に、未来を差し出した形になったのでしょう」
叶わないはずの婚約破棄が叶ったのだから、それ相応の対価が必要だ。未来というのも頷ける。兄上が仕出かしたことが記憶から薄れるには、五十年はかかるだろう。もしかすると、もっとかもしれない。僕たちの世代は、必ず子どもに反面教師として話して聞かせると思う。
「スペシェ殿下は、王太子になるという頼み事を魔女にしました」
「うん。だから議会も認めたし、就任式もしたよ」
「願いが叶ったあとは、自分次第ですわ。殿下は、王太子になったことで満足し、勉強を辞められてしまいましたわ」
その通りだ。スペシェは、王太子になったら一切、勉強しなくなった。クルモド公爵令嬢を婚約者にしたことで安泰だと思ったんだろうか。
「スペシェ殿下は、王太子になり、国王にゆくゆくなりたいと頼み事をしていれば、変わったかもしれませんね」
「スペシェは、対価に何を支払ったの? 未来?」
「えぇ、そうですわね。ジョルド殿下とは違う未来ですが」
「違う未来?」
「はい。ジョルド殿下は己れが描いた未来にならないという対価ですが、スペシェ殿下は、己れが願った未来になり続けるという対価。どちらにしても国王になれなかったというだけのこと」
兄上もスペシェも国王になることを小さいころから願っていた。兄上は生まれたときから後継者だったから大きな問題を起こさなければ、自動的に王になれた。スペシェも兄二人が急死すれば疑われるから手出しできなかった。
「国王陛下、お義父様が魔女を知っていたのは、お義父様の兄も魔女に頼み事をしたからですわ」
「父上に兄が居たなんて聞いたことないよ」
「廃嫡と同時に生まれたことすら無かったことにされた方ですもの。教育係も教えることはありませんわ」
王家の家系に載っていない人のことは、王家の者として教わることはない。父上は公式記録では一人息子として扱われる。
「よっぽどのことをしたんだね」
「赤百合の館の悲劇をご存知ですか?」
「うん。国王の妃になるために集められた令嬢たちが殺し合いをしたって聞いたよ」
「はい。その原因となった兄君は責任を取って廃嫡となり、毒杯を賜っておりますわ」
ユジェが言うには、父上の兄は女好きで気に入った令嬢を片っ端から召し上げて、赤百合の館に住まわせた。表向きは妃教育のため、本当は寵妃にするため。
「後継者は、兄君だけでしたから跡継ぎの誕生が早まるのは歓迎されました。それに自分の娘が正妃になれずとも国母になれば、それなりに権力を握れますわ」
「でも、その前に令嬢たちが殺し合いをしてしまった」
「そのきっかけは兄君でした。ただ一言、館に最後まで残った者を妃とすると」
その一言が令嬢たちを狂気に走らせた。だから、原因となったことの責任を取って廃嫡となったのだ。
「赤百合の館で起きたことは、当時を知る者には箝口令が敷かれました。わたくしが知っていたのは、曾祖母の妹が赤百合の館の侍女だったからです。マッカルの婚約者に選ばれたときに話してくれました」
「王家は赤百合の館の悲劇の真実を本当に消し去りたいんだな」
「今さら真実を明らかにしても誰も救われませんわ」
「ねぇ、ユジェ。それならどうして今、話したんだい?」
「曾祖叔母は、この真実を隠し続けることに疲れて、わたくしに話したあと、自死しました。そして、その事を知った王家からお悔やみの手紙をいただきました。キンギョソウとオダマキの挿し絵とともに」
「それは」
長年の勤めに感謝して弔文を出すことはある。だとしても、この二つの花は選ばない。キンギョソウは、おしゃべり、オダマキは、愚か者という花言葉だからだ。
王家はユジェの曾祖叔母が話してしまったことを知っていたのだ。だが、婚約者として発表しているし、問題があるからと排除するのもできない。
「わたくしは自分の身を守るために王妃にならねばなりませんでした。王弟の妃では事故に見せて殺すなどかんたんですから」
「苦しい思いをしてるのに気づかなくてごめんね。これからは、僕が守るよ」
「ありがとうございます。マッカル様」
とりあえず、真実を知っている父上からユジェを守らないといけない。