2.
やりきったと満足気な兄上だが、自分で自分の首を締めたのに気づくべきだ。気づいたところで手遅れだが、この後の処遇は変わったと思う。
「そうか。分かった。婚約の破棄を認めよう」
「ありがとうございます」
「しばらく部屋から出るな。時期は追って連絡しよう」
「部屋から出るなとは、どういうことですか?」
兄上の質問で父上も固まった。母上は関わることを諦めたようだ。優雅にお茶を飲んでいる。弟は兄上の失態が嬉しいのか笑みが隠しきれていない。
「婚約破棄となると、双方ともに注目の的となる。その間の行動は、有責が無くとも批判されることがある。正しく伝えるには多少の根回しが必要だ」
「分かりました」
「許可無く出ることは、まかりならんと心得よ」
護衛たちに連れられて兄上の謹慎は決まった。父上が敢えて伏せた言葉の裏に気づけないのは致命的だ。メイドたちに促されて兄上は先に部屋に戻った。給仕たちが兄上の座っていた場所に溢れた紅茶を拭き取っている。
「一週間後に発表する。ただし、公式には解消とす。良いな」
「はい」
「・・・はい」
弟は不服そうだ。それもそうだろう。解消と破棄では受ける印象が全く違う。周りが納得するほどの失態なら後継者争いから脱落を意味するし、恐らく何かあったときの予備である僕が繰り上がる。そうなると臣籍降下する予定の弟も繰り上がる。
「下がりなさい」
「はい」
「・・・はい」
兄上は喜んでいたが、そう物事は上手くいかない。三日後に僕と弟は、父上に呼び出された。内容は予想できるが、なぜ弟が嬉しそうなのかが理解できない。
「お前たちに話がある。継承権についてだ」
「はい」
「・・・はい」
弟は不満なのだろう。だが、父上の決定したことに否を言えるはずも無い。母上が新しい紅茶を用意させていることが恐怖だ。
「マッカルを王太子にし、スペシェを・・・」
「待ってください」
「何だ? スペシェ」
「今回、年長だからとジョルド兄上が王太子でしたが、次も問題が無いとは限りません。もちろんマッカル兄上に問題があるとは思いません。ですが、問題ないとされていたジョルド兄上が問題を起こしました」
丁寧な言い回しだが、十分に貶してくれているのが分かる。母上は言葉の裏に隠した意図に気づいて紅茶をかけようか迷っているようだ。
「王太子になるに相応しい者を生まれ順だけで選ぶのは如何なものかと存じます」
「スペシェの言うことも一理ある。なら、王太子教育の基礎課程をマッカルよりも早く修めれば、素質ありとして、考慮しよう。それでよいか?」
王太子として認めるという言質を取れなかったことはスペシェにとっては不服だろうが、慣例を崩せたのだから良しとすべきだ。本来であれば、元老院に議題を上げて、賛成多数の決議が必要だ。そこを父上の一存で決めたのだ。いかに異例なことか考えなければいけない。
「マッカルも良いか?」
「異論はありません」
僕は基礎課程を一年かけて学んだ。兄上に何かあったときの予備だから無駄に時間をかけた。切り詰めて勉強すれば半年くらいで終えられる。だが、あくまでも基礎課程だ。そのあとは逃げ出したくなるくらいに多い。
ゆくゆくは王弟となるからと、侯爵家の婚約者がいる。今日は週に一度の交流会だ。普通は決められた日以外も会ったりするものだが、兄上たちが週に一度だったから同じようにしていた。
「それで、ジョルド殿下は謹慎中ですのね」
「うん、謹慎中だという認識は無さそうだけどね」
「少しご理解に乏しい方ですもの。だから、あの方が婚約者として選ばれていたのですし」
「それで困ったことになってるんだ」
そう。兄上の婚約者となるクルモド公爵令嬢は王妃教育を受けている。そのせいで国の暗部とも言える部分も知っている状況だ。そんな令嬢を普通の貴族に嫁がせるわけにはいかない。ましてや他国など以っての外だ。
「僕かスペシェの婚約者にする話が出てるんだ」
「まぁ、それはそれは面白くない話ですわね」
「だろう? 僕はユジェと結婚したいのに、そこを全く無視してるんだ」
ユジェは僕が間違っていたら、きちんと指摘してくれるし、何より一緒にいて楽しい。クルモド公爵令嬢は、目の前にすると緊張してしまうから苦手だ。
「嬉しいですわね。私もマッカルと結婚するのが待ち遠しいです」
「兄上が馬鹿なことをしなければ、卒業と同時に籍を入れられたのに」
さらに面倒なのがスペシェだ。いずれ自分が国王になろうという魂胆が見え見えだ。頭は悪くないから基礎課程を半年で修めることは出来るだろう。
「もうしばらくの辛抱ですわ」
「どうして分かるんだい?」
「女の勘ということにしておきますわ」
ユジェが秘密だと言ったら、それは結果が分かるまで教えてくれない。少し面白くないけど、ユジェが楽しそうだから僕は付き合うことにしている。
ユジェとのお茶会が終わり、幸せな気分で廊下を歩いていると、スペシェに会った。一気に気持ちが冷めてしまった。
「兄上、良いのですか? こんなところで油を売っていて」
「スペシェ」
「先ほど教育係に教本を貰ったのですが、兄上はこの程度の内容に一年もかけてたのですか?」
スペシェの勝ち誇った顔がむかつくが、言い返さないでおく。確かに一年もかけたが、それは兄上より優秀だと思われないための布石だ。うっかり派閥争いに巻き込まれることがあっては、ユジェと逢うことも出来ない。
「その本・・・」
「あぁ、マッカル兄上も知ってたんですね。ジョルド兄上の顔を見に行ったら図書館に返しておいてくれって預けられたんですよ」
ジョルド兄上が婚約破棄を願い出る前に持っていた本だ。魔女への会い方が書かれているのだろう。そして、スペシェは本物だと信じている。
僕も信じている。そうでなければ、兄上の婚約破棄が、ああも簡単に認められるはずがない。婚約者の令嬢は王妃教育を受けているのだから。
「兄上も馬鹿ですよね。僕なら正しく使えますよ」
「スペシェ、魔女に頼み事をしてはいけない」
「何を言ってるんです? そんな負け惜しみは効きませんよ」
一応、忠告はした。スペシェは、もともと人の言うことを聞かないから強くは言わない。渋々でも聞くのは、父上と母上の言うことくらいだけど、それも適当なときがある。
スペシェは僕を見下してたけど、基礎課程は修了している。今は次の段階を学んでいるのに気づいていないのだろうか。たぶん、気づいてないんだろうな。