大好きな幼馴染に大嫌いと言われました
「お前なんて、嫌いだ。嫌いだ。大っ嫌いだ!」
ぐっと涙をこらえながら私を見下ろすのは、私の幼馴染。私が生まれたときから隣の家に住んでいる、一つ上のお兄さん。
こちらを指差す手。もう片方の手は、泥だらけの服を強く握りしめている。
「だから、だから――」
それ以上は、何も言えなかったのか。幼馴染は、同じように泥だらけの私を置いて、走り去ってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
はてと首を傾げてみても、よくわからない。
幼馴染とは生まれてからの仲だ。さすがに赤ちゃんのときのことは覚えていないけど、よく世話をしてくれていたらしい。
膝に乗せて本を読んでくれたこともあるらしい。
幼馴染は一歳の頃からしっかりした子供だったそうで、絵本よりも学術書や歴史書を好み、言葉も早く。最初の言葉は「もっと古い歴史書はないのか」だったらしい。
よくもわるくも成熟した子供である幼馴染に私が懐くのはすぐだったそうだ。会った瞬間から幼馴染がいるとご機嫌になったとか。
お隣同士で互いの親も仲がよく、私と幼馴染は預かり預けられ、少なくない時間を一緒に過ごした。
まあ、そんなこんなで。今年で私は十一歳。つまり、十一年を幼馴染と共に生きてきた。
よくもわるくも達観した子供の幼馴染は、私といるときには年相応に見えると評判だった。私を追いかけるので必死だったからだと思う。
私は私で、好奇心旺盛な子供だった。気になるものがあればすっ飛んでいき、迷子になる。そして迷子になった私を見つけてくれるのが幼馴染だった。
二日に一回は迷子になるので、最初から迷子にならないようにと考えたのか、幼馴染は外にいるときはいつだって私のそばにいた。
年を重ね、私が落ち着きを持ってからも、変わることなく幼馴染は私の隣にいた。
おおらかな気風の村で育った私たちは、これまたおおらかなそれぞれの両親に育てられ、つつがなくすくすくと育ってきたわけだ。
成熟すぎる子供も。すぐどこかに行く子供も。どちらも変わらぬ愛情をもって見守られてきた。
将来はお嫁さんに来てくれるかしら。いやいや、婿に来てもらっても――互いの両親がそんな冗談を言い合うぐらいには、仲もよかった。
だから、嫌いだと言われる理由はない、はず。
私がうっかり落ちてきた雷に驚いて、うっかり崖から落ちただけで、嫌いだとは思わない、はず。
ちなみに、そんな私のうっかりに巻き込まれ、一緒に崖を転げ落ちたのが幼馴染だ。
よくよく考えてみると、こんなことは初めてではない。なんの穴かなと思って入り込んだのが熊の巣穴だったり、おいしそうな木の実だと思って食べたら毒があって倒れたり。そんな私の介抱や救出をしてくれたのも幼馴染なわけで。
八歳を超える頃にはそんなことはしなくなったけど、それでも危ないことに付き合わさせていたのは間違いなく、しかも口やかましい私に辟易していたとしてもなんら不思議ではないのでは、と。
ここでようやく、大嫌いだと言われてようやく、思い至った。
ぽろりと涙が零れそうになり、だけど零れる前に空から降ってきた雫が頬を濡らした。
先ほどまで雲ひとつなかった青空に、今はどんよりとした雲が広がりはじめている。
「本降りになる前に帰らないと……!」
泥だらけでも怒られるのに、びしょびしょになったらもっと怒られる。慌てて立ち上がり、零れそうになった涙と一緒に頬についた雫を拭い、顔を上げる。
――と、目の前に幼馴染がいた。息を切らして、泥だらけのままで。
「え?」
ついさっき嫌いだと言い捨てて走っていったのに。思わず瞬きを繰り返していたら、手を握られ、先導するように歩きはじめた。
繋がれた手が温かくて、さっきの言葉の意味も聞けず、二人して黙々と、家に向かった。
家に帰りついた私はしこたま怒られ、幼馴染に嫌いだと言われたのとは別の意味で泣きそうになりながら床につき。
起きると幼馴染がいなくなっていた。隣の家からも、村からも。
「え? え? 学園って? 王都って?」
「どうもあの子、魔法の才があったみたいなのよ」
のんびりとした口調で答えるのは、幼馴染のお母さん。私がおばさまと呼び、慕っている相手だ。
「魔法の才って……そんなの、聞いてない」
王都にある学園といえば、王立魔法学園。少し特殊な成り立ちを持つ学校だ。
はるか昔、魔王と呼ばれる悪い人がいた。その人は魔法の才に長けた人が数人がかりでようやく倒せるほど強く、しかも「千年後、我はまた蘇るらしい」と言い残すぐらいには悪あがきする人だったそうだ。
最後の言葉を負け惜しみと捉えるか事実と捉えるか。当時の人たちは事実と捉え、千年後復活するであろう魔王に備え、王立魔法学園を設立した。
千年後に優秀な人材を揃えられるように。
そういった成り立ちのため、ある程度の魔法の才さえあれば、平民だろうと貴族だろうと――それこそ王族だろうと、十二歳から通える。
「じゃ、じゃあ、六年後ってこと、ですか? 帰ってくるの」
王立魔法学園は六学年ある。完全寮制で、休みの間も何かしらの勉強をするため、よほど家が近くなければ帰らない。
私たちが暮らす村は王都から遠く、行き来するだけでもそれなりの馬車賃が必要になる。
「ええ、そうね。帰ってくるつもりはないって言っていたし、そうなんじゃないかしら」
「嘘でしょ」
まさかの言い逃げか。
迷惑をかけたと謝らせてもくれず、弁解の余地も説得の余地も与えられず、いなくなってしまった。
呆れて笑えばいいのか、いなくなったことを悲しめばいいのか、面倒に巻きこみすぎたのを悔やめばいいのか。感情がないまぜになり、引きつった笑いしか出せなくなった。
幼馴染がいなくなってからもうすぐ一年が経とうとしていた頃、幼馴染が魔王になったとおばさまが教えてくれた。
なんでも、学園中を敵に回し、配下を作り、支配しはじめているのだとか。
「魔王って、あの子呼ばれているらしいの」
いつもの穏やかさが抜け、しょんぼりとした様子のおばさま。
聞いた内容も幼馴染の行動も理解を超えていて、何度か瞬きを繰り返す。
「……おかしい、とは思っていたの」
ぎゅっと拳を握りしめ、悲痛な声を出すおばさまに、なんて声をかければいいのかわからない。
「これで大丈夫なのかと心配したこともあったわ……だけど、きっと大丈夫だって自分に言い聞かせて……でも、でも、駄目だったのね」
ふるふると震え、溢れそうになる涙で睫毛が濡れている。
「やっぱり、聞きわけのいい子ほど反抗期では非行に走りやすいって本当だったのね……! 手紙もくれないし、この話だって、王都からきた騎士様に聞いたのよ! 魔王をしているならしてるって、手紙を出してくれてもいいのに! 書くことないのかなって思っていた私が馬鹿みたいじゃない。十分書くことあるじゃない!」
わっと机に顔を伏すおばさま。その肩に、ぽんと手を置く。
気の利いたことは言えないけど、別のことなら言えるから。
「私も入学するので、大丈夫です!」
「え……?」
少しだけ顔を上げるおばさまに、力強く拳を握り、力強く頷いてみせる。
「あいつが悪いことしてるなら、それを止めるのが私の役目ですよ!」
私が危ないときは幼馴染が助けて、幼馴染が悪いことをするなら私が止める。
つい先ほど届いた入学の手紙――多分、おばさまの言う騎士様が届けてくれた手紙を握りしめて、再度力強く、大丈夫だと口にした。
私が入学することになったのは、偶然といえば偶然だ。偶然、私には魔法の才があった。
それが入学できるレベルに達しているのかどうか私にはわからなかったけど、それでもなんとか入学したくて、どうにかこうにか入学させてくださいと熱烈な手紙を何通も王立魔法学園に送った。
その結果が実を結び、基準値ギリギリ――ギリギリアウトだけど、そこまでやる気があるのなら是非、とお返事をもらえたのだ。
魔王がいるけど大丈夫かとも書かれていたが、幼馴染がいるのなら魔王がいようと関係ないと決心し、大丈夫だとお返事したのがひと月前。
そんなこんなでようやく、入学許可証の入った手紙を頂けた。
今思えば、その魔王というのが幼馴染のことだったのだろう。
私の一大決心を返せと幼馴染に言いたい。
幸いとでもいえばいいのか、言う機会はすぐに訪れた。
王立魔法学園に入学した初日、入学式を行うための会場にいたからだ。
天井近くにある窓から青空が見える。太陽が爛々と輝いているはずなのに、会場の中は暗く、窓から差し込む明かりは一点にだけ注がれていた。
眩しいほどの光の中、宙に浮く幼馴染に。
「よく来れたものだ。愚民が」
地の底を這うような冷たい声。体どころか心まで凍りつかせそうな冷たい眼差し。
こんなの初めて見るが、間違いなく幼馴染だ。たった一年しか経っていないのに、私が幼馴染を間違えるはずがない。
「この俺を倒せるとでも夢想したか。勇気と蛮勇をはき違えた者がこれほどいるとは、千年の平和は愚か者を生み出すに十分すぎる時間だったようだ」
幼馴染が鼻で笑うのと同時に、どこかで雷鳴が轟いた。まるであの日、崖から転げ落ちた日に聞いたような雷の音が。あの日と同じ、青空の下で。
誰かが息を呑む音も聞こえた。王立魔法学園は身分にこだわらず人を集めている。しかも在籍中の生活費も学費も国が負担してくれる。そんな好待遇が受けられるのだから、入学希望者は多いはず。多かったはず。
何もなければ、会場いっぱいの新入生がいたのだろう。だけど今は、半分も埋まっていない。
幼馴染の言うとおり、幼馴染を倒せると思った人しか集まらなかったからなのかもしれない。あるいは、私のように魔王がいようとなんだろうと、どうしても入学したかった人だけが集まったのかもしれない。
私の場合は、その魔王と呼ばれているのが幼馴染なので、話は少し違うかもしれないけど。
「十三歳の若輩とでも侮ったか。浅はかなものだ」
く、と幼馴染の口角が上がる。会場が剣呑な空気に包まれ、どこからかかちゃりという音が聞こえた。音のしたほうを見れば、暗がりの中、腰に携えていた剣に手をかけている人が数名。
幼馴染の後ろ――幼馴染は空中にいるので、幼馴染の後方下に並んでいた人たちもまた、強い眼差しを今年入学してきた私たちに向けている。
一触即発。そんな言葉が似合いそうな場の中で、幼馴染がゆっくりと手を上げた。
「――この馬鹿!」
その手が下ろされるよりも早く、私の声が会場中に響いた。
新入生も幼馴染の後ろにいる人たちも、私がいる方向に顔を向ける。いったい何事か、というような困惑した眼差し。ぽかんと呆けた顔。様々な視線や感情が私に向けられている中、幼馴染が床に降りてきた。
ふんわりと、重力を感じさせない優雅さで。
幼馴染を照らしていた光も幼馴染を追い、光に照らされた人が横に避け、そのすぐ後ろにいた人も横に避け、そうやって少しずつ横にスライドしていったことで、私と幼馴染の間に一本の道ができた。
明かりは幼馴染に集中しているとはいえ、完全な暗闇に閉ざされているわけではない。しかも道ができたことで、幼馴染を照らす光を遮るものは何もなく、漏れ出たような光がうっすらと私を照らし出す。
「悪いことしたら駄目だよ!」
そして私は道の先に向けて、大きな声で言い放つ。
私が危ないときは幼馴染が助け、幼馴染が悪いことをしたら私が止める。私たちはいつだってそうしてきた。
幼馴染が行商人を言いくるめてガラクタを高値で売りつけようとしたとき。幼馴染が毒入り木の実を嫌いな相手の食事に混ぜようとしたとき。幼馴染が私にちょっかいかけてきた村の子供を熊の穴に追いやろうとしたとき。
必死に止めたのは私だ。おおらかな村でおおらかな親のもと、おおらかに過ごしてほしいと思って。
お陰で、おばさまは幼馴染のことをしっかりしたいい子だと思っている。
「貴様!」
よく考えてみたら、少しぐらい叱られたほうがよかったのでは、と思い直しそうになっていたら、幼馴染でもなんでもない第三者の声が割って入ってきた。
きっ、とこちらを睨みつける、よく知らない人。多分、幼馴染の配下か何かなのだろう。配下を作っているとおばさまが言っていた。
「よくもそんな口を利けたものだ!」
二人の配下が一本道を鬼気迫る勢いで駆けてくる。一本道なので一人ずつだけど、その勢いはすさまじく。
思わず幼馴染と私の間に道を作ってしまった人たちや、私の近くにいる人が危ないと判断する間もなく。
「触れるな」
底冷えするような声が配下を止めた。ぴたりと。こちらに駆けてくる姿勢のままで。
「……どうして、ここにいるんだよ」
幼馴染がひょいひょいと配下二人をそこらに投げ捨て、私の前に立つ。窓から差し込む光が、私と幼馴染を照らし、すぐ近くにいた人が眩しいとでもいうように少し距離を取った。
投げ捨てられた配下がそこらへんにいた人に抱えられたのを確認してから、幼馴染を見上げる。
そわそわとさまよう視線に、しかめ面。先ほどまでの氷のような仮面が割れ、私のよく知る幼馴染が顔を出している。
「どうしても何も。悪いことをしたら止めるのが私の役目でしょ?」
「だけど、だが、俺は――」
ぎゅっと顔に力を入れる幼馴染の目の前で、私は勢いよく手を叩いた。
「人様に迷惑かけない! はい、復唱!」
ぱん、という大きな音と私の声に、幼馴染の表情が崩れる。笑っているような、泣きそうなような微妙な顔。
「……人様に迷惑かけない」
いつもと同じ、いつものやり取り。よくできました、と笑って幼馴染の頭を撫でる。
――という一連の流れをしてようやく、周囲からざわめきが起きているのに気がついた。
魔王が、何が、あれは誰だ。そんな声と、よりいっそう強まった困惑の視線に耐え切れなくなったのは、幼馴染のほうだった。
「とりあえず、こっちに来い」
そう言って、私を抱えて一目散に会場を脱出する。
え、さらわれた? と誰かが言っていたような気がするが、その声は遠く、確認することはできなかった。
会場を出たらけっこうな人数が外で待ち構えていたけど、私を抱えている幼馴染に呆気に取られたのか、それとも幼馴染が何かしたのか。手も口も出されず、幼馴染が駆け抜ける。
そして誰もいない場所でようやく私を降ろした幼馴染は、気まずそうな顔で私を見下ろした。
「……魔王がいるって、入学希望者には通達がいっていたはずなのに、どうして来たんだよ。危ないとか、思わなかったのかよ」
「そりゃあ、まあ、思わなくもなかったような気もするけど、でもあなたがいるのに来ないわけないじゃない」
そう言うと、幼馴染がまた、泣きそうな笑いそうな微妙な顔になった。
「それがまず、わかんないんだよ。だって俺……嫌いだって、言ったのに」
「うん、言われたね。だけど、本当に嫌いだったら雨が降ってきたからって戻ってこないでしょ?」
嫌いだって言って走って、雨が降ってきたから心配して慌てて戻ってきた幼馴染。その姿に、本当に嫌われているんじゃ、と思うはずがない。
さすがに迷惑をかけすぎたかも、とは反省したけど。
「それにね、ほら。私が危ないときは助けてくれるでしょ? それで、あなたが悪いことをしたら止めるのが私。そうでしょ?」
幼馴染が何故か不承不承という顔で頷いた。私が止める役目なのは納得していないのかもしれない。
私が注意するといつも不貞腐れていたし。
「じゃあとりあえず、一緒にごめんなさいしに行こっか」
瞬きを繰り返す幼馴染に、まさか、と私の目が丸くなる。
「もしかして、誰か殺したり、とか……」
それなら、ごめんなさいでは済まされない。
「してない。大きな怪我もさせていないはずだ」
ほっと胸をなでおろす。
もしも誰か殺していたら、おばさまは失神していたはずだ。泣いているだけだったから、そんなはずはないと思っていたけど、本人の口からはっきり聞けてよかった。
「それじゃあ迷惑かけた人全員に謝って……それでも許してもらえなかったら、そのときは私も一緒に罪を償うから」
「は? なんでお前がそこまでするんだよ」
わけがわからないという顔の幼馴染に、笑いかける。
「そこまでするに決まってるでしょ。大切な幼馴染なんだから。それに私はあなたのことが――」
その先を続けることはできなかった。待ったの声がかけられたからだ。
もちろん、かけたのは幼馴染だ。
「そ、そういうことはだな、俺のほうから言わないと駄目だろ。だから今は……少し落ち着いてからでもいいか?」
確かに今は、落ち着いていない。何しろ入学式の真っ最中で、新入生も配下も、ついでに実はいた教師も、外にいた人たちも、全員置き去りにしたままだ。
顔を赤くさせてそっぽを向いた幼馴染が、私の手をひいて歩きはじめる。
繋がれた手は、あの日のように温かい。
私の幼馴染は大馬鹿だ。
自分の起こした雷で私が崖から落ちたと思って、そばにいないほうがいいんじゃないかと考えて村を飛び出し、やさぐれて魔王に走る大馬鹿だ。
それでも私にとっては、魔王でもなんでもない大切な幼馴染。
「しかたないな。じゃあ、待ってるよ」
その日が来たらきっと、満面の笑みを浮かべて「はい」と答えよう。
だって私はこの、大馬鹿で、思いこみが強く、すぐに悪だくみするような幼馴染が大好きなんだから。
このときの私は知るよいがないが、この後謝罪やら和解やらして学園に平和が戻る。
平和すぎて、三年経っても関係が進展しないと知っていたら、口が裂けても待ってるなんて言わなかった。