9話 コミケデート、思い出の女
年末、ぼくは国際展示場にて、冬のコミケに参加している。
開始から30分後。
「ぜえ……! はぁ……! はぁ……! や、やっと終わった……」
「お疲れ、里花」
クラスのギャル、松本 里花。
今日はぼくの売り子を手伝ってくれることになっていたのだ。
ぼくの隣で、里花がぐったりしている。
「3000冊の同人誌が30分でなくなるって……。回転が早すぎて目が回ったわ……」
そこへ、ぬぅ……と巨漢が現れる。
「やーやー、真司くんの彼女のちゃーん、お疲れお疲れ~」
ターミネーターのような大男が、フランクに話しかけてくる。
その隣では、ロシア系の美人がニコニコしながら、里花に飲み物を差し出す。
「コレ、良かったら、ドーゾ♡」
「あ、え、えっと……ありがと……じゃなくて、さんきゅー? ぐ、ぐーてんもるげん……?」
ロシア系美人にたじろぐ里花。
「大丈夫。ターニャさん日本語聞くのも話すのも上手だから」
「あ、あそうなんだ……どうもです」
里花は美女……ターニャさんから紅茶を受け取る。
ごくごくと飲んでいる。
ぼくはお手伝いの二人に言う。
「ふたりとも、手伝ってくれてありがとう!!」
「なんのなんの、こっちも楽しんでるし、ね、姐さん?」
「エエ。コスプレ。楽しいです♡」
この美人コスプレイヤーのお姉さんも、ぼくの同人誌を売るの手伝ってくれていたのだ。
飲み終わった里花が、ぼくに問うてくる。
「このターミネーターとロシア美女はだれなの、しんちゃん?」
ああ、そういえば里花は二人と会うのは初めてだっけ。
ぼくは彼女に紹介する。
「ぼくの知り合い。三郎さんとターニャさん」
「どうも、ターミネーターです」
「ドウモ、艦コレのほうの愛宕です♡」
巨漢の方が三郎さん。
コスプレしてるロシア美女がターニャさん。
「ど、どういうつながりなの?」
「実家の関係の知り合い、かな。ふたりは昔からの知り合いで、オタク趣味があるから、前からサークルのお手伝いしてくれてるんだ」
里花を見て、にやにやと三郎さんが笑う。
「ところで真司くん? そちらの彼女は、もしかしてステディーな方の彼女なのかな?」
「え!? え、えっとぉ~……」
ど、どうしよう。
学校の外じゃニセコイ関係でなくても良いんだけど……。
「コラコラ、三郎。下世話デス」
ターニャさんが笑顔のまま三郎さんを止める。
「いやでもさぁ……! 姐さん気にならない!? ねえ! だってあの真司くんがだよ? 女連れてたらさぁ! 気になるじゃん、もうやったのとか?」
「プライベート、そこまでツッコむ。失礼。駄目」
「ちぇー」
知らない人といきなりあったからか、里花がだんまりしてる。
と、そこへ……。
「こんにちは、先生」
「あ、編集の……どうも」
にこやかに笑う、背の高いスーツのお兄さんが現れる。
里花がこくびをかしげる。
「この人誰?」
「出版社の人」
「しゅ……!?」
彼は笑って、頭を下げる。
「はじめましてお嬢さん。私、岡谷と申します」
岡谷さんが里花に頭を下げる。
サークル関係者だと思ったのだろう。
懐から名刺を取り出して、里花に渡す。
【TAKANAWAブックス編集 岡谷 光彦】
「タカナワ……って、あの!? デジマスの!?」
驚く里花をよそに、岡谷さんはぼくに言う。
「先生。考えていただけないでしょうか? 【来年】には開田先生が新作を予定してまして」
「開田先生? え、【せんもし】終わっちゃうんですか!?」
せんもしはアニメ化もした人気ラノベシリーズだ。
そんなぁ、終わっちゃうんだぁ……
「オフレコでお願いします」
「もちろん!」
「それで新シリーズの挿絵を、是非に先生にお願いしたいと考えてるのですが」
人気ラノベ作家の新作のイラスト仕事。
光栄ではある、けどなぁ。
「うーん……ごめんなさい」
ぺこん、とぼくは頭を下げる。
「同人活動も、絵も、趣味でやってるんで。商業は興味ないです」
「そうですか。それは、非常に残念です」
岡谷さんは既刊を何冊かかってくれた。
「考えが変わりましたら、いつでもご連絡おまちしてます」
「はい。お買い上げ、ありがとうございました!」
「いえ、それでは」
岡谷さんはそう言って去って行く。
「ふー……緊張したぁ~……。って、里花? どうしたの?」
唖然とした表情で里花がぼくを見ている。
「しんちゃん……出版社の人に目をかけられるレベルの人だったのね……すごいわ……」
「うん……光栄だけど、申し訳なくって。ぼく趣味でやってるだけだし」
「そ、そうなんだ……もったいない」
「そう? 楽しければいいじゃないこういうのってさ。趣味なんだしさ、ね?」
その後スケッチブックを頼まれたり、サインを頼まれたりしながら。
12時前には既刊も、全部捌けた。
三郎さんが状況を見て言う。
「あとはおれらが店番とか片付けしとくから、真司くんは里花ちゃんとデートしてきなよ」
「イッテラッシャイ~」
ターニャさん達にその場を任せて、ぼくと里花は、サークルスペースを後にする。
背後では遅く来たお客さんが、残念そうな声で言う。
「えー! もう売り切れちゃったんですかー!」
「そうなんですよー、すみません」
「なるほど……さすがサークル【Rika】はすごいなぁ~」
ぼくたちはスペースを離れて会場内を歩いて行く。
「どこ見る?」
「…………」
「里花?」
「あ、えっと……とりあえず会場をぐるっと見せて。初めて来るわけだし」
「りょーかい」
ぼくはなるたけじっくりゆっくり、会場を練り歩いていく。
ふと、里花がこんなことを尋ねてきた。
「ねえ……しんちゃん。あなたのサークルの名前なんだけど……」
「ん? なぁに?」
真面目な顔で、里花が言う。
「どうしてサークル名が、【Rika】なの……?」
それを問われて、ぼくはためらってしまう。
ぼくの過去に触れるような内容だったから。
「あ、嫌だったら言わなくっていいのよ」
「ううん、大丈夫。里花には世話になってるし、特別に」
隣を歩く里花に、ぼくはサークル名の由来を語る。
「Rikaは……小学生の頃の、大事な友達の名前なんだ」
「! へ、へえ……友達」
「うん。ぼく小さい頃いじめられててさ。ボンボンとか。花輪くんとか、そういう感じで」
幼少期に、ぼくはあまり人となじめていなかったのだ。
……って、あれ? 今もそうじゃない?
うわ……なんか凹む……。
「クラスに友達がいなくって、さみしかったんだ。そんなとき、クラスにスゴイ地味で大人しい女の子がいて、その子にシンパシー感じてさ、知り合いになったの」
「…………へえ、そう」
里花が黙りこくってしまう。
興味が無い、というより、何か考え事してるように思えた。
ぼくは続ける。
「その子がリカちゃんって名前だったの。その子にアニメとか漫画とか、教えてもらってさ。ふたりで盛り上がったんだ。今思うとぼくも彼女も似たもの同士だったんだろうね」
今のぼくを形成してるのは、小学校の頃に出会った思い出の少女、リカちゃんの影響を多分に受けている。
「でもリカちゃん、小学校の途中で転校しちゃったんだ。親が離婚して、母方の実家のある、長野の田舎に帰ることになったって」
「……っ! そ、そう……なんだ………………やっぱり」
「やっぱり?」
「……ううん。それで?」
ぼくは溜息をつく。
「ぼくもリカちゃんもギャン泣きして、どっちも駄々こねてさ。別れたくないって。でも転校は覆らないし、また会うの約束もできなくて……そのままお別れしちゃったんだ」
リカちゃんがいなくなったあと、ぼくはとてもとても後悔した。
あのとき、ちゃんと連絡先を交換していればって……。
「その後は、オタク趣味にどっぷりはまって、三郎さんとターニャさんの影響で、同人誌にも興味持つようになって……あるとき、絵を描いて、同人誌作ろうって思ったんだ」
「……動機は?」
「動機なんてたいそうなもんじゃないよ。ただ……」
ぼくは昔を思い出しながら言う。
「サークルの名前、【Rika】にすれば、いつかこの国際展示場で、リカちゃんと再会できるんじゃあないかって、思っただけ」
人名をサークルの冠につければ、由来を聞いてくるかもしれない。
向こうもオタクだったし、いつかここにリカちゃんが現れて、再開できる日を楽しみにしていた……。
「それが、ぼくがサークル活動を始めようと思ったきっかけ。気づいたら今みたいになってた感じ」
「…………そっか」
それきり、里花が黙り込んでしまう。
後ろからついてくる里花が、ぼそりと尋ねる。
「……その後、リカちゃんとは再会できたの?」
「ううん、まだ。全然来る気配すらないし……もう、ぼくのことなんて、忘れちゃったのかなぁって」
それはそれでさみしいけど、仕方ないことなのかもしれない。
小学校の頃の友達の顔を、高校になるまで覚えてられることなんてまれだ。
たぶんもう、向こうで幸せに暮らしてるだろうから……。
そのとき、ふいに、誰かがぼくの腕を引っ張る。
「忘れてないよ」
里花が真面目な顔で、ぼくに言う。
「その子……今もずっと、あなたを思ってるよ。忘れてなんかない。引っ越した後も、ずっとずっと……あなたに会いたいって思ってるよ」
「里花……?」
やけに、確信めいた言い方だった。
里花の表情は真剣そのもの。
まるで……リカちゃんの思いを、代弁してるかのようだ。
「きっと、この東京にいるわよその子。長野ってほら、学校少ないし」
「そう……かな」
「そうだよ。きっと……またあなたの前に現れるわ。絶対」
里花が強い言葉で、ぼくを励ましてくれる。
もう会えないって諦めて、凹んでいるぼくの背中を、ぽんぽん……って優しくなでてくれる。
ああ、優しいなぁ……
オタクに優しいギャルは、存在したんだなぁ……。
「ありがとう。希望、持てたよ」
「そ、よかったわね」
ぷいっ、とそっぽ向いて里花が言う。
「ちなみに……さ。その、リカちゃんの名字って……なに?」
「えっと……たしか……なんだったっけ……ああ、そうだ。【鬼無里】。鬼無里だった」
変な名字だったから、思い出せた。
里花は……つつ、と涙を流す。
「うぇ!? ど、どうしたの?」
「ううん……なんでもない……ちょっと……うれしくって……」
「え? うれしい……?」
里花は涙を拭いて、小さくつぶやく。
「……それ、離婚したお父さんの名字だよ。松本は、お母さんの名字なの」
「え、なんだって?」
里花はふるふる、と首を振る。
「何でもないわ。さ! デート行きましょ!」
里花は明るい笑顔になると、ぼくの腕をつかむ。
ぐいぐい、と前へと進んでいく。
よくわからないけど……なんだか上機嫌?
何かあったのかなぁ……?
まあでも、笑ってる里花は可愛いなぁってそう思った。