49話 ダリアの救済、真司の提案
上田 真司はダリアのもとへ駆けつけた。
その数時間後。
「ん……ここは……?」
「あ、ダリア。目、覚めた?」
「シンジくん……?」
ダリアが寝かされていたのは、超高級ベッドの上だった。
部屋の中には暖房がよく効いている。
自分の体には、前に泊まったとき買ってもらったスウェットが着せられていた。
「……あーし、何があったの……?」
大家にレイプされそうになり、真司が助けに来てくれたところまでは覚えている。
その後真司の胸で子供みたいに泣いて、気づいたらここにいた。
「ダリア、あのあと気を失っちゃってね。ぼくんちまで運んでもらったんだ。着替えは三郎さんのお姉さんがしてくれたから、安心して」
真司はダリアのそばまでやってくると、手に持っていたマグカップを渡してくる。
温かいコーヒーが入っていた。
お礼を言って受け取り、一口すする。
「……おいしい」
今まで飲んだどのコーヒーよりもおいしかった。温かかった。
「ゆっくり飲んで。そうだ、お腹空いてない? 冷凍食品ならあるよ。ピザ頼む?」
……真司の無条件の優しさに甘えたくなる一方で、ぐっ、と彼女は我慢する。
彼に寄りかかっては、いけない。そのまま戻れなくなってしまう。
「……いいよ。それより、なんで、シンジくんあーしのマンションに来たの?」
真司はゆっくりと事情を語る。
「里花から、連絡があったんだ。ダリアの様子がオカシイって」
……里花は、親友だからこそ、ダリアの悲壮なる覚悟を感じ取れたのだ。
なんて優しい子だろうかと、ダリアはうらやましく思う。
そして、ああ、ほんとにお似合いのカップルなんだなと、うらやましく思う。
「ダリアの家の場所とかわからなかったから、悪いとは思ったけど、本家のじいさんに力を借りたんだ。で、三郎さんと一緒に突入したって感じ」
「…………そっか」
「うん。ひどい目に遭う前に、間に合ってよかった」
一つ、疑問が解けたと思ったら、次にまた別の疑問がわいてくる。
「……ねえ、なんで?」
知らず声が震えてしまう。
「なんで、あーしを助けたの?」
「そんなの友達だからに決まってるでしょう?」
ずきんっ、と胸が痛む。
痛い、痛い……。苦しい……。
彼はこんなに優しいのに。
彼は、こんなに善人なのに……。
なんで自分はこんなに汚れてるのだろう。
こんな女を、なぜ助けてくれるんだ……?
友達だからで、済まされる問題じゃない。
「あーしは! 助けてもらえる価値のある、人間じゃない!」
真司のような最高に素敵な男性に、守ってもらう価値なんて、ない。
「シンジくん知ってるでしょ! あーしエンコーしてるんだよ? キモい親父に何人も何人も抱かれてるの!」
真司に嫌われたかった。
こんな女だったんだって。
ゲンメツして欲しかった。
助けてもらったことには心から感謝している。
でも……これ以上彼に頼ってはいけない。
自分は夜の闇に生きるものであって、光差す場所で暮らす彼の邪魔をしては、いけないから。
「あーしね、小学校の頃からやりまくってんの? もう数えきれないほどたくさん! 名前も知らない男とやりまくってるくそビッチなんだよ! そいつらから金をもらってのうのうと生きてる……最低のクズ! それがあーしなの!」
そうだ。
だから、彼に救ってもらう価値なんてないんだ。
だから……。
「もう……関わらないで。もうこれ以上……優しくしないで……」
ダリアが望むことは、大好きな彼と、そして大好きな親友の幸福だ。
自分の人生なんて、もうとっくに投げ出している。
自分よりも、二人が末永く幸せであって欲しい。
でも……これ以上真司に優しくされたら、本当に戻れなくなる。
今でさえ、真司のことが愛おしくて愛おしくて、大好きで大好きで、たまらないのに……。
「あーしみたいな、最低のビッチのことなんて……もう忘れて……」
真司はダリアの体を優しく抱きしめる。
「そんなこと、無理だよ」
ぎゅっ、と優しく、けれど力強く、ダリアを抱きしめる。
その温かい体にすべてを捧げたくなる衝動にかられる。
それと同時に、途方もない安心感に包まれる。
「ダリアは、大事な人だもん」
「……やめて」
「君は自分が汚いっていうけど……そんなことない。生きるために、仕方なくだったんでしょう?」
なぜ彼が知っているのだろうかと疑問を覚える。
ただ……彼はとてつもない大金持ちで、里花曰く、権力者の孫だという。
ダリアのマンションの位置を把握していたと言うことは、ある程度、自分の事情を調べて知っていたとしてもおかしくはない。
「君は間違ってないよ。悪いのは、君を食い物にしたあの大家と……君を大事にしなかったその母親じゃないか」
涙を流すダリアに真司が笑いかける。
「君は汚くないよ。とっても綺麗だよ」
ふるふる、とダリアが首を振る。
「……でも、あーしの体はもう」
「体のこと言ってるんじゃないよ。ぼくは、君の魂が、綺麗だって言ってるんだ」
ダリアの髪の毛を優しくなでてくれる。
彼女は目を閉じて彼に身を委ねる。
「辛いことがあっても泣き言を言わず、誰かを恨むこともなく、強く生きている。すごいことだよ。辛い境遇にいても、親友や、その彼氏に優しくできる。これも誰にもできることじゃない」
真司がダリアのことを、丁寧に褒めてくれる。
「ダリアの体はどうか知らないけど、魂は……誰よりも綺麗で、美しいと、ぼくは思う」
……彼の言葉が傷ついた心と体にしみこんでくる。
今まで誰も自分の頑張りを認めてくれるひとはいなかった。
グレてしまうことだってできた。
でもそうしないで頑張ってきた。
でも誰もほめてくれなくて、辛かった。
親友にもこんな悩みを打ち明けることができず、一人暗い闇の中で、身を丸くして震えていた。
……そんなときに。
一筋の光が差し込んだ。
あたたく自分を照らし、そして自分を褒めてくれた。認めてくれた。
そんな彼が……。
「……あり、がとう。ありがとう、シンジくん」
ぽろぽろ、と涙を流す。
ダリアは真司の体に抱きつく。
「……ありがとう、ありがとう……ありがとう……」
言いたいことがたくさんあった。
でも口をついたのは、そんなシンプルなことばかり。
極大すぎる感情を言葉にできていない。
彼に対する感謝の言葉に混じって……。
「シンジくん……」
「なに?」
ダリアは、もう自分を止められなかった。
彼の体に抱きついて、無防備な唇に、自分の唇を重ねる。
エンコーを通じて手に入れた、キスのテクニックなんて使わない。
忘れてしまった、純粋な頃の……キス。
好きだからする、という、実に衝動的なもの。
「ダリア……?」
戸惑う彼に、ダリアは言う。
「……ごめん。シンジくん。あーし、あーしね……」
里花の顔が脳裏をよぎる。
前は思いとどまれた。
でももう今は無理だ。ごめん……と里花に誤りながら、隠しきれない彼への愛おしさを口にする。
「……あーし、君が、好きなんだ」
一度口にしたらもう止められなかった。
言葉も、感情も、なにもかも。
「迷惑なのは、わかってるよ。りかたんに、悪いとも思ってる。でも……ごめんね。君が……大好きなんだ」
思いを告げて……より一層悲しくなった。
だってこの恋は絶対に叶わないから。
「わかってるよ……シンジくん。君はりかたんを裏切れない。君の心の中の椅子にはあの子が座っている。あーしの座る場所がないのは、わかってるよ。でも……好き。好きなの……大好きなのぉ……」
初めてだった。
こんなふうに、本気で誰かを好きになることは。
男と何度もデートし、好きと言われても、なんとも思わなかった彼女が。
初めて、心から……大好きだと、愛してると思った相手。
それがよりによって、親友の彼氏だなんて……。
つくづく、自分はついていない。
運命を呪わずにはいられない。
でも一つだけいいことがあった。
真司と巡り会えたこと。
彼とで会えなかったら、自分の魂が浄化されることもなかったから。
「……ダリア。ごめんね」
真司からの返事を聞いても、ダリアはショックを受けなかった。
彼が誠実な人であることを知っているから。
「……ううん、いいよ。迷惑かけてごめんね」
ダリアは真司の体から離れる。
「もう大丈夫だから。心は救われたから。もう、十分幸せだから」
けれど真司は首を振る。
「まだだよ。君は……まだ幸せとは言えないでしょう?」
「何言ってるの……?」
「君はまだ、色んな問題を抱えている。それらから……ぼくは君を救いたい」
大家の問題とか、ネグレクトの問題とか、あとは……金の問題とか。
それらを差して言っているのだろう。
「救うって……?」
「お金、出してあげる。住む場所がないなら提供する。学校に通えるよう、普通の生活を送れるよう、資金援助する」
それは、人一人を養うということに等しい。
さらっと言っていい問題じゃない。
だが金持ちである真司にとっては、ダリアを養うことくらいお手の物なのだろう。
けれど……。
「……気持ちは、大変ありがたいけど、そんな義理、君にないでしょ?」
「ううん。あるよ。君は大事な人の大事な人だし。ぼくの……大事な人でもあるから」
だとしても、だ。
「そうだったとしても……所詮君とあーしは、他人でしかないわけだし……」
恋人でもないし、家族でもない。
金の問題を解決してくれるのはありがたいけど、他人にそこまでする義理は全くない。
もしも里花よりもダリアを選んで、最終的に妻に迎えるならば話は別だけど……。
彼が里花を選んだ以上、妻とはなれない。
「ねえ、ダリア。君にひとつ、提案があるんだ?」
「提案?」
「うん……。君にとっては、不本意な形になるかも知れない。でも、こうすれば、君を養う大義名分になる」
真司はまっすぐにダリアを見る
「提案をのんでくれたら、ぼくが君を絶対に幸せにするって約束する」
その目は真剣だった。
冗談で自分を救うといっていない。
彼は本気で、ダリアの人生を背負い込んでくれようとしている。
「……提案って、どうするの?」
真司が思いついた案を口にする。
それは……確かに、他人を養うに当たるだけの理由となり得る。
ただ彼が言うとおり、不本意な形となるのは間違いなかった。
少なくとも、彼女の望みが、永遠に叶うことはなくなる。
「どう、かな?」
……それでも。
「お願い、シンジくん」
……それでも、彼のそばに、いられるのなら。
大事な親友を、裏切ることもないこの形ならば。
大好きな彼と、一生途切れることない関係を結べるのならば。
「君からの提案、ぜひ、受けさせて、ください」




