人魚喰いと吸血鬼と世界の終わりの物語(死が二人を別つまで)
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
やはりそうなのね。素敵、と女がつぶやいた。
濃い色の髪に縁取られた顔は美しいが、その瞳は底知れぬ闇を抱いている。
目の前には死体がひとつ。
数時間前にできたばかりのソレ。
生きていた頃の温みは失われ、首筋から流れ出たわずかな血液の鉄っぽく妙な甘さが混じる匂いも落ち着いてきた頃合いだった。
さて、ここまできたら後少し。
女は形の良い唇の端を少し持ち上げ、楽しげにフード付きの黒く長いコートを羽織った。
◇◇◇
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
知っているさ。昨夜夜遅くに世界的に重大発表があるってことで、寝ずにニュースをチェックしていたからな。小惑星が飛んできて地球にぶつかるんだろ?
クソッ。昨夜から家にあるかぎりの酒を飲んだけどちっとも酔えやしない。
神が光あれ、と言いその後七日間で世界を作ったというのは確かユダヤ教とキリスト教の創世記だったか。その世界の最後はどうやって終わる? 死人が全部生き返り最後の審判を受けるんだろ。まさか外に出たらゾンビだらけなんてことになってやしないだろうな。
五十六億七千万年の後に弥勒菩薩救済があるとかいう話もあったな。天の河銀河がアンドロメダ星団と衝突するのが四十五億年後。さらにその後十一億年も待ってから救済が来るのか。それはあまりに遅すぎやしないか。
シヴァ神が司る世界なら破壊の後に再生が来るだろう。それは悪くない。悪くないが結局破壊されるのが前提だ。結局破壊される側なのか俺たちは。
強く願えばその通りになるのなら、俺は異世界転生を望もうか。異世界に転生してスライムになるもよし、ゼロから人生をやり直すのも、蜘蛛になったり肋骨になるもの悪くない。いっそ居酒屋でもはじめるか。
ああそうさ。現実逃避だ。いったい俺に何ができるっていうんだ。たった七日。ひたすらゲーム三昧か。だいたい水や電気なんかのインフラはどれくらいまで使えるかわからん。
祈りでなんとかなるならいくらでも祈ってやる。
それにしても酒が足りない。
世界が終わるなら、有り金で飲むだけ飲んで、今までやれなかったことをやるのもいいな。そういえば普通免許なら2トントラックまでは運転できるんだよな。
俺は免許証を掴んで部屋を出た。
◇◇◇
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
マジか?
世界が終わる?
スマホを覗けばツィートはその話題だらけ。小惑星が地球にぶつかるって。
小さなテーブル越しに母さんが不安そうに自分のスマホを覗き込んでいる。
まさかこの後に及んで父さんからの連絡があるかも、なんて思っているんだろうか。あのクズ、もう5日も帰ってこないじゃないか。たまに小金ができるとヤツは絶対帰ってこない。いつもそうだ。いっそのこと野垂れ死んでいればいいのに。
去年からこのボロアパート住まい。
こんな生活をしているのは全部親父のせいだ。
相続した祖父の遺産が転がり込んで株取引に手を出しビギナーズラック。調子にのってトレーダーになるといって会社をやめた。ド素人だからその後が続くわけもない。あっという間に住んでいたマンションを売る羽目になり、コソコソ母さんの財布から金を抜き取ってパチンコや競馬に行くクズになりさがった。
今は母さんがパートをかけもちで働いてなんとか生活を支えている。
俺の高校は私立だが、幸い都の補助精度で世帯収入910万円未満だと実質無料なのでやめなくて済んだ。ただ今や授業に必須となったスマホ代がきつい。
バイトは学校があるから早朝とか時間の融通のきくものに限られる。新聞配達とチラシ配布ぐらい。
バイト代からスマホ代を引いて、残りを母さんに渡しているけど親父がそれをかっ攫っていくと殺意が湧く。この一年腹一杯食った記憶がないってのに。遊ぶ金もないから友達ともどんどん距離ができる。
そんな生活が一年。
あと一年足らずで高校を卒業して、働くようになったら母さんと二人で2馬力。楽になると思ってた。腹一杯食えると思っていた。
でもそんな未来はもう来ないってことか。
よりによってなんでこんな時に世界が終わるんだろう。
これで今世界が終わったらあんまりすぎやしないか。
ざけんなよ!この一年どんなに惨めで辛かったか。
親父もだが、幸せのまま死ぬやつが憎い。皆んな不幸の中で死ね!
俺は自室に戻ると、これだけはと思って売り飛ばさなかったナイフコレクションから2本のナイフを選び取った。
◇◇◇
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
え? なんの冗談? 今日エイプリルフールじゃないよね?
わたしは急いでスマホでニュースやSNSをチェックする。
皆、その話題で持ちきり。メッセも山ほど入っている。
ママからは家に帰ってきなさいって。これが本当なら帰ったほうがいいよね。でも新幹線、動いているかな。
なんかまだ信じられない。
本当に世界が終わっちゃうの?
今、テレビでは「最後まで希望を捨てず日常を保ちましょう」と繰り返している。
そうだよね、きっと頭のいい人たちがいい方法を考えてくれるよね。
万が一、本当に7日後に世界が終わるなら好きなものたべて、楽しい時間を過ごしながらその時を迎えたいな。
家に帰って家族揃って、クッキーのごろごろ鳴る喉をなでながらもいい。
さっき送ったグループメッセから数人から会おうってメッセ返ってきた。
待ち合わせは学校のカフェテリア。
あ、賢斗くんも来る。
最近オクで落としたばかりのレーシーなワンピ着て、それに合う靴を履いて行こう。
なんか本当に現実感ない。
◇◇◇
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「あと七日か」
俺は少々浮かれているのかもしれない。長い長い孤独の日々。
それもあと本当に七日で終わるとは。
その天体が観測されたのはほんの半月ほど前。
猛スピードで地球に向かってくるその塊は宇宙規模にしたら小さく、発見されてから軌道計算により地球に衝突するのがわかった時には打つ手もないほどの日数しか残されてなかった。
そして地球規模では十分大きく、衝突したらほぼまちがいなく地球の半分は粉々になる。
昨夜、というか今日の午前2時の世界同時発表から世界は一気に混乱に陥った。
多くの国では小規模テロや暴動が各所で発生した。
大陸間ミサイルを天体に向けて発射しようとしている国があるという噂も飛び回っている。
日本では深夜だったこともあり、都市部で深夜営業のコンビニが買い占め空っぽになったり襲われたりしたようだが、一方でまだ警察もメディアも機能していて、朝になれば逮捕者もでてそれがニュースになっている。
非常事態宣言が発令され、ライフラインを維持する施設以外の活動は基本休止にしてもよい。銀行、金融関連も国内に限るが業務を維持するようだ。今はほぼ無人化で運用可能という。ただトラブルに対しては非対応。そこでメンテナンスも普及作業もなし、だそうだ。
各国政府が出しているメッセージ「最後の最後まで希望を捨てず日常を維持しよう」に追従するツィートが多い。
確かに小惑星は地球をめがけて飛んできているがすぐ脇を何事もなく通り過ぎました、なんてこともあるかもしれないと。
そうだったらいい。
さて、俺も仕事のレポートを提出しに行かなくては。
仮にも探偵の看板を出しているんだ。受けた依頼は全うしないとな。
俺は調査対象者のレポートが入ったA4の封筒を手にした。
クライアントにとっては非常に残念な結果。調査対象者は複数の闇金から金を借りて借金の補填をしている、いわば自転車操業状態。奥さんが疑った隠し資産など一文もなかった。最近余裕が出てきたのは女を騙して風俗に売るなんてことを始めたからだ。
正直、取立て屋が来る前にさっさと縁を切って逃げることを推奨するしかない。
街に出ると驚くほど日常の風景だった。
眺めているのは渋谷スクランブル交差点。いつもより6割減の感じだが、他の街だったら十分人がいるって状態だ。
TSUTAYAビル壁面に設置された巨大ディスプレイには天体衝突のニュースと、政府は国家間で協力しできるかぎりの手を尽くすので皆さんも日常を維持しましょう、的なことが繰り返しアナウンスされている。
この日本で一番人が集まる場所で暴動的なことはないのは驚くばかり。店も思ったよりは営業していて、それなりに人が入っているのを見るのは驚きを通り越して、彼らはまだニュースを知らないんじゃなかろうかと思うほどだ。
これが明日になればまた風景は変わるのだろうが、ひとまず今はまだ日常の範囲内だ。
乗り換えの渋谷でわざわざ地上に出たのは、この風景を確認したかっただけに他ならない。クライアントとの待ち合わせはここでJRに乗り換えて20分ほど移動した先の駅前のファミレスだ。
さて、と踵を返した瞬間。
背後から悲鳴が上がる。
咄嗟に目をやると、通りの対岸に若い男が両手を振り回しながら走っていた。
全力で走れば5秒に一回は人にぶつかるほどには人はいる。
若い男がすれ違った人々は次々と崩れるように倒れていく。
両手に刃物を持っているのだ。
その状況に気がついた人々がパニックになって車道に飛び出すそのタイミングで交差点の信号が青になる。
クルマの流れが途絶えた交差点内に人々が逃げ出し男の周囲に空間ができた。
若い男は次の獲物を探して周囲に視線を走らせた。
そして、交差点越しの俺の左斜め前にいるワンピース姿の若い女に視線を止めたのがわかった。次にはもう逆手に構えた刃物を振りながらこちらに走ってくる。
女は恐怖で凍りつき、動くことができないらしい。
しょうがない。俺は若い男と女の間に飛び込んだ。
冷たいものが右脇腹から体内に入る感触がした。が、そのまま体をひねり男の顎に右の肘打ちを入れた。
若い男はあっけなく仰向けに倒れた。両手のナイフは握ったままだ。そのせいで俺の脇腹が抉られた。よく振ったコーラみたいに血が吹き上がる。くそっ! 痛みが遅れて来た。
倒れた若者の手からナイフは取り上げておく。死んではいないと思うがこの際どうでもいいか。
若い女は腰を抜かしたまま固まっていたが、ケガはなさそうだ。
周囲に悲鳴があがった。こんなに血が噴き出したらそんなものか、と思ったら俺じゃなかった。
スクランブル交差点に侵入した小型トラックが急ハンドルを切って人の多い駅前の広場に突っ込んできた。跳ね飛ばされる人、潰される人。
その先に黒いフード付きのコートを着た女がいた。背後は地下鉄の入り口建物の壁面。退路がない。
トラックが女に向かって真正面から突っ込み、クルマがひしゃげる特有の音がした。
誰もが凄惨な光景を脳裏に描いたはずだ。
だが。
一瞬の間を置いてトラックはゆっくりと後退した。
腹からはみ出しかけた内臓を押さえながら、俺は体の位置を少し変えて現場を覗き込む。
トラックの影から黒いコートの女が見えた。
脱げかけたフードの陰に凄絶な、としか言えない笑みが浮かんでいた。
突き出された右腕はトラックの正面に深く突き刺さっている。
トラックのフロント部分は無惨に凹んでいるのが後ろからすら見て獲れた。
女はすっと腕を引くと反対の手でトラックを薙いだ。
トラックはそれで1mほど横に滑り横転した。
彼女は傷一つ負っておらず、優雅にそこに立っていた。
ただの人間であるはずがなかった。
そうして眺める俺に彼女が気がついたと思った刹那、俺の正面30cmに歓喜に溢れた美しい笑顔があった。
あとから血と薔薇の混じったような香りを含んだ風圧が押し寄せた。
「あなた、今さっきの傷がもう塞がっているじゃない? 素敵ね」
なんという移動速度。彼女は息ひとつ乱れをみせない声で俺の耳元にささやく。
少し東欧の訛りのある英語だ。
飛び退く間もなかった。
彼女の右腕が俺の心臓のあたりに突き刺さる。今日はこんなのばっかり。そのうち穴あきチーズ並みのボディになりそうだ。
そんなことを考えている間に身体から力が抜け意識が飛んだ。
次に意識が戻った時、俺は数メートル先でトラックを横に薙ぎ払った彼女を眺めていた。
「やはりダメか」俺はひとりごちる。
そしてダッシュで彼女のところへ向かった。脇腹の傷はもう塞がっていた。全力で行ける。
彼女は少し驚いたような表情を浮かべ次に無邪気な笑顔を見せた。
遠慮はしない。思いっきり殺ってやる。さっき若者から取り上げたナイフの一本を逆手に構えダッシュした。
女は先ほどから笑顔を浮かべたまま微動だにしない。
フードからこぼれ見える首筋めがけて一気に刃を押し込む。
しかし何事も起こらない。一瞬首筋に切り口が見えたがすぐに塞がり血すらも吹き出さない。無邪気な笑顔も変わらない。やはりか。
尻ポケットから純銀のチェーンーホルダーを取り出す。事務所の鍵がついているやつだ。
それを拳に巻きつけて彼女の心臓と思しき場所に叩きつける。
今度は手応えがあった。
彼女の体が服ごとサラサラと微粒子に分解され消滅した。
彼女はこれで死んだのか……。
感傷めいたものに襲われ立ち尽くす俺の背後でサイレンの音がする。この騒動にようやく駆けつけた救急隊だろう。
目の端に警官たちが先程の若者を拘束しているのも見えた。
そして。
ふいに背後から甘い香りがした。
「さて、どうしましょう?」
黒いフードの彼女は言った。
「せっかくだから、世界が終わる前に人助けしてみようか?」
消滅したはずの黒衣の彼女に俺は提案してみた。
てなわけで。
救急隊に混じって死傷者の救助のふり(本当の意味で救命なのだが)をしながら、死んでしまったもの、死にかけているものから優先的に彼女と俺は自分たちの血を彼らに注いでいった。まだ腐敗が始まってなければなんとかなろうだろう、最後の七日間ぐらい少しでも彼らの満足のいく生を送れるようにと願いながら。
そして俺たちはその間に互いに手早く自己紹介。
彼女はヴァンピール(吸血鬼)。人間だった頃の記憶はほとんどなく二千年ほど生きている。十字架では死なない、太陽の光で消滅もしない。ただ火傷を負うくらい。
かつては仲間もいたが銀の武器で心臓を壊され死ぬか、血が薄かったのか寿命が尽きて今では彼女だけしか残っていないらしい。何度も吸血鬼狩りに殺されたが、砂が崩れるように肉体と意識が消滅したのち、気がつくと違う場所(場所は選ぶこともできるらしい)再生しているという文字通りの不老不死。人間の血を吸わずにいると一時的に肉体が弱り消滅するがまた再生する。
わたしはこの世界の律から外れた存在なのだと思う、と彼女は締めくくった。
俺は人魚喰い。
千五百年ほど前、ある地方の領主の息子だった。
ある時、領民が捕まえた人魚を献上してきた。父は帝に献上するつもりだったが、その肉を好奇心で喰ってしまった。殺されるほど折檻されたが傷はすぐに治癒。何をしても死なない身体にはなったが、結局絶縁され国を追放された。
そのころは時々人魚が獲れたので俺の他にも人魚喰いはいたが、俺だけがいまだに死なずにいる。
火山の火口に身を投げたこともあったが、その瞬間、少し前の時間に戻っている。
何度繰り返しても同じ。俺もまたこの世界の律から外れた存在になっていた。
俺らが一番恐れているのは、人間も生物も滅亡してしまった後に自分だけが生き残ってしまったら、ということだ。
下手をすると宇宙空間の永遠の孤独の中で、肉体と意識を持ち続けなければならない。
彼女の場合は、肉体の消滅とともに宇宙空間に再生され太陽にでも落下したら、また宇宙空間へ再生される、というのの無限ループ。
俺の場合は、天体衝突の衝撃を永遠に繰り返すという無限ループ。
どちらにせよ地獄だ。
「不老不死」は呪いだ。
愛する人々が時の中を過ぎ去っても、すべてがなくなっても、自分だけが取り残される。孤独という呪い。
人魚はそれほどまでに人を恨んでいたのか。それとも俺がそれほどの恨みを持つほどのことを無自覚にしてしまっていたのか。
おそらく彼女もそういった類なのだろう。
呪いは強い思いだ。
時としてそれは「時間と空間を超えた場」に刻まれる。
俺は人魚に、そして彼女は消え去った記憶の中の何者かに呪われた。
彼女は惑星衝突の情報を長年かけて構築した関係筋から少し前に得ていたそうだ。
それで自分の他に同じような存在がいないか探して俺に辿り着いたという。
死ぬと新たに再生する彼女。
死ぬと死ぬ前に時間が戻ってしまう俺。
彼女は長い年月の間作ってきた情報網から半月前に世界が終わると知り、手を尽くして自分のような存在を探したのだと言う。
短時間によく探したものだ。
不老不死の孤独と恐怖は不老不死者だけが知っている。
だから同族がいたら運命の時を一緒にと願ったのだ。
さて、ひととおりの救命措置も終わった。
ナイフの若い男も、トラックの男も命に別条はなさそうだし、俺たちが血を分けたものたちも蘇生できたようだ。
世界が七日で終わるのに、なにも今死ぬこともない。
この状況で俺たちが消えても追うものはないだろう。
俺たちは七日間を二人で不安と期待を分かち合い過ごすことにする。
なにより、同類に会えて嬉しい。
これで俺たちも消滅できたら最高の世界の終わりだ。
◇◇◇
「わたし」は次元境界面を回遊する存在だ。
次元境界からは様々なエネルギーや力が放出されており、それらを得て存在を維持する。
ある時、その次元境界面のある箇所で歪みを見つけた。歪みは大きくなり力の妙な偏りが出始めた。「わたしの世界」をも狂わせかねない妙な歪みだった。わたしの存在維持に関わる。わたしはその歪みの原因を探った。
それは下位次元である4次元ハウスドルフ世界の「地球」と呼ばれる惑星に起こった事象だった。
地球には生物が発生。その中でも人間という種が繁栄していた。
その地球に高速度で飛来した小惑星が衝突。衝撃で彼らは滅んだ、はずだった。
ところがその中に特異なものが2つあった。
4次元ハウスドルフ世界の世界律を超え、いかな状況においても存在を存続させる2つの個体だ。
ひとりは空間転移再生することによって、ひとりは時間逆転移することによって存在を維持する。
双方ともに「身につけた無生物」も一緒に転移する。つまり衣服などだ。
問題はこの二人が手を繋いでいたこと、消滅と再生が絶妙なタイミングで重なったことだ。
惑星消滅で空間転移体が先に消滅し始め、空間転移が開始される。
その瞬間、時間転移体が消滅、時間が逆転移する。二人がその瞬間手を繋いでいたため時間転移体は空間転移体の消滅中のものも一緒に時間転移してしまう。それでまだ消滅する前の空間転移体と半分消滅しかけた空間転移体が同時に存在することになった。
これがわずか数秒の中で無限に繰り返されているわけだ。
空間転移体の質量が約1.5倍ゲームで増えていく。結果としてその時空がループし、空間に膨大な質量を増やし続けることになってしまった。
これを取り除かなければ、彼らの世界律どころかこちらの世界律も脅かしかねない。
高位次元から下位次元への干渉は比較的たやすい。
まずは律を乱す「時空を超える存在の維持:不老不死性」の排除だ。
元はといえば別次元に突き刺さるように保存された「呪い」や「願い」と彼らが呼ぶ力場の干渉だ。本来下位次元から高位次元の干渉はできないがごくまれに起こる。まさに奇跡とはこういうものなのだろう。
次に増えすぎた質量の排除と時間のループの停止。
時間ループに割り込み(彼らの時空的には時間を止めるという現象になる)、増えすぎた質量は、質量の供給源となった次元へと戻す。
最後に時間を動かす。
時間を止めた分、少々本来から時間がずれ小惑星は地球に衝突することなくかすって通り過ぎることになる。
◇◇◇
地平から一瞬で押し寄せた小惑星衝突の衝撃波を受け、無限とも言える回数を死に再生しを繰り返す時間ループの中に俺たちはいた。
呪いを受けただけの罰はどれくらい続くのだろう、と微かに考えたのは覚えている。
それが唐突に途切れた。
死と再生のループの中、何かの力が連環の鎖をほどいた感覚があった。
その力を示す言葉を俺は知らない。もしあえて言うなら「神」になるのか。
気がつくと俺と彼女は夕焼けの中、俺の事務所兼住居のマンションのバルコニーに佇んでいた。
覚悟を決めた瞬間、互いの手を握り合ったその状態のままで。
「何が起こったのかしら?」
彼女が不思議そうに俺を見上げた。
「わからない。でもあの無限地獄からは脱出できたようだ」
「世界も終わってないわ」
「そのようだな」と俺たちはバルコニーから街を見下ろす。
ヤケになった誰かが火をつけたのか煙が立ち上ったりもしているが、街はまだそこにあった。
「ねぇ、なにか身体の感じが違う気がする。あなたは?」
そういえば、ずっと体の奥に澱のように存在していたものが消えている。
俺はキッチンから果物ナイフを取ってきて、手のひらに突き刺した。
痛い。当然血も出る。そして数分待つ。血は止まらず傷も塞がる気配がない。
「わたしにも貸して」と彼女も同じように手を傷つける。血が滴り傷口はふさがらず。
俺たちは思わず歓声をあげて抱き合った。
もうそれは直感とか天啓とかいうものだった。
——もう不老不死者ではない! これで死ねる。
ひとしきり俺たちは抱き合い、笑いあい、はしゃぎあった。
そして落ち着いた頃。
「そうなるとわたしもう移動に空間転移を使えないのね。好きなところに移動できるのは便利だったのだけど。国に帰るのにどうしようかしら。パスポートなんてないし」
と言い出した。
吸血鬼は吸血鬼なりに、人間は人間なりに何某かの悩みが出てくるものだ。
「嫌じゃなければ俺のところにいればいい」
「あら、それはプロポーズ?」
「そういうつもりじゃなかったけど、それも悪くない」
浮かれついでに言ってみる。
「失礼、冗談だったのよ。でも確かにそれも悪くない気分。
今までずっと一人だったからしばらく誰かと一緒にいたいわ。それが似たような境遇のあなたなら最適ね」
では、と俺は咳払い。
そして厳かに彼女の白い手を取ってひざまずいた。
「俺と一緒に暮らそう。死が二人を別つまで」
それは素敵、と彼女はとびきりの笑顔とともに俺に飛びついてきた。
<了>
ちょっと間が空いてしまいました。
リアルでは火山が噴火したり地震があったり、新型ウィルスの世界規模パンデミックがあったり、放射能がまたもやどこぞで漏れたり、巨大なマンションが突然崩れたり。
そんな中でオリンピックはやっぱり開催されるなどと、小説なら「盛りすぎ。もっと要点を絞って!」と言われそうな状況ですが皆様はご無事ですか?
異常が日常の毎日なんてヘルサレムズロットだけじゃなかったんですね。
さて、本作はpixiv小説部門で行われたイベント「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」用に書き下ろした短編です。オリジナルのタイトルは「死が二人を別つまで」。
このコンテストは「世界はあと7日で〜」的な同じ文言からスタートするのがルール。タイトルに「世界」が付く作品が山ほどで揃うのではとひねったタイトルにしたのですが、アップした直後に後悔したので、こちらへのアップを機に改題しました。
あちらもほとぼりが冷めたら変更する予定。コンテストの終わりが告知されてないので、いつになるかわかりませんが(なんてアバウト!)。
というわけで、皆様今後ともどうかご無事で!