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『コンコンコン』
ドアをノックする音が部屋へと鳴り響く。
「入れ」
イザベルはノックの主に部屋に入るよう促す。
「失礼いたします。ご主人様」
そう言って入ってきたのは奴隷の1人、リアムだった。
リアムはイザベルの座っている机の傍に歩み寄る。
「お前にはこれからこの屋敷の必要な備品の手配等、屋敷全般の運営を取り仕切ってもらう」
そう言って、イザベルはリアムに1枚の書類を差し出す。
「これが今まで調達や購入していた取引先のリストだ。必要なものはここから手配すればよい。また、気に入らなければお前が新たな取引先を選定することも構わない」
リアムは受け取った書類を見つめて、固まっている。
うんともすんとも言わずに書類から視線をはずさないリアムにイザベルは問い掛ける。
「リアム、どうした?なにか分からないこと等あるのか?」
その問いかけにリアムは次に戸惑ったように視線を右往左往させる。
「一体どうしたというのだ。分からないからって罰等与えるつもりもない。正直に言ってみなさい」
リアムはさらに戸惑ったように書類とイザベルを交互に繰り返し視線を向けるが、最終的にはおずおずと小さな声で言葉を告げた。
「…ご、ご主人様、申し訳ありません。…私にはこの書類の内容が…半分くらいしか読めないのです…」
リアムはそう言って罰を与えられることを覚悟したかのように、力強く目をつぶり備えた。
しかし、いつまで待ってもその衝撃は来ない。
おずおずとリアムが目を開けた先には、イザベルの驚いたような気の抜けたような表情だった。
「…リアム、もしやお前文字が読めないのか?」
今度はイザベルがおずおずとリアムに問いかける。
「…はい。文字を半分くらい学んだ時点で奴隷として売られたため、この書類も正式な内容は分からず、半分くらいしか読めないのです」
リアムは偽ったところでどうしようもならないと思ったため、正直に告げた。
「…ふむ。…少しここで待っていろ」
そう言って、イザベルは部屋を出る。
その場で立ち尽くしているリアムは何をどうしてしていいのか分からなかった。
今までの主人は文字が読めないとわかるや否やすぐに罰を下した。
リアムは今も当然そうなると思っていたのに、未だに与えられない罰に心中には戸惑いしかない。
イザベルに仕えることになってからずっと
リアムは予想を裏切られてばかりだ。
『ガチャ』
リアムの心中が戸惑いに満ちている間に、イザベルは部屋に戻ってきていた。
そうして、リアムに少し古ぼけた1冊の本を差し出す。
「これは私が幼い頃に文字を学ぶ際に使っていたものだ。リアムもこれを使って文字を学びなさい」
「…えっ」
リアムの驚きは思わず口から声として漏れた。
「どうした?分からなければ学べばいいのだ。お前はこれからこの屋敷をまとめていくのだぞ。そんなお前が文字を分からなくてどうする」
イザベルはさも当然のように言い放つが、リアムは訳が分からなかった。
***
俺は奴隷だ。ずっとずっと奴隷だった。
それは変わらないし、変えられない。
奴隷はモノだ。
俺が文字を読めなかったのなら、それに代わる新たな奴隷を宛がえばいいのだ
それなのに、それなのに。
俺に文字を学ぶよう、俺がこの屋敷を取りまとめるよう、
今のご主人様が、そう言ってくれるのはなぜなのだ
新しい服も食事も部屋も、そして俺に文字まで学ばせてくれるのか?
この人はいったい何がしたいんだ
何でここまでしてくれるのだ
今まで生きるために捨てざるを得なかった感情が、少しずつ少しずつリアムの中に戻ってきていた