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中編 少女、妬む

 翌朝。


 束本市は霧山台にある、木造平屋建ての建物。


 漆喰塀に囲まれた広い土地には、昭和の風情を色濃く残す日本家屋が聳えている。

 門に下げられた年代物の表札には、墨痕鮮やかに権堂の名が記されていた。


 歴史と風格を感じさせる堂々たる古民家。ただ、門前の柱に取り付けられたインターホンだけが、妙に真新しく光っている。


 そして、そのインターホンに伸びる細い指。


「すいませーん。拓斗君いますかー!」


 呼び出し音の後、元気よく来意を告げたのは、拓斗と同じ年頃をした可愛らしい少女だ。


「ああ、マイコか。少し待ちたまえ」

「げっ――」


 インターホンから返ってきた高く澄んだ声に、少女、森屋(もりや)舞子(まいこ)は喉奥からくぐもった呻き声を漏らす。


 そして数十秒後、開け放たれた門扉の向こう、母屋の引き戸がからりと滑ると、見目麗しい女性が現れた。

 黄金を溶かしたような髪を後ろに束ね、木の葉のように細長い耳を揺らした彼女は、この夏から権藤家にホームステイをしているミニエルである。


 彼女は割烹着にサンダル履きという地味な姿であったが、それゆえに生来の美貌が映える。


 舞子も絹のような黒髪に、釣り目勝ちながらも大きな瞳と、なかなかに可愛らしい顔をしており、彼女自身もそれなりに容色には自信があるのだが、何分相手が悪い。


 エルフという異種族が纏う神秘的なオーラに加え、小学生では逆立ちしても敵わぬ成熟した大人の魅力。


 しかも、そんな女がこの夏から意中の少年の家に居候しているのだから、舞子としては面白くないこと甚だしい。

 話がまるきり噛み合わないこともあり、少女はミニエルに強い苦手意識を懐いていた。


「……おはようございます。ミニエルさん」


 警戒心から声音を固くする舞子。


「おはようマイコ。すまないな。タクトはもう少しかかる」


 だが、ミニエルはそんな少女の様子に気付かぬように、朗らかに話しかける。


「今日は図書館に行くのであったか。いや、勉学に勤しむのは感心だ。君たちの習熟の速さにはいつも驚かされる。人が授かった素晴らしい美質であろうな」


 割烹着エルフの良く分からない雑談に付き合いながら、舞子はそわそわと権堂邸の玄関へと視線を送る。

 しばらくして、廊下を蹴立てる足音がすると、勢いよく引き戸を開けて拓斗が現れた。


「ご、ごめんね舞ちゃん! 待たせちゃった?」

「ううん、へーき。私がちょっと早かったのかな」


 Tシャツにハーフパンツ姿で、肩掛け鞄に夏休みの課題をたっぷり詰め込んだ拓斗が、息せき切らせて玄関先へと出てくる。


「まったく。女性を待たせるのはけしからんぞ。昨夜は布団のなかでこっそりげーむをしていただろう。そんな事だから寝坊するのだ」

「ちょ、気付いてたんですか!? っていうか言わないでくださいよ!」


 腰に手をあて尊大に説教を垂れるミニエルに、拓斗は顔を真っ赤にして弁解する。


「ムムム……」


 二人の親しげなやり取りに、我知らず眉根を寄せるのは舞子だ。彼女は大げさに咳払いすると、


「ふーん。拓斗くんゲーム買ってもらったんだ。なんの?」

「え、チケモンだけど……」

「わ、偶然! 私も始めたばっかりなの。こんど対戦しましょ」


 と、いささかわざとらしい素振りで会話に加わる。


 本当はゲームにあまり興味のない舞子だが、背に腹は代えられない。彼女は市内でも有数の大企業の御令嬢なので、父親におねだりすればすぐに買ってもらえるだろう。


「こらこら。タクトもマイコも、今日は勉学に励むのだろう? 遊ぶのも結構だが、まずは稼業を片付けないとな」


 ミニエルが腰に手をあて、真面目くさってそう窘める。

 この世ならざる美貌の女性が、まるで世話焼きおばさんのようだ。二人の子供は顔を見合わせて苦笑する。


「自転車出してくるね。舞ちゃんの荷物も籠に入れなよ」

「ありがとう」


 拓斗と舞子は雑談を切り上げ、そろそろ図書館へ行く準備を始める。

 するとそれを見ていたミニエルは母屋へと戻り、すぐに割烹着を脱いで戻ってきた。


「私もそこまで見送ろう。今日はお寺に行く日だからな」


 小さな鞄を手にしたエルフは、そう言って子供たちに加わる。


 権藤家に居候することになったミニエルは、持ち前の生真面目な性格から無為徒食に暮らすことを良しとせず、祖母の伝手で近所の山寺で掃除のアルバイトを始めた。


 それもただ金銭を稼ぐためではなく、お寺に掛け合って掃除が済むと山奥の宿坊を貸してもらい、そこで瞑想を行うというのだ。


 世界は違えど、魔力はこの地球にも存在する。

 寺を構えるほどの霊山なら、周囲には潤沢な魔力が満ち満ちている。


 異世界からの来訪者たるミニエルは、いずれ己の世界に戻ることを固く決意している。

 ただ、世界を隔てる次元の扉を開くには、途方もない魔力と緻密な術式計算が不可欠だ。もとより魔王ノーラスとの戦いで疲弊の極みにあった彼女では、一朝一夕にはいかない。


 お寺で働くのは、彼女が力を取り戻すための療養も兼ねているのだ。


「え~、ミニエルさんも来るんですかぁ」


 折角少年と丸一日二人っきりになれると思ったのに、出端を挫かれた舞子が頬を膨らませる。しかし、


「うむ。丁度行き道なのでな。あの辺りは車も多くて危険だ」


 ミニエルは保護者気取りで平然としたものだ。

 自転車を押しながら、そんな二人のやり取りを見ていた拓斗は、


「でも、ミニエルさんが初めて車を見た時はすっごく面白かったんだよ」


 当時の光景を思い出し、笑みを浮かべて溢す。


「え、なになに、私その話聞いてない!」

「ま、待てタクト! あれは違うのだ。誰にも誤解というものはあってだな! いや、人の過ちを話の種にするのはけしからんぞ!」


 盛大に食いついてくる舞子に、珍しく慌てふためいて弁解を並べ立てるミニエル。

 夏の日差しはじりじりと地面を焦がし、朝の爽気は早くも熱気を帯び始めていた。



   ×   ×   ×



「それで、ミニエルさんったら役所の人に延々同じ話してるんだもん。周りの人もなんだなんだって見てくるし、ホント恥ずかしかったんだよ」

「……ふーん。そうなんだ」


 昼過ぎ、夏休みの宿題が一段落した拓斗と舞子は、図書館近くのハンバーガーショップで遅めの昼食を取っていた。


 拓斗はパティが二枚入ったスペシャルバーガーを齧りながら、昨日の役所での一件を舞子に語る。けれど、向かいに座る少女はつまらなさそうに応えると、ドリンクに突き刺さったストローを咥えた。


「本人は全然何とも思ってないし、大真面目に言ってるもんだから、何がいけないかも分かってもらえなくてさ」


 そうぼやきながら、拓斗はナゲットを口に放り込む。ミニエルと祖母のお蔭で動物性蛋白質に飢えている少年にとって、ジャンクフードの濃い味付けは実にたまらない。


「まだ日本の事がわかってないからしょうがないんだけど、……あれで、僕を子ども扱いするんだから困っちゃうよね」


 炭酸飲料で口の中のモノを喉に押し込みながら、拓斗がそう締めくくる。

 だが、ひとくさり愚痴を並べたにも関わらず、その表情はどこか楽しそうだ。


「……やっぱりさぁ、ミニエルさんってちょっと変わってるよね」


 少年のボヤキを根気強く聞いていた舞子は、如何にも不服そうな顔でそう呟く。


「外国の人だからって言っても、ちょっと変過ぎない? あのアニメみたいな耳にしてもそうだし。あれ整形なのかな? 悪い人じゃなんだろうけど、妙に年よりくさいことばっかり言うし……そりゃあ、美人なのは認めるけどさ」


 と、少女はエルフについての不満をぶちまける。今日は拓斗と一日中二人で過ごせるのに、少年ときたら同居人の女についてばかり話すのだ。不満が募るのも無理はない。


「あ、いや、確かにそうだけど、良い所もたくさんあるんだよ!」


 舞子が愚痴をこぼすや、即座に拓斗はミニエルをフォローし始めた。

 突拍子のない言動はこちらの事情を知らないだけだし、口うるさいのは生真面目で思いやりのある証拠だ、などなど。


 だが、少年の説明を聞くたびに、少女は露骨に不機嫌になっていく。


「って言うか、あの人いったい何なの? ホームステイで来たって聞いたけど、いったいどこの国から? 拓斗くん家って、今までそんな事したことなかったじゃない」


 と、舞子が食って掛かるように尋ねる。

 何故少女が機嫌を損ねているかもわからない拓斗は、わたわたと慌てふためくのみ。


「いや、それはその……個人的な話になっちゃうし……」


 異世界からやってきたことは、ミニエルと拓斗だけの秘密だ。いくら幼馴染の舞子とはいえ、本人に了解を取らぬままに話していい事柄ではない。


 だが、奥歯に物の挟まった物言いは、的確に少女の神経を逆なでにした。


「なに? どこの国の人かも教えてくれないの? そんな人が家に居て平気なの!?」


 舞子はもはや怒りを隠すこともなく、拓斗を問い詰める。


「ど、どうしたの舞ちゃん? 声大きいよ!」


 驚いた少年が窘めるも、もはや少女は聞く耳を持たない。


「~っ! もういい! そんなにあの人がいいなら、ずっと一緒にいればいいじゃない!」

「ちょっと、何怒ってるのさ! 訳わかんないよ!」

「知らない! もう私帰る! バイバイ!」


 舞子は隣席の荷物をひったくるように掴むと、拓斗の制止を振り切ってバーガーショップを出て行ってしまった。


「な、なんなのさ、いったい……」


 小学生同士の痴話げんかを、周りの客は興味深そうに眺めているが、当の拓斗にとっては居心地が悪い事この上ない。

 結局、少年は少女の怒りの理由も分からぬまま、一人立ち尽くすほかなかった。



   ×   ×   ×



 バーガーショップを飛び出した舞子は、そのまま当て所なく束本市をさまよい歩き、結局山手の森林公園へと辿り着いた。


「……こんなはずじゃ、なかったのに」


 ベンチに座り、スマホの画面を眺めながら舞子が呟く。


 今日は一日、拓斗と楽しく過ごすはずだったのだ。

 図書館での勉強は午前中で切り上げ、午後は彼を連れて街へ繰り出す。拓斗は真面目なので最初こそ渋るだろうが、優しい彼はきっと付き合ってくれたはずだ。


 いつもは他の友達がいるので、二人っきりになれるチャンスは少ない。今日は舞子にとって、夏の思い出を作る勝負の一日になる予定だったのだ。


「……私の……ううん、拓斗くんの、バカ」


 口をついた自嘲の言葉を、少年への悪罵に変える。


 彼ときたら、自分がここまでよくしてやっているのに、全然好意に気付かないのだ。小学生男子はまだまだお子様だが、それにしても酷い。


「はぁ……ミニエルさん。何であんな人が出て来るのよ」


 酷いと言えば、事態を混乱させているのはあのエルフだ。

 突如として二人の間に割り込んできた大人の女性。来歴は不明で、言動も怪しいくせに、不思議なほどに魅力的な彼女。


 あんな美人が近くに居れば、少年が惹かれてしまうのも無理はない。

 とんでもないライバルが現れた不運と、千載一遇のチャンスを嫉妬で不意にしてしまったことに、舞子は深く項垂れる。


「……もう、別にいいかな、ゲーム」


 スマホの液晶に映っているのは、拓斗が購入したゲームだ。少しでも彼との仲を深めようと、父にねだって買ってもらおうと思ったのだが、そんなことであの鈍感男を振り向かせることができるのだろうか。


「ほんっと、子供なんだから……」


 舞子が悔しそうに悪態を溢す。

 苛立ち紛れにあちこち歩き回ったため、足が痛い。

 それにもう日が暮れようとしている。このままでは門限を破ってしまうし、習い事にも遅れてしまう。舞子は嫌々ながらに立ち上がった。すると、


「え……」


 何時の間に現れたのか、茜色に染まる公園の敷地内に、ライトバンが停まっている。


 初めは園内作業車かと思ったが、中から出てきたのは平服の男が二人。それも、真夏にも関わらず長袖長ズボンで、口元をマスクで隠している。


 そして男たちははっきりと少女を指差すと、二言三言、何事か言葉を交わした。


「っ……」


 舞子の全身が、沸き起こった恐怖によって凍りつく。


 慌てて周囲を見渡すも、夕暮れ時の森林公園には、彼女以外に誰の姿も無い。


 舞子の父は、束本市でも有数の大会社の経営者である。常日頃から、人気のない所や危ない場所には立ち寄らぬよう言い含められていた。


「な、なによ……」


 まっすぐこちらへと歩み来る覆面の男たち。

 舞子は急き立てられるようにして立ち上がったが、それと同時に、男たちは猛然と駆けだした。


「こ、こっちに来ないで! きゃ、きゃああぁぁぁぁ!」


 舞子の悲鳴が夕焼け空に木霊する。


 だが、それに答える者は誰もいない。ただ、立ち並ぶ木々だけが、蛮行の一部始終を目撃していた。



   ×   ×   ×



「まったくもう、舞ちゃん何処に行ったんだよ……」


 同時刻。自転車で束本市内を走りながら、拓斗は幾度目とも知れぬため息を溢す。

 舞子が急に不機嫌になり、バーガーショップを飛び出してから数時間。


 始めこそ茫然としていた少年であったが、とにかく少女の怒りの原因が己にあると悟ると、何はともあれ彼女に謝罪しようと行動を開始した。だが、


「電話も繋がらないし……よっぽど怒らせちゃったみたいだなぁ」


 依然として、舞子とはいっさいの連絡が取れない。

 自転車を止めてスマホを取り出す。着信、メールともなく、LINEも既読が付いていない。完全に無視されている。


「やっぱり、もう家に帰っちゃったのかな」


 幼馴染の冷淡な反応に、拓斗は悄然と肩を落とす。

 今日は午後から街へ出て遊ぶ予定だった。舞子も楽しみにしていただろうし、拓斗だって同じだ。それが、こんなに無残な一日になるなんて。


「……明日なら、ちゃんと話を聞いてくれるかな」


 夕日の差し染める街角で、自転車を止めたまま項垂れる少年。


 そんな彼に、歩み寄る人影が。


「こんなところでどうしたのだタクト。あまり寄り道はせぬようにとフサエ夫人にも言い付けられているだろう」


 夕日を浴びて輝く金髪に、エメラルドのように美しい瞳。

 木の葉のように細長い耳を揺らしたミニエルが、そこに立っていた。


「み、ミニエルさん!?」


 気落ちしていたところにいきなり話しかけられ、拓斗が慌てふためく。


「偶然だな。ちょうど、夕食の買い物をしていたのだ」


 ミニエルは恬然として、手に下げたエコバックを見せる。

 お寺でのアルバイト、そして瞑想が済んだ彼女は、街まで降りてきて商店街をぶらついていたらしい。


 日も暮れかけていることもあり、結局二人は並んで家路につくことになった。その途上、


「なるほど。しまったな、人間は早熟なのを失念していた」

「え、ミニエルさんは舞ちゃんが怒った理由、分かるんですか?」


 川べりの遊歩道を歩きながら、舞子の一件を相談した拓斗に、ミニエルはやれやれと頭を振って応じる。


「君にはまだ理解できないかもしれないが、男女の思考の別は、時に種族間のソレをも上回るのだ。平たくいうと、タクトはまだ女性の気持ちを理解できていないな」

「え、そうなのかなぁ……」


 自信満々に講釈を垂れるエルフに、拓斗は半信半疑の面持ちである。


「まあ、私の咎も少なくは無い。きっと、マイコも不安になってしまったのだろうな。……ふむ。人間は本当に大きくなるのが早い。早すぎるほどだ」


 そういって、ミニエルはどこか嬉しげな、そして寂しげな微笑を浮かべる。


 永遠に等しいほどの寿命を持ち、文化的に成熟しきったエルフにとって、人間の生き様は余りにも眩しく、儚い。

 幼い少年少女の恋模様に、エルフは清々しい思いで耳を傾ける。


「後で、私の方からマイコに話をしてやろう。それで随分変わるはずだ」

「ほ、ホントですか!」


 ともあれ、拗れてしまった仲は解きほぐさねばならない。ミニエルは胸を反らし、舞子を宥めてやると請け負う。

 そうして二人で和やかに歩いていると、不意に拓斗の携帯電話が鳴った。


「あ、舞ちゃん――じゃない、舞ちゃんのお母さんだ」


 少女からの返信かと喜び勇んで取り出してみれば、液晶に表示されたのは、舞子の母親の番号である。

 とにかく電話に出た拓斗は、そこで不穏な話を聞くことになった。


「どうも、おばさん。はい――はい。え? ううん、舞ちゃんは一緒じゃありませんけど……え、まだお家にも帰ってないんですか? は、はい……」


 通話を終えた拓斗は、深刻な表情で押し黙っている。


「どうした? マイコの御母堂が何かおっしゃったのか?」


 いったい何事だろうかと覗き込むミニエル。すると拓斗は、


「舞ちゃんに連絡が取れないって、舞ちゃんのお母さんが……」


 と、暗然たる面持ちで答える。


 少女の母親は、舞子が夕方の習い事の時間になっても戻ってこないと言う。

 てっきり拓斗と一緒に遊ぶのが楽しく、連絡に気付かなかったのだろうと思って彼に電話したそうなのだが、少年とて舞子の行方を捜しまわっていたのだ。


「……おかしい、変だよ」


 拓斗がひとりごちる。

 舞子はお転婆なところこそあるが、真面目で良識的な少女である。

 いくら腹を立てたからとはいえ、それを理由に習い事をすっぽかすような子ではない。


「よっぽど、そんなに……傷つけちゃったのかな」


 もし、そこまで少女が追い詰められたのだとしたら、それは少年の責任だ。

 拓斗は悔恨に幼い顔を歪める。すると、


「なら、マイコに直接会って話をすればいい。大丈夫。きっとタクトの思いは伝わるだろうとも」


 と、ミニエルが朗らかにそう言う。そして、


「そのからくりが頼りにならないというなら――ふふ、君に神秘を見せてやろう」


 遊歩道のど真ん中で立ち止まったエルフは、なにやら瞑目して精神統一を始めた。


「風の息吹を受け立つ者達よ、大地に満ちる豊穣なる先達者よ。我汝らに請う。我らの愛しき輩、その面影を顕したまえ」


 ミニエルの口から、朗々と溢れ出す言葉。


 優美な韻律にそって歌うように紡がれた呪文は、やがて大気に溶け消え、そして世界の裏側、魔力に満ちた空間へと働きかける。


「な……」


 拓斗が異変に気付いたのは、詠唱が終わってすぐのことだった。


 あたりの空気が、明らかに変質した。

 川岸の湿り気を帯びた空気に、若草の匂いが混じる。

 吹き抜けていく風が、まるで意思を持ったように彼らの身体に触れていく。


 それは、言葉では説明できない感覚。

 五感全てが未知の体験に触れたかのような、奇妙で清々しい気持ち。


「え、嘘!」


 次いで現れた現象は、さらに劇的だった。


 意思を持つような涼風に煽られる拓斗の脳裏に、奇妙な力が押し寄せる。

 それは言葉に依らず、視覚に依らないある種のイメージ。


 五感から得られる情報が無いにも関わらず、まるで自分がその場に居合わせているかのような、実感を伴う幻影。

 否、直に拓斗は気付いた。それは、風を受けて立つ木々の感覚なのだと。


 遠く離れた地の、植物の感覚を味わうという奇跡。

 ミニエルが起こした、地球上ではありえない魔法の産物。


 だが、少年はその超体験に浸る事さえできなかった。

 目の前で起こった事件を、舞子が不審者に連れ去られ、車に押し込まれる様子を感じ取ってしまったからだ。


「舞ちゃんッ!!」


 吾知れず叫ぶ拓斗。その瞬間、彼の脳裏から幻影はきれいに消え去り、再び河川敷のぬるく湿った風が押し寄せてくる。


「……動くぞ。タクト」


 もちろん、その幻影を見ていたのは拓斗だけではない。

 先ほどまで呪文を詠唱していたミニエルが、冷厳な声で命じる。


 その眼差しは鷹のように鋭く、表情は真剣そのもの。

 子供や植物を慈しむ養育者ではなく、森を荒らし、不義を成す悪党を射抜く戦士として、エルフは総身に戦意を滾らせた。





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