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前編 エルフ、訴える

 三十二万の人口を抱える日本の地方都市、束本(つかもと)市。


 市役所は二年前に耐震工事を終えたばかりで、鉄筋コンクリート構造の現代的な建物は、夏の日差しを受けて白々と輝いている。

 空調の効いたロビーには、月曜日ということもあって多くの来庁者の姿があった。


 書類にペンを走らせるスーツ姿の男性や、窓口で税金の相談をする初老の女性、長椅子でスマホを眺めながら呼び出しを待つ若者など、およそ日本のどの都市でも見られるだろう平凡な光景。


 だが、この日の束本市役所には、明らかに異質な物体が紛れ込んでいた。


「――よって、諸君らは私の話を理解に苦しむやもしれない。ただ、一聴の価値がある忠言であることに間違いはないのだ。そもそも、街路に木を植えるという選択は大いに結構であり、称賛に値する。問題なのは――」


 市民の相談窓口で、職員相手に一時間ほど前から長広舌をふるっている女性がいる。


 鈴を転がしたかのような、高く澄んだ美しい声。それでいて口調は厳かで堅苦しく、どこか老成した印象を感じさせる。

 年の頃は二十に届くかどうかといったところか。


 黄金を溶かして梳いたような美しい金髪に、エメラルドを填め込んだように大きな瞳。

 雪のように白い肌は日焼けとは無縁で、顔立ちは神が手ずから彫り上げたように整っている。

 まるでこの世ならざる世界からやって来たかのような神秘的な美貌。


 否、その女性は果たしてこの世の存在なのだろうか?

 金髪の女性には、現生地球人とは明らかに異なる特徴があった。


 ――耳、である。


「聞けば、この国の街路樹は古くは日よけや果実を食するために植えたそうだな。まことに理にかなった活用法だ。木々の恩恵を存分に受け、それ故に人々もまた――」


 演説をぶつ合間に、ぴこぴこと女性の耳が揺れる。

 彼女の耳はなんと木の葉のように細長く、先が尖っているのだ。


 そんな異相の女性を、来庁者がちらちらと眺めては通り過ぎていく。

 別段声を荒らげる訳でもなく、顔立ちと耳を除けば服装も夏用ワンピースにパンプスと至ってまともな彼女。


 ただ、オーラとでも言うのだろうか。その姿身からは名状しがたい誘引力が発せられており、市民たちの耳目を自然と集めてしまうのだ。


「はあ、はい。つまり、街路樹の剪定の仕方に問題があると……」


 カウンターの向こうに座る職員も、この奇妙な来訪者を扱いかねている様子である。

 ベテランだろう四十代の男性職員は、困惑顔で来意を問う。


「剪定ではなく、取扱いそのものの問題だ。いや、植物に対する心構えに関しての話だと思ってもらいたい」


 金髪の女性は先ほどまでの会話が何一つ通じていないことに嘆息すると、まるで出来の悪い教え子に噛んで含めるかのようにそう告げる。


 親ほどの年齢の職員に対して尊大極まる態度だが、それが不遜に見えないのは、彼女の纏う雰囲気故か。


「はい。ともあれご意見書を作成しますので、よければ在留カードなど、身分証をご提示いただけますでしょうか」


 いい加減対応にも疲れたのだろう。男性職員が書類を棚から引っ張り出し、無理矢理話を纏めようとする。だが、


「在留かーど、とはなんだろうか? 生憎、身分を明かせるものは何も持ち合わせていないのだが……」


 と、金髪の女性は初めて困った風に眉を寄せる。

 市役所に身分証も持たずに訪れた外国人に、職員は訝しげな眼差しを向ける。さては何か後ろ暗いところでもあるのか、と勘繰ったらしい。


「ああ、ではお名前と現在お住まいの家の住所をお教えください」


 ただ、余りに佇まいが堂々としており、日本語も達者。また訴えの内容も他愛ないものだったので、職員はこの女性は束本市の市民だろうと考えなおしたようだ。だが、


「うむ。私はゲルカナッシュの森、アメティラの系譜に連なるアラヴィンの子、

 ミニエルである」


 音吐朗々と、女性は訳の分からぬ名乗りを上げた。


「ん、んん? すみません。今なんとおっしゃいました?」


 耳慣れない横文字の羅列に、職員が思わず問い直す。しかし、


「梢のミニエルと呼ぶ者もいる。若枝を弓につがえ、ウダンの大悪鬼を射抜いた際に付けられた名だ」


 ミニエルと名乗った女性は職員の困惑などてんから気付かぬ様子で、自らの勲を誇らしげに語り始めた。


「え、えーと、梢野ミニエルさん、ですね。ご住所はどちらに?」


 訳の分からぬ話が始まらないうちに、職員が慌てて先を促す。するとミニエルは胸を反り返し、


「それなら分かるぞ。私が寓居しているのは、束本市、霧山台、四丁目の……」


 そう言葉を続ける。するとその時、


「ミニエルさん! 何やってんですかこんなところで!」


 市役所に少年の声が響いた。


 ロビーはおろか吹き抜けの二階、三階まで聞こえる大声を張り上げたのは、小学校高学年ほどの少年だ。

 よく日焼けした利発そうな少年が、血相を変えてミニエルの座る窓口へと駆けてくる。


「ああ、タクトか。君こそどうしたのだ? 今日はマイコと水練に行くはずだろう?」

「市役所にエルフが居るって噂になってて、プールから急いで来たんですよ!」


 目を三角にしてミニエルへと詰め寄る少年は権堂拓斗(ごんどうたくと)。彼女が身を寄せている権堂家の一人息子である。


「それは不思議でもなんでもないだろう。忘れたのか? 昨夜私に官吏を頼れと言ったのは君ではないか」


「ぐ――そりゃ言いましたけどっ!」


 可愛らしく小首をかしげるミニエルに、拓斗は話が通じないと地団太を踏む。ただ、


「あの、すみませんお客様。他の方の迷惑になりますので……」


 どちらにせよ公共の場に相応しい振る舞いではない。

 迷惑な客がもう一人増え、職員が心底うんざりした様子で窘める。


「ああすまない。普段はしつけの行き届いた良い子なのだ。どうしたタクト、声を荒らげるなど君らしくもない」

「あなたの所為ですってば!」


 まるきり子供をあやすようなミニエルに、今度こそ拓斗は顔を真っ赤にして叫ぶ。


「とにかく出ますよ! 役所の人に迷惑かけちゃいけません!」

「何を……こら、待ちたまえ。私はまだ所要を果たしていない」


 拓斗はミニエルの繊手を掴むと、半ば無理矢理に市役所の出口まで引っ張っていく。

 不思議な美女が少年に連れられていく光景を、来庁者と職員たちはそろって怪訝な面持ちで見送った。



    ×   ×   ×



 逃げ水を追いながら、金髪の美女と黒髪の少年が連れだって歩道を歩いている。


「ううむ。それにしても暑い……ガラドナの炭鉱街を思い出すな。暮らすには便利なのだろうが、街を全て石造りにするのはやりすぎではないか?」


 照りつける陽光とアスファルトからの輻射熱に苦言を溢しつつも、ミニエルは端然と背筋を伸ばし、その歩みには澱みが無い。


 夏の刺すような日差しに目を細めているが、殆ど汗もかいていないようだ。

 種族的な特性だろうか。あるいは、それ故に暑さに弱いのかもしれない。


「知りませんよそんなの。ていうか僕言いましたよね? どこかに行くなら、僕やお婆ちゃんが付いて行くって!」


 だが、そんなエルフの愚痴を跳ね付けるようにして、拓斗少年が吼える。


「仕方なかろう。君はマイコと水練に出かけてしまったし、フサエ夫人に同行を頼もうにも、老人会の集まりがあるらしいのだ。なに、この世界の官吏は実に謹直らしいではないか。たかだか陳情に赴いたところで、罪には問われまい」


 だが、ミニエルは己の所業に恥じるところなど無いと言わんばかりに、胸を張って得意げにそう語る。


「ああもう! そういう話じゃなくてですね……」


 話の通じないエルフに、少年は呆れ半分、怒り半分のため息をつく。


 彼、権堂拓斗が異界のエルフ、ミニエルと出会ったのは三週間ほど前。丁度、終業式を終えて夏休みが始まろうという日だった。

 友人たちと街の山林公園に遊びに出かけた拓斗は、連休の初日ということもあり、ついつい熱が入りすぎてしまった。


 現地解散した時には既に日は暮れ、門限破り間違いなしという時刻。

 友人たちを見送った拓斗が慌てて自転車に飛び乗ろうとしたとき、彼は不可思議な光景を目の当たりにした。


 雑木林の一画が、真昼のように光っている。

 街灯や焚火とは違う、まるで空間そのものが発光しているかのような奇怪な現象。


 好奇心に駆られるままに近寄った拓斗は、木立の陰で仰臥する女性を見つけたのだ。

 慌てて介抱してみれば、女性はすぐに起き上がった。そして不思議な呪文を呟くと流暢に日本語を喋り出し、己はエルフのミニエルだと名乗る。


 なんでも、ノーラスという強大な魔王と戦い、あと一歩という所まで追い詰めたのだが、空間転移の魔法を掛けられたという。


 余人ならまったく取り合わない世迷言だが、純真無垢な少年はすぐさまその話を受け入れた。

 そして紆余曲折を経て、ミニエルは元の世界に戻る術を見つけるまで、彼の家に住むことになったのだ。


「しかし、ぷーるに戻らなくていいのか。マイコが待っているのでは?」

「向こうで別れましたよ。ミニエルさんを一人にしてらんないですから」

「なにをこましゃくれたことを。こちらに来て日は浅いが、子供の世話になるような歳ではないぞ」


 ただ、異世界からやってきたこのエルフは、思いの他難物であった。

 知性は高く、日本の一般常識はすぐさま理解したのだが、しかしそれに迎合する気はさらさらない。


 社会制度よりも己の価値観に則って行動する為、珍妙な事件を引き起こすこともしばしば。これはどうやら、種族としての考え方が人間と根本的にずれているかららしい。


「むう……」


 別けても困るのが、()()()()()()()()()()()()()()


「またですか?」


 歩道に植えられているイチョウを見て、ミニエルの顔が曇る。


「ああ。……やはり君らには理解し難いだろうが、私には、彼らの苦しみが分かるのだ」


 道路標識を隠すように枝が伸びていたのだろう。そのイチョウは上部の枝の殆どが切り払われていた。また、植えた場所が車道側に寄りすぎており、成長過程で歩道の柵が幹に食い込んでしまっている。


 特に専門知識のない拓斗からしても、状態が悪いことは一目で分かった。ただ、


「……でも、ミニエルさんはバリバリ野菜食べるじゃないですか」


 ミニエルはエルフのイメージそのままに、完全な菜食主義者だ。しかも、人並みに量を食べる上、野菜嫌いの拓斗に御小言まで垂れる始末である。


 植物を大事にするなら、自分が食べるのはどうなのか。プールを切り上げざるをえなかった恨みもあり、少年が拗ねたように問う。すると、


「ふむ……君にも分かりやすく説明するとだな」


 ミニエルは抗議にまったく気付いた様子もなく、まるで幼子に言い聞かせるように、諄々と話し出す。


「君が牛を食べるのも、その皮を着衣とするのも、何も問題はない。我らは何かを口にせねば生きていけぬのだし、暑さ寒さを凌ぐ必要もある。そのように神が我らを創りたもうたのだ。――ただ、だからと言って畏敬の念を忘れてはならない。君は牛が大好物だが、人間の為に殺されるのは哀れと思うだろう? それがもし、意味も無く苦しめられ続けているとしたらどうだ? 道義に外れた、戒めるべき行いだとは感じないか?」


 と、ミニエルが凛然と語りかける。


 受け取る人間によっては、只の詭弁と一蹴するだろう主張。

 ただ、人ならざるオーラを纏うエルフが心の奥底から紡いだ言葉には、奇妙な説得力があった。


「そりゃそうですけど……でもそんなこと言ったって、暮らしていくにはある程度仕方がないじゃないですか」


 一面では間違いなく理屈は通っているのだが、それでもやはり、彼女の主張は拓斗にとって理解し難い。


 まだ小学生の彼ではあるが、おぼろげながらに世の仕組みは理解している。

 現代文明の恩恵を受けて暮らしている以上、動植物に負担を強いるのは必然である。人間は森を切り開き、家畜を隷属させることで繁栄を成し遂げたのだ。


 今更文明を放棄し、ミニエルのような自然主義者に戻ることはできない。


「……そうか、仕方ないか。……いや、そうだろうな」


 拓斗の反論に、ミニエルは怒った風でもなく、むしろ悄然と肩を落とす。

 美貌を憂愁に曇らせ、木の葉のような耳までしなだれて、本当に悲しそうだ。


「あ! いやでも、分からないわけじゃないんですよ! ただ、みんながみんな、生活を見詰め直すのは、すごく難しいかなって……」


 拓斗は慌てて憂い顔のエルフに補足を入れる。


 滅茶苦茶な理屈ばかり捏ねて、面倒事ばかり引き起こすミニエルだが、少年はどうしてだか、このエルフが嫌いにはなれなかった。


 見た目の美しさも、ファンタジーへの憧憬もあったのだろう。

 ただそれ以上に、深い叡智と純粋な心根を併せ持ち、己の信ずるところを成し遂げようとする強い意思を持った姿に、少年は知らず知らずに心を惹かれていた。


「そこに気付くだけ、君は優秀だぞタクト。人間は活力に溢れた素晴らしい種だが、少々視野が狭すぎる。己の生きる世界以外にも、謙虚に目を向けなければならない。そうすることで、我々の世界は正しい意味で広がるのだ」


 とはいえ、ことあるごとに上から目線で説教を垂れる癖はどうにかならないものか。

 寿命が違うと言ってしまえばそれまでだが、ミニエルにとっては人間全てが頑是ない子供のように見えるらしい。


 本当に子供である拓斗などは、おしめもとれていない赤子のような扱いだ。

 男としての自覚が芽生え始めた小学校高学年に、この扱いは甚だ屈辱である。


(でも、ミニエルさんも頑張ってるんだよなぁ)


 それでも、見知らぬ異世界にただ一人流れ着き、懸命に暮らしているミニエルを、拓斗はやはり心から尊敬している。


「ああそうだ。帰りに商店街に立ち寄ろう。トーフを買うのだ。フサエ夫人にシラアエという料理を教わるのでな」

「はいはい。お財布ちゃんと持ってきてますか?」

「うむ。ぽいんとかーどに割引くーぽんも万全だとも」


 先ほどまで言い争いをしていたのが嘘のように、二人は蝉しぐれの中、仲良く買い物の相談を始めた。





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