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木星戦記  作者: 淡嶺雲
第一部
8/12

第8話

 十月二四日、ウィーンで開かれた国際会議は水星の処遇を決定するとともに戦費の回収の方法についてが議題であった。会議自体に凛華と光一郎は出席しなかったが、夕方から開催される舞踏会に出席するように指示を受けた。軍服では無粋でなかろうかと少し心配するも、礼装で問題なしとのことであった。光一郎は軍服のまま出席したが、それでも凛華はチャイナドレスを身にまとっていた。

 日が傾き辺りが薄暗くなる頃、宴は始まった。明道はEU要人の相手をするため二人の側をすぐ離れたが、じきにルーデンドルフ元帥がいらっしゃるだろうと言い残した。音楽が流れ始め、二人は特に踊るでもなく側のテーブルにあったシャンパンで唇をぬらしていた。

「相手を探しには行かないの?」

凛華は光一郎に尋ねた。

「いえ、元帥のいらっしゃるまで待ちますよ」

「へえ、そう」と言って再びシャンパンを口に含んだ。

「Amiral, voulez-vous danser avec moi?(提督、私と踊っていただけますか)」

凛華は不意に横から話しかけられ、振り向くと、タキシードを着た男性、歳は二十代から三十代ぐらいだろう、がいた。その誘いを受けようか。恐らく相手は私を知って話しかけている。とすればそれなりの人物だろうか。逡巡は一瞬であり、すぐさま答えを笑顔で返した。

「Oui, monsieur, avec plaisir.(ええ、喜んで)」

 そして光一郎の方にグラスを渡すと「ちょっと行ってくるね」といってそのフランス人について行った。

「Monsieur, comment vous appelez-vous?(お名前はなんとおっしゃいますか?)」

「Louis Carman, Amiral Zao. Trés content.(ルイ・カルマンです、提督。お会いできて光栄です)」

「Moi aussi.(私もです)」

その様な会話を交わした後、二人はダンスを始めた。彼は彼女の渡したグラスを机の上に置いて、自分は皿を取って料理を少しつまもうとしたところで、いきなり話しかけられた。英語で、ドイツ訛りが入っていた。

「君が榊光一郎少佐だね」

 彼は九月の時点で昇進していたためそう呼ばれた。振り向くと、六十歳ぐらいかと見えるオリーブ色の背広型軍服に身を固めた白髪交じりの老人が立っていた。階級章が元帥だと示していた。写真でみたルーデンドルフ元帥に間違いなかった。思わず彼は条件反射的に敬礼すると「そうであります、閣下」とこわばりながら答えた。

「いや、楽にしてくれ。話は聞いているだろう」

「はい」

「用事があって来てもらったわけだ」

「それは伺っておりますが、その用事というのは何でしょうか」その目的は心当たりがあったが、彼は尋ねるのである。

「君に会いたいという人がいてね。エーリカ、来なさい」

 老人がそう言うと群衆の方から光一郎よりは数歳年下と思える少女がやってきた。ショートの栗色の髪を左右に分け、オリーブ色の、襟元に鉄十字を伴った立折襟タイプの軍服に、スカートというEU西欧州軍の士官の軍服を着用していた。その顔に見覚えがあり、彼は自らの推測が正しいことを悟ったのであった。

「エーリカ・ルーデンドルフです。お久しぶりです、榊少佐」

 彼女は榊に向かって敬礼をすると、そう挨拶した。

「私の孫だよ」元帥は言う。

「アルテミス号以来ですね。ずっともう一度お会いしてお礼を言いたいと思っていました」

 少女は純粋そうな瞳で光一郎の顔を見上げながらそう話す。彼は彼女との再会を驚くというよりも(予期していたことであったからだが)、軍服を彼女が着ていることであった。

「君、軍隊に入ったの? あの時はたしか一四だから……今は一七だよね」と思わず光一郎は聞いた。

「はい」

「十七で士官!」

「ええ。去年ケンブリッジで博士号をとりまして、技官として入隊しました」

 また驚いた。目の前にいるあどけない少女が博士号持ちとは!

「専攻は何だったの?」

「高エネルギー物理学です」

 それが軍のどの分野と関係があるのか光一郎には分からなかった。

「どうして軍に」

「少佐にあこがれたからです」

 光一郎は面映ゆかった。エーリカは顔に屈託のない微笑を浮かべていた。

凛華もルーデンドルフの到着に気づいたらしい、カルマン氏に用事を告げると光一郎の所へと戻ってきた。

「ルーデンドルフ元帥、お会いできて光栄です」彼女は元帥に敬礼しながら話しかける。

「こちらこそ、曹提督」

「彼のおかげです」と彼女は光一郎の方を見たところで、少女の存在に気づいた。

「その子はどなたですか?」

「ルーデンドルフ元帥のお孫さんです」光一郎が代返した「アルテミス号事件の時、私が救出した乗客のひとりです。救出作戦の時、最も良く協力してくれたんです」

「なるほどね」と彼女は了解の微笑を浮かべた。「前少し言っていたドイツ人少女って彼女だったわけか」

「初めまして、曹閣下。エーリカと申します」少女は凛華に敬礼した。

「こちらこそはじめまして、小姐(お嬢さん)」凛華はにこやかに答え、手を伸ばして握手した。「情報学や物理学に詳しいって聞いてるけど」

「はい。コンピューターの扱いも得意です」

「得意なんてもんじゃない。それであの時は助かったんですよ」と光一郎。

「あと、素粒子物理学にも興味があります。来年、月面アリスタルコス素粒子研究所が稼働しますよね」

「ええ。あそこは中国とインドの共同研究所だけどね。最新の研究をするみたいだけど。見学したい?」

「そこでなのだが」とルーデンドルフ元帥が本題に入ろうとする。凛華は姿勢を起こし目線を元帥に向ける「エーリカを中国に留学させたいのだよ。その後見人を二人に頼みたい」

「よろしくお願いします」とエーリカは二人を真っ直ぐ見つめている。

 凛華は一瞬驚いた顔を見せた後、すぐに笑顔に戻って「私は構いませんよ。こちらでの面倒は見ましょう。留学の件に関しても、私の方から頼めば国内での自由は多分にきくでしょうし」と言って横目で隣の光一郎を見る「もっとも、小姐は私より彼の同意の方が欲しいのかも知れないけど」とにやりとした。エーリカは少し顔を赤くする。

「いえ、私ももちろん構いません。ただ心配なのが、私も中国への交換留学生ですから、本国にいつ召還されるか分からない、ということでしょうか」

「それはもちろん断りじゃないわよね。日本人は曖昧な言葉を使って断るというけれど」

凛華は皮肉めいた笑みを浮かべている。

「とんでもないです。自分が中国にいる間は、その任、務めさせていただきます」と彼は返した。

「ならありがたい」と元帥。

「ありがとうございます」とエーリカも礼を述べる。

「こちらはいいとして」と凛華は元帥の方に視線を戻した「EU軍内での同意は得られているんですか? 情報などの安全保障の観点からして」

「EU国内の法では問題なかろう。中国とわが国は同盟関係にあるから」

「我が国の第二皇女殿下が英国のウェールズ大公に嫁ぎましたしね」と凛華。

「あと、外務省関連の書類はカルマン参事官に頼んである」

「カルマン氏?」と凛華は返す「私がさっき踊っていた方ですね」

「そう、ルイ・カルマンだよ」

「ずいぶんと若く見えましたが」

「少将も十分お若い」と元帥は笑いながら言う「しかし、能力は十分にある。外務省の人間だが、それ以外でも結構仕事をしていると噂だ」

「頼りになりそうで」

 このように続いていたしばしの歓談の後、元帥はちらりと腕時計に目をやった。

「それでは私は先に失礼するよ」と元帥は立ち去ったが、エーリカはその場にとどまった。

「少佐、顔が少し赤くなってるわよ?」元帥を見送った後光一郎の方を見た凛華がそう言った。

「部屋が暑いからでしょう」

「じゃあ少し夜風に当たる?」

 三人は会場の端にある扉から中庭に出た。庭園にはすでに数名おり、扉の側にはテーブルとその上にシャンパンが置かれてあった。

「わあ、空、見てください」

 エーリカが夜空を指さして叫んだ。二人が見上げると、巨大な帚星、後に二二三八年の大彗星と呼ばれる星、が長く尾を引き光っていた。この彗星に争乱の前兆を感じ取り、胸騒ぎを覚えた人も多かったという。光一郎もその一人であった。                             

「そういえば、彗星は凶兆だという伝説がありますね」エーリカは空を見上げている二人に言った。

「迷信は信じるに値しないよ」と光一郎は返したが、それは自分の中の不安を抑えようとしてのことだった。その時だった、凛華はテーブルからシャンパンのグラスを取ると、それを高く掲げた。

「長星、汝に一杯の酒を勧めん」

 唖然とした二人をよそ目にそれを飲みほすと、彼女は言った「凶兆だろうが吉兆だろうが関係ないんじゃない?」そして再び夜空に視線を戻した。

 光一郎も視線を戻した。高く澄み切った夜空の中でその星はまるで暗闇に投じられた矢のようにも見えた。まるで新しい生命に向かって花開かんとするものとも思える。確かにそうかも知れない、凶兆だとしてなんになる、世豈万年の寧静あらんや。森羅万象を包む宇宙の定理は、諸行無常の理を示しているのではないか。さらに夜空全体を見渡したとき、永遠の時と無数の星の中で、そこには一種の郷愁も感じられた。自分が宇宙の一部であり、そして宇宙が自分であるという感覚。その時人は時間と空間を超え、「時」の中に生きているのだ。ふと昔の記憶がよみがえってきた。そこには一人の少女の姿があった。ショートカットの金髪に風を受け、彼女の瞳と同じ色をした青い海を見つめていた。彼女は今どうしているのだろう、この空を見ているのだろうか、とふと思った。

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