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木星戦記  作者: 淡嶺雲
第二部
11/12

第11話

 日本国宇宙軍ティコ基地に榊光一郎が着任したのはその翌日の事であった。彼は指示されたとおり、宇宙軍月司令部指令官室に出向き、その扉を叩き、中に入った。

 はじめ目に飛び込んできたのは奥の壁に掛けられた『鹿島大神宮』と書かれた掛け軸、二十畳ほどの執務室の真ん中にはデスクとコンピューター端末が置かれていた。そして、その右隣に、白い士官の軍服を着てスカートをはいている、ストレートの黒髪の若い女性――正しくは、若い女性型アンドロイド――が腰に左手を当て立っていた。彼女が月司令部指令官にして日本国宇宙軍第一艦隊司令、戦艦扶桑艦長、参拾壱式アンドロイド、卯月葵大佐であった。

「榊光一郎少佐、只今着任しました」

 彼女はそれに答えずゆっくりと歩み寄ってきた。そして微笑をつくる。全く、耳のあたりに見えるアンテナを除けば、ほとんど人間と見分けが付かないじゃないか、と光一郎は思った。

「月司令部へようこそ」

 人間と違わぬ声で、彼女は初めて口を開いた。そして手を差し出してきた。彼がその手を取り握手をしようとした次の瞬間――彼は一歩後ろに飛び退いていた。さっきまで彼の胴があった空間を彼女の日本刀が薙いでいた。彼は後ろによろめき、尻餅をついた。

「いきなり何をするんですか!」光一郎は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 しかし葵は平然とした顔で彼を見下ろしながら刀を鞘に収めた。「ぎりぎり合格だな」と言った。「だが、危険の感知が遅すぎる。よけれたとはいえ、尻餅をつくとは情けない」

「どういう意味ですか!?」

「私の参謀たるものが軟弱であっては困る」彼女は言った。「人工知能の指令官を補完するのが参謀の仕事だ。その任を努めるには精神身体ともに……」

「だからといってあれはないでしょう! 死ぬかと思いましたよ!」彼は汗をうかべながら必死で抗議する。「あんなの、もしよけれなかったらただ事じゃ済まないでしょうに!」

「その辺は加減してある」

「加減って……」ほんとうにこの女、いや、こいつをプログラムした技術者を呪いたくなってきた。

「よけれぬ場合は刀の腹で相手を打てばよい事。それに私の太刀を刀で受け止めた人物もいたぞ」

「誰ですかそれは」

「ふふ、もうすぐ来る」

 そういった時、ノックに続いて扉が開き、一人の青年が入ってきた。一言目に彼は彼女の方を見て「何ですか、指令官」と言ったが、次に尻餅をついて後ろを振り向いている光一郎を見て、驚きの声を上げた。

「榊光一郎じゃないか、こんな所で何をしてるんだ?」

 驚きは光一郎の方も同様であった。意外なところで、士官学校時代の同期に遭遇したためであった。「卜部、お前こそ何でここにいる? 陸軍に行ったんじゃなかったのか?」

「士官学校卒業以来の再会か」葵は言った。「彼だ、私の刀を受け止めたのは。卜部実、機動歩兵大隊長だ」と光一郎の方を見ながら言った後、視線を卜部実の方に変え、状況を説明した「卜部、こいつが今度の私の参謀だ」

 実も状況が飲み込めてきたようだった「と言うと……まさかアレをやったんですか!?」視線を光一郎に変えてため息をつく「まったく、噂は聞いてなかったのか? 月司令部の美人アンドロイドには気をつけろ、と」

「無理もない、こいつは水星帰りだからな、中国へ送り込まれたあとに広まった話は知らんだろう」彼女はため息をついた。「あ、美人、の部分はお世辞か?」

「そちらの判断にお任せします」と実。

「ふっ、相変わらずの奴め」

「彼は陸軍から引き抜いた。それで今のポストに据えたのだ。予想以上の瞬発力だったな、あれは。私の刀を己の刀で受け止めたわけだ」

「でも、俺が初めてじゃないわけでしょう」

「そう、以前にもう一人いた」

「誰ですかそれは」

 彼女はそれに答えず、にかっと笑った。「とりあえず立て」

 光一郎はまだ自分が尻餅をついたままであった事を発見して、赤面しながら立ちあがった。

「知っているか? プログラムされたての私が初めて教育した人が誰か」

「教育?」

「まあ、はじめは私も軍人の教育用に作られたんだがな。でも、それを役不足だと言って指令官に昇格させようとした人がいた」

「誰ですか?」

「内親王萩宮紋子殿下」彼女は一拍おいて答えた「十九歳にして陸軍中将、近衛師団を率いる皇族軍人。私が教育係に任じられたのはこの方だ」

「紋子殿下と」光一郎はその答えに驚いた。

「そう。そこでまずその腕前を見ようとしてしたのが……」

「ま、まさかアレを皇族相手にやったんですか!?」顔から血の気がひく思いがする。人間には無理な芸当だ。それを平然としかねない女と自分は今向き合っているのだ。

「そうだ。殿下も手加減は要らぬとおっしゃったのでな」自信に満ちた声で平然と答えた。しろと言われても出来ぬだろうに。「私の方針にいたく殿下は感心されたようで、防衛省上層部に私の配置換えを進言して下さったわけだ。ついでに近衛師団から一人将校をやるともおっしゃったわけで、そこでいただいたのが……」視線を実に移す「こいつというわけだ」

「その通り。近衛師団から宇宙軍に移ってみればあのとおりの歓迎というわけ」とため息をつくのは実。

「その反応でやはり適任と思ったわけだ。機動歩兵大隊長としてな。誰でもなれる訳じゃない。あれは腕力だけじゃなく、機敏さや判断力が求められるから」

「光栄です」と実。

「機動歩兵……」光一郎は呟く。

機動歩兵とは戦闘に特化した鎧のような強化宇宙服を着て軌道上から敵陣地へ降下し、地上を制圧するのが任務であり、近代における空挺兵と同じような役割を果たす。その歴史自体はそう長くないが、月面では高い機動性を確保し、地球上においても有効な兵器であることは数年前に南米で起こった紛争で示されていた。

「それにしても、このやり方は酷いですよ。一体誰がこんなやり方をプログラムしたんですか」

「プログラムではない」と葵はきっぱり答える「データベースから私が導き出した最も効果的な方法だ。殿下も協賛してくださったものだ」

 どうやら責めるべきなのはプログラマーではなくこいつの回路を組んだ奴とデータベースを作った奴らしい。にしてもこいつが自分の上司になるのだと思うと泣けてくる。大きくため息をつきたくなる。なんでしかもアンドロイドなんだ。

「不安そうな顔だな、どうした」と葵が聞く。

「いえ……任務と上司が心配です……」

「上司とは私の事か? 心配するな、死なない程度に訓練してやる。それに私をただの優秀なアンドロイドだと思えば大間違いだ」

「どこがどう違うんですか」

「猫耳が生える」と彼女が言うと頭の髪の間からネコミミのようなものが生えてきた。「これで電波の受信状態がよくなる」

「それ、忘年会でしか使ってなかったじゃないですか」と実は苦笑しながら言う。

 どうやらこいつの開発関係者は皆どこかおかしいらしい、と光一郎は思った。ここに来るくらいなら、いっそのこと辺境に飛ばしてくれた方がよかったかも知れないと思った。

 彼が絶句しているのを見て実は「まあ、俺もはじめはそんな感じだったよ」と慰めの言葉をかける。「まあ、今晩でも飲みに行こうや。久しぶりに」

「私も行きたいぞ」と葵が白い歯を見せて笑いながら言う。

「大佐は人間みたいにアルコールは飲まないでしょう」

「失礼だな、毎週補給しているぞ」

「それはエチレングリコールでしょう」

 その様な会話を聞いて光一郎はため息をついた。実がこいつとのやり取りに慣れているのを見て、自分もこうなるのかと思って空恐ろしい気がした。

「あ、そうだ、言うのを忘れていたが、四月一一日に紋子殿下が視察にいらっしゃるそうだ。先ほど陸軍から宮内省を通じて連絡があった」

「突然ですね、何かあるのでしょうか?」

「機動歩兵の視察をなさりたいそうだ」

「それは礼を尽くしておもてなししなくては」

「全くだ。恩人だからな」

「そういえば光一郎」と実は振り返っていった。「中国皇室第二皇子の劉明道に会ったんだよな?」

「え、ああ、そうだが」と意外な質問だと思いながら答える。

「いや、このところ国内で妙な噂が流れているんだ。『政府は内親王萩宮紋子と劉明道の婚約を望んでいる』というものだ」

「それは私も聞いたことがある。サイバー上ではその様なデマを散見する」

「会ったときそんな素振りはあったか」実が聞く。葵は視線をこちらに向け自分も答えも望むという素振りを見せた。

「い、いいえ」と光一郎は驚いて答える。その様な情報は寝耳に水である。「彼にはそんな素振りはありませんでした。私の知る限り、中国ではその様な噂は流れていません。向こうの官僚や貴族たちもその様な話を知っているようには……」

「そうだろう、やっぱりデマだ」

「どこからそんな話が……」

「二月の中国との陸軍合同演習の際に両者は会談している。その内容は公表されていないが、結果として両国の同盟を再確認する声明が発表された。それに尾ひれをつけ、会談を見合いだなどと言っている輩がいるわけだ」

「本当にそれだけでしょうか」実が言う。

「それ以上何がある」

「いえ、これには宮内省や外務省も一枚噛んでいるという説も」

「まさか」と光一郎。

「まあ、何はともあれこの話題にはあまり立ち入らないようにした方がいい。最終的には政治の問題だ。軍人の取り仕切ることではない」

「同感です」と実。「まあ、良くある都市伝説の類。気にせずにいるのが一番」

 光一郎も首を縦に振ったが、しかし内心は違っていた。曹凛華の顔が浮かんでいた。彼女は確か劉明道皇子の幼なじみと言っていたが、それの意味するところは、もし噂が事実だとすれば彼女の立場は?

 その疑問が頭を巡ったが、しかしその夜飲むうちに忘却され、次それを思い出すのは先のこととなりそうであった。

 西暦二二三九年四月五日のことである。

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