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事件現場はメインストリートではないということだったが、道路は車が二台楽にすれ違えるほど広く、向かいの建物まで三十メートルはあった。

 貸金庫前の実際に被害者たちが殺された場所は石畳にどす黒い血の跡がいくつも残っていた。通りでこの場所だけ陰気な空気が立ち込めている。現に反対側の道は沢山の人が行きかっているのに対してここだけは皆避けて歩いていた。もうひとつの被害者はこの貸金庫だろうと、ルーンは同情のこもった眼差しで貸金庫を眺めた。貸金庫の建物は通りの中でも古いものだった。伝統的な石積みの三階建てでその上にさらに塔が建っていた。塔の頂上付近、中央部には直径三メートルはありそうな巨大な時計が通りに時間を知らせていた。

「もともとは図書館だったらしいですよ」ジャンはルーンの横に立って時計を見上げた。「図書館を新設した際に市が建物を売りに出して今のオーナーが貸金庫にしたみたいです」

「ガーゴイルがいるね・・・・・」ルーンも日傘を傾けて時計塔を見上げた。時計塔頂上四隅に悪魔をモチーフにしたような石像が街を見下ろすように鎮座している。

「あぁ、あの石像ですか?あれは建物を守ってる守護神のようなものらしいですよ」ジャンはルーンの言葉に何気なく返事をした。

「守護神?見た目はどちらかというと悪魔みたいですけど」プリヤも目を細めて石像を見上げる。

「そうだね、守護神というよりは守護獣の方が正しいかな」ルーンはプリヤの意見に頷いた。

「ご利益もなさそうですね・・・・・」何から何を守るために街を見下ろしているのかはわからなかったが少なくとも貸金庫の人間は対象ではないようだ。そういってプリヤがルーンをみるとルーンは肩をすくめた。

「それよりも、よくこんな状態で血液を被害者のものとそうでないものを識別できたね」舗道に広がる六人の被害者の血の跡はこの場で起きたことの悲惨さを物語っていた。

「発見されたときはまだ血も乾ききっていなかったはずです。それに個人を特定できるようなしっかりとした鑑定はできていません。あくまで最初の殺人で被害者のものではない血液があったのがわかっているだけです」

「・・・・・なるほど」ルーンは顎をさすった。現場にあった乾いていない血だ。事件に関係があるのは間違いないだろう。ルーンはじっくりとあたりを見渡しながら貸金庫の前を往復した。「犯人はまだわからないけど、誰が殺しをやったかはたぶんわかったよ」

「え?」現場に来て五分もたたないうちにわかったと言うルーンにジャンは不意を突かれ情けない声で訊き返した。

「まあ、説明しても信じないだろうから実際に見せるよ。悪いけどこれから言うものを夜までに集めてくれるかい?」


 日没からすでに五時間がたっていた。通りを照らすには間隔があきすぎているガス灯の火が頼りなく揺れている。昼間の賑わいが嘘だったかのように人影もなく、通りは静寂に包まれていた。

 物陰に隠れ少し離れた場所から貸金庫を見張っていたジャンはいったい何をしているんだろうかと思い始めていた。ライフ署長からルーンについての説明は受けていたが、見た目はどう見てもハイティーンに差し掛かったばかりの幼い少女だ。隣で一緒に息を潜めるプリヤというこの子もまだ二十歳をむかえていないようにみえる。そんな幼い子供を囮として、六人も殺害された現場に立たせている。事情を知らない市民がこの状況を見たら警察の信用は地に落ちることになるだろう。ジャンはなにか取返しのつかないことをしているのではないかという不安を時間の経過とともにつのらせていた。


 ルーンはただじっと待っていた。ジャンが用意した黒いコートとハットはサイズが大きくぶかぶかだった。袖は何度も折り返し、裾は地面に擦っていた。普段はあまり気にしていない、というか歳とともにあまり気にならなくなってはいたが、こういう時に自分の容姿―主に身長だが―が恨めしく思った。ヴァンパイアの中には変身することのできる者もいるがルーンにはその能力は現れなかった。変身ができれば身を隠すことがどんなに楽になるだろうか。若いころはそのせいで苦労が多かった。

 さらに時間が経ち時刻は午前三時半になろうとしていた。間もなく夜が明ける。ルーンは相変わらず血だらけの舗道に堂々と立ち続けたが、あれだけキメて犯人がわかったなんて言ってしまった手前、もしかして読みが外れたかと少しばつの悪さを感じ始めていた。

しかし、それは突然やってきた。シンと静けさが響き続ける通りにそれを引き裂くように空気を打ち付けるような音が鳴る。ルーンは音のする方を素早く見上げた。闇夜の空に翼を羽ばたかせながら人影が飛んでいた。ライフの話通りだ。人影はルーンの真上までくると翼をたたみ急降下してきた。ルーンは突っ込んできたそれをバックステップで躱すと次の攻撃に備えて日傘を構えた。石畳を砕いただけに終わったのが気に食わなかったのか落ちてきたそれはうなりながらもう一度ルーンに突進してきた。ルーンはそれを日傘で受けた。ちょうどガス灯の下にいたため正体がはっきりと見えた。悪魔のようなその姿はどう見ても昼間見たガーゴイルだった。ガーゴイルは鷲のような鋭い脚でルーンの日傘を掴むと翼を羽ばたかせ飛び上がった。

「ルーン!」ジャンが隠れていた物陰から飛び出し連れ去られそうになっているルーンを助けようと疾走する。

「ジャン君、撃つんだ!」早く撃てとルーンにうったえられジャンは昼間ルーンに用意するように言われていたペイント銃を構えた。

「駄目だ、あなたに当たってしまう。傘を離してください!」ルーンとガーゴイルの位置が近すぎた。ペイント弾といえど当たり所が悪ければ怪我をさせてしまう恐れがある。ジャンはルーンに傘を離すよう何度も叫んだがもう手遅れだった。ガーゴイルはかなりの高さまで高度を上げていた。あの高さから落ちればルーンは無事ではすまない。

「プリヤ君!」ルーンに応え、ジャンに追いついてきたプリヤはジャンの手からペイント銃をもぎ取ると何の躊躇もなくガーゴイルめがけ全弾を一気に撃ちはなった。そのうち一発がガーゴイルの胴体に当たり、最後の一発がルーンの顔面に直撃した。衝撃でガーゴイルは日傘を離しルーンは二十メートルほどの高さから落下し地面に叩きつけられた。生々しい音が響き、ジャンは血の気が引いた。急いで駆け寄るとルーンの右手と両足はあらぬ方向を向き左足に至っては骨が突き出していた。

「あぁ、なんてことだ」ジャンはむごい状態に背を向け、頭を抱えうろたえた。仕事がらこれ以上にひどい遺体は何度も見てきたが、目の前で、自分のせいで子供がこんなことになるなんて!

「痛いじゃないか、プリヤ君」ルーンの声がしてジャンは振り返り、目を見開いた。そこにはさっきのことが幻だったかのようにルーンが普通に立っていた。どこも怪我をしている様子はない。「でもそこの臆病な彼よりは随分ましだね」ジャンは我に返り、ルーンを見た。

「さっき確かに・・・・・」見たんだ、無残な状態を。言いかけた言葉が追いつかな理解とともに朝霧のようにかすんでいく。ルーンはピンピンしている。しかし、顔にベッタリと緑色のペンキと血がついていた。ジャンはルーンに歩み寄り、腕や脚を触った。骨が折れてる様子はない。

「なんだい、急に」ルーンは突然のジャンの行動に顔を歪め後ずさった。

「いや、怪我をしてるんじゃないかと思って」

「ご心配どうも」ルーンはこの通り問題ないと腕を広げて見せた。「でも今後こういうことはやめてもらいたいね」

「でも、さっき、あんな状態だったのに!」

「ライフ君から僕のことは聞いていたんだろう?」

ジャンは頷いた。確かに聞いていた。聞いてはいたが、はっきり言って信じていなかったこの目にするまでは。目にした今でも理解が追いつかない。

「僕はあれくらいじゃ死なない。バンパイアだからね」ルーンはなんてことないという顔をしてみせた。「まぁ、これで殺しの犯人はわかった。一歩前進だ」

あの化け物が犯人?ジャンは眉間に深く皺を刻んだ。今しがたルーンを襲った化け物のことだ。どんな姿をしていただろうか・・・・・。思い出せるのは化け物は翼があり空を飛んでいたということだけだった。

ルーンとプリヤは顔を見合わせ、プリヤは苦笑いを浮かべ、ルーンはため息をついた。


「どんな事情があってもあなた方を中へ通すわけにはいきません」おそらくオーダーメイドであろうダークスーツを一部の隙もなく着こなしている貸金庫の副支配人を名乗る男はルーン達の要望を却下した。「礼状でもあれば別ですが」そう無感情に言い放つだけだった。

 「礼状というものは用意できないのですか?」貸金庫の外に出るなりプリヤはジャンにたずねた。それにしてもあの副支配人は頑固だった。

防犯上関係者以外のものを中に入れるのは危険すぎる行為だというのはルーン達も重々承知だが、目の前で何度も殺人が起きているのだ。この非常時にここまで非協力的な態度をとられると貸金庫が何か隠しているのではないのかと疑いたくもなってくる。

「難しいだろう。何を捜査するための礼状にするつもりだ?鼻で哂われて終わりだ」礼状をとるのは無理だとジャンはきっぱりといった。

「ではどうやってあそこに・・・・・」プリヤは貸金庫を振り返り、時計塔を見上げた。ジャンも見上げる。

「別にかまわないさ。方法はほかにもある」そういってルーンは隣の建物を指さした。

 貸金庫隣の小さなホテルの非常階段を使いルーン達はホテルの屋上に立った。ホテルは貸金庫より高く四階建てだったが目指す時計塔の頂上はまだ十メートルは高さがあった。

「ここからどうやって?」ジャンは屋上の淵に近づき貸金庫の屋根を見た。貸金庫の屋根は傾斜の急な三角屋根で、時計塔にも入り口も窓も見当たらない。どう見ても外側から時計塔に入るのは不可能に見える。

「傘を持っててくれるかな」ルーンはジャンに日傘を差しだす。ジャンは素直に日傘を受け取った。するとルーンはジャンを両腕に抱きかかえた。ジャンは突然のことに乙女のような声をあげてしまう。

「悪いけどプリヤ君はここで待っていてくれ」そういってルーンはジャンを抱えたまま屈むと時計塔に向かって跳躍し、通りにはジャンの悲鳴が響き渡った。

空に向かって落ちた。とてつもない速度で上昇していくなかジャンはそう思った。上昇が止まると一転、今度は急降下だった。体中に体液が頭部を目指し逆流してくるのを感じ意識が遠のいていく。何とか気絶しなかったのは着地した先が高い時計塔の屋根の上だからだ。ルーンは着地するとすぐにジャンを両腕から解放した。ジャンはうまく立てずにその場に転がってしまう。

 「今度からこういうことをするときは前もって知らせてください」腰が抜けたのかジャンは時計塔の屋上にへたり込み、青い顔でルーンを睨んだ。

「気を付けるよ」それよりもといつの間にかジャンから日傘を取り戻していたルーンは、ジャンに早くこっちに来るように手招きする。「これを見てくれないかな」四つあるガーゴイルの石像のひとつを指さす。

ジャンはなかば這うようにルーンの指さす石像に近づいた。「これは・・・・・」そのガーゴイルの石像にはつい何時間か前にプリヤが当てたペイント弾のペンキがベッタリとついている。「まさか、そんなあり得ない」状況証拠はこう物語っている。連続殺人鬼はまさしく石でできた鬼だったと。

「でも、これが事実さ」目の前に示された真実を受け入れないのは刑事失格だ。否定するのは誰だってできる。

そんな馬鹿な、とジャンはさっきまで腰を抜かしていたのも忘れ、ガーゴイルの歩み寄ると細部を観察した。確かにジャンが用意したペイント弾と同じ色の塗料がガーゴイルに付着している。それどころか、ガーゴイルの両の爪には黒く変色はしていたが下の石畳同様、血の跡がたっぷりとついていた。

「これは?」隅々まで観察していたジャンはガーゴイルの首の下、鎖骨のあたりに見慣れないものを見つけた。「文字なのか?」蛇が這っているようなくねくねとした線がとぎれとぎれに刻まれえていた。

「文字だね」同じく反対側から覗き込んでいたルーン肯定する。

「どこの言葉ですか?」ジャンはそもそもこんなものが読めるのか、と言いたげな顔をしていた。

「もとはアフリカのどこかの部族の文字らしいけど詳しくはわからないかな」

「で、何が書いてあるんです?」

「さあ、読めないし」ルーンはさっぱりと首を横に振った。

「え?読めないんですか?」

「文字に見覚えはあるけど、読めるなんて一言もいってないだろう」ルーンはフ~と息を吐いた。「でも次の行き先は決まったよ」

「そもそも、この文字が今回、このガーゴイルがあなたを襲ったことと何の関係が?」

「大ありさ。ジャン君、まさかこの石像が生きているなんて思ってないだろうね?」

ジャンは黙った。昨夜この石像がルーンを襲ったことには間違いない。このペンキがその証拠だ。ということは、この石像は動くのだ。それはつまり命があって、意思があるということでは?「違うのですか?」

「そもそも」ルーンは屋上のへりから離れると、もったいぶったように指を立て話し始めた。「ガーゴイルというのは据えられた建物を守るために作られた石像だ。まあ、もともとはそれだけじゃなかったんだけど、呪いじみた目的のために作られたものなんだ。そのためガーゴイルを作るために使われた材料には魔術師なんかが好む魔術のための媒体が多く使われてたりするんだ」

魔術師?魔術?バンパイアが目の前にいてその怪物を今は微動だにしない怪物の石像が襲った。これだけでもジャンの許容を超えていたが今度は魔法まで出てくるようだ。小説の物語の中の登場人物にでもなった気持だった。

「魔術師?」

「そう、魔術師。ゴーレムとか聞いたことあるだろう?あれ実は作るのがなかなか手間なんだ。ガーゴイルは作るのが簡単な分ゴーレムと比べるとできることのかなり制限があるけど、自分で作らなくてもそこらに沢山あるから利用する魔術師がいるんだ」つまりとルーンは続けた。「このガーゴイルを魔術で操っている奴が真の犯人ってことさ」

「で、その魔術師はどこの誰なんです?」

「これからそれを探すんだよ」ルーンはどや顔をしてみせた。

捜査は進展しているようで、結局何もわからないままだった。

ジャンはガーゴイルから離れ、ルーンの方へ歩み寄る。

「それじゃあ結局何もわかっていないのと一緒です」ジャンは何かほかに手掛かりはないかと周囲を見渡した。

「そう焦らないでくれよ、ジャン君。あてがないわけではないんだ」

「あて?なんのです?」

「あの文字についてさ」



 ジャンは目隠しをされたままルーンに手を引かれ扉をくぐった。初めルーンが目隠しをするようにジャンに指示すると、ジャンはきっぱりと拒否した。当然の反応である。普通の人間ならいきなり説明もなく目隠しをしろと言われれば拒み、説明をこうだろう。実際、ジャンもそうだった。それに対するルーンの返答は見られたくないものがあるからというものだった。説明になっていない。が、しかし見られたくないものを何かを話してしまえば、目隠しをする理由がなくなってしまう。そのため、目隠しに応じないジャンにたいしてルーンがとった対応は簡単なものだった。

できないのであればこれ以上の同行は認めない。あとは結果だけを報告する。

これで結局ジャンは折れ、目隠しをして手を引かれるという情けない状況をしぶしぶ受け入れていた。

「はい、百八十度ターンして。もう一度扉をくぐるよ」ルーンはこの状況を少し楽しんでいた。自分にもまだこんな幼稚な支配欲があったのかと情けなくも思ったが、目隠しをしてよたよた歩く人間を誘導するというのはなかなかにおかしいものがあった。

「いったい何がしたいんです?」何も見えないにもかかわらず、あたりをうかがうように首を振りながらジャンがいった。ルーンにとってはこれが日常だが、同じ扉を何度もくぐるというのは確かにおかしな行動だ。

「すぐにわかるよ」入ってきたばかりの扉をもう一度開け外に出た。扉が閉まる音にジャンはビクッと身体を震わせた。

さっきまでの静けさが一変、工事現場にでもいるかの様な騒音にみまわれた。

「目隠しをとっていいよ」ジャンは目隠しをとると素早くあたりを見渡した。眩しさに目が慣れどこにいるのかが徐々にわかってきた。絶賛開発途中の街角だ。建物にしろ道路にしろそこかしこで工事が行われている。工事で巻き上げられた粉塵が舞い。車の往来も激しく、舗道も人であふれかえっている。それに加え、空気が乾燥しているせいで煙ったい場所だった。

「ここは・・・・・」少なくともさっきまでいた自分の住んでいる街でないことは分かった。ジャンの街よりも湿度が低く乾燥している。「ここはどこです?」

「アメリカだよ」ルーンはこたえた。「こっちだ」ルーンは理解がおぼつかず呆けた顔をしているジャンにそれだけ言うと、人ごみをぬってぐんぐん進んでいった。プリヤもそのあとに続く。ジャンはルーン達を見失いそうになりながらも必死にそのあとを追いかけた

 何度も道を曲がり、細い路地を抜けると四方を高い煉瓦の壁に囲まれたちょっとした空間に出た。入って左側の壁際に緑色の古ぼけたベンチと街灯がひとつだけあり、この空間のものさびしさを強調していた。ルーンは正面の壁にある小さめの通用口のような扉に迷わず入っていった。プリヤとジャンもそれに続く。

 中はバーのようだった。長いカウンターがひとつにテーブル席は二人掛けの丸いテーブルがみっつだけという手狭な店だ。まだ昼前だから当然だが店はまだ開いていないようで―そもそも看板もなにもなかったが―カウンターの奥に人はいなかった。

「まだやってないぜ」男の声がして三人ともそちらを見た。ジャンは声に驚きルーン達に気付かれないくらい小さくビクッと身体を震わせた。

声の主はカウンターの一番端、店の奥に座っていた。黄ばんだシャツによれよれのチョッキを纏い裾のすり切れたスラックスを履いている。スタイリングの油なのか自分の油なのかわからないしっとりと艶のある髪を後ろに撫でつけている。男の前にはウィスキーのボトルと、それがなみなみと注がれたグラスがあった。昼前から酒を飲んでいるようだ。ジャンは眉をひそめたが、ルーンは表情ひとつ変えなかった。

「君がここにいるとは思わなかったよ、ロープ」ルーンが男に言った。名前を呼ばれ始めて男はこちらを見た。

「これは、ミス・ブラック。お前こそ何の用だ?」ぶしつけな言い方だったがルーンをみとめたとたん男の表情が柔らかくなった。

「ここのマスターに会いに来たんだ」ちょっと聞きたいことがあってねとルーン。ルーンは男の隣に座った。プリヤもルーンの隣に座り、カウンターの奥に並んだ色とりどりのリキュールやグラスを眺めた。ジャンは席には着かず立ったまま成り行きを見守った。

「残念だがそれは難しいな」ロープは別に残でもなんでもなさそうにそういった。

どうして?とルーンがわずかに片方の眉をあげた。

「ちょっとしたトラブルだ。それくらいはまぁ、いつものことだがタイミングが悪かったな」そう言いながらロープはグラスの半分ほどを一気にあおった。

「そうか」ルーンはそれだけ言うと小さくため息をついて続けた。「そのようすをみるとようやく腰を落ち着かせたようだね」

ロープはもう半分を飲み干しグラスをカウンターにダンッと叩きつけた。「今のうちだけだ。野郎は俺を手懐けられると本気で考えてるようだが、近いうちに後悔させてやるさ」ロープは思案気に宙を見つめていたがやがてにやりと口を歪ませた。「それより、聞いてるぜ。相変わらず派手にあちこち引っ掻き回してるようだな」ふふっと笑いながら空になったグラスにまたウィスキーをなみなみと注いだ。そして、ロープはカウンターの奥に並べられたグラスを人差し指で指さすとその指を手前に折り曲げた。するとグラスが宙を舞いロープの手に引き寄せられ彼はそれを掴んだ。そのグラスにもウィスキーを注ぎ、ルーンに勧めた。ルーンが首を横に振る。

「俺より年上のくせにまだ酒が飲めないのか?」ロープはからかうように言った。ルーンは飲まないとわかっていて勧めたのだ。

「仕事中だからね」ルーンはロープの軽口をさらりと流した。

ロープは今そこにいることに気が付いたというようにジャンを見てルーンが断ったグラスを振ってみせた。ジャンはルーンを見たが別にどちらでもよさそうな様子だった。ジャンは怒涛のわけのわからない現象の数々についていけない頭の気つけに酒をあおるのも悪くないと思い少し悩んだが、小さく首を横に振った。ロープは肩を上げてグラスの中身を飲み干した。

「僕としては君がいてくれたラッキーだったよ」出し抜けにルーンがロープにそういった。「ちょっと助言がほしいんだけど」

「面倒事に巻き込まれるのは御免だぜ」本心ではそう思っていないようにロープは笑った。

ルーンは四つ折りにされた紙をポーチから取り出すとロープに差し出した。

「操作系の呪術だな。何世紀も前の教本にのってる類のやつだ」ロープの見解に思った通りだとルーンは頷いた。「そんなのはお前だって見ればわかるだろ」そこまでいってロープはああそうかとひとりで納得した。「探しているのは術者か」

「その通りだ、ロープ。この呪術を使う魔術師に心当たりはないかな?詳しい者でもいい」

「この手の呪術を使えるやつはごまんといる。基礎的なもんだ」

「陣系統の魔術ならここが一番だ。ここの、ホワイツの会員の可能性が高い。基礎がしっかりしているというならなおさらね」

ロープは否定も肯定もしなかった。

「最近、連絡が取れなくなったとかミサに来なくなった会員はいないかな?」

「おいおい、ここを学校かなんかだと勘違いしちゃいないだろうな?ミサに毎度参加するようなホワイツに心酔する信者は会の中でもごく少数だ。ほとんどの奴がミサにはまれしか顔を出さないし、連絡もとれないのが当たり前だ」ロープはまぁ、と続けた。「ホワイツは別だろうが」

 ホワイツの教会はいわゆる悪魔教だ。教祖であるホワイツは悪魔であり、教会の信仰対象だ。

悪魔と呼ばれる者たちは、もともとは神の御使い、天使だ。その力の源は人々の信仰心である。信じる者がいなくなった神や天使は消える運命にある。それは悪魔も同じだ。

堕天し悪魔となった者たちは信者を求めて直接下界に降りてくることがある。そして信仰、心を差し出す代わりに力を与えようと人間を誘惑し、契りをかわす。悪魔と契約した人間を人々は魔術師と呼ぶ。

「でも、お前ならこんな素人丸出しの呪術使い探し出すのはわけないだろう?」ロープはメモを指で挟み顔の前でヒラヒラと振った。「何しに来たんだ?」

ルーンは何も答えずじっとロープを見た。

「あんたが依頼主か?」ロープはジャンに訊いた。

「私はいち捜査官です。捜査の依頼は署の方で出しています」

「依頼をこなせばいいだろ」ロープはジャンの返答を無視する様にルーンにいった。

「僕の悪い癖かな」ルーンは苦笑いを浮かべた。

ジャンは訳がわからずルーンとジャンを交互に見た。

「使い方はわかるな?」ロープはそういってチョッキの胸ポケットから二つ折りにされた紙きれを差し出した。「金はいい。昔のよしみだ」

ルーンはそれを素直に受け取った。

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