真澄の鏡
文和の頃の話である。文和というのは北朝の元号で、南朝でいうと正平という元号の頃のことだ。
二月のある日のこと。二条良基という男が嵯峨の清凉寺を訪れていた。この日は釈迦の入滅の日であったので、如来像を拝みにきたのである。
このころの都はというと、政治的な争いが激しくなり、血なまぐさい風が吹いていた。二条良基はその渦中にいる人物であった。
彼は時の関白であり、足利尊氏と共に北朝の天皇の側にあった。南朝との争いは鎮まる気配はなく、彼の命はいつ狙われてもおかしくない状況にあった。
なぜ、こうも人の世は争いが続くのか。南朝との和平を望み、そうなるようにと舵をとろうとすればするほど、あらぬ方向へと船は進んでいき戻れないところへと我々の身を運ぶ。
清凉寺の如来像は何も答えてくれない。それでも彼は手を合わせ心の中で念仏を唱えた。ふと、傍らを見ると、年老いた尼がいるのに気づいた。足腰が弱っているようで杖をついている。しかし、どことなく気品があり、若いころは雅な姫君だったのではないかと思わせる人であった。
「尼君、どこからいらしたか? 」
「この近くでございますが、年のせいか随分遠く感じます」
「おいくつか? 」
「さあ。百歳になりますでしょうか。私は生きれば生きるほど、忘れます。自分の年も忘れてしまいました」
良基よりも遥かに年上の尼は、長くこの世を眺めてきたはずだ。平和な世も戦の世も。
「近頃は世の中が騒がしいですが、このお寺は穏やかで心が洗われます」
尼は微笑む。良基は彼女に聞いてみたくなった。
「尼君、よろしければ貴女が見てきた都の歴史を語っていただけないだろうか」
「歴史など、私には語れません。昔のことなど、ほとんど忘れてしまいました。
忘れてしまっては、それは夢を見ていたのと変わりないでしょう」
しかし、良基はあきらめない。いつの日か歴史書を自分の手で著そうと考えているのだ。彼にとって、目の前にいる尼は貴重な歴史の証言者のような気がしてならなかった。
「私は様々な文物を読み、歴史を学んだが、それだけではわからないことがある。生き証人である尼君にぜひ教えて頂きたいのだ」
「様々な文物とは? 」
「それほど多くを読んだわけではないが、神武天皇の御代からの話を記す〝水鏡〟、文徳天皇から後一条天皇の御代を記す〝大鏡〟、それから高倉院までを記す〝今鏡〟を読んできた。だが、その後の歴史がよくわからない。どうか、尼君の知っていることお聞かせ願いたい。私が新たな歴史書に記すために」
「まあ、もうひとつ〝鏡〟を増やすのですね」
尼はたおやかに口元をおさえ笑った。
「そういうことならば、これを差し上げましょう」
懐から一冊の草紙を取り出した。何度も読み返したのだろうか、擦り切れている。
「これは、私の大切な友人が遺したものです。長年、お守り代わりに持ち歩いておりました。東国の方に旅に出た時も懐中にありました。友人が傍にいて守ってくれている気がしたのです」
皺だらけの節くれだった手で草紙をなでる。彼女と共に世の移ろいを過ごしてきた草紙。
「誰にも見せないという約束でしたが、この年になってどうしたものかと考えておりました。あの世には持っていけません。燃やしてしまおうかと思いましたが、そんなことはできませんでした。私が死んでこの草紙も埋もれて消えてしまうのは忍びない。ですから、貴方様に差し上げましょう」
良基は尼から草紙を受け取る。古びたものだったが、それがかえって価値あるものに思わせる。
「貴重な文物をいただき有難く思う。これは何と題するものか? 」
「題……? そんなものあったかしら。 誰にも見せたことがないので、この草紙の名を問われたことがなく……」
題名がない日記のようなものだろうか。良基は草紙をめくる。ちらっとみたところ興味深い内容ではないか。よいものを手に入れた。
「尼君、また尋ねたいことがある。これを書いたのは誰か」
歴史書の資料となる文物だ。作者は誰か確認をとらねばならない。
「中院家の大納言源雅忠の娘。私の親友でした。若くして亡くなった方です」
「では、この草紙は大切な思い出なのか。まことに貰ってしまってよいのか」
問うと、尼は寂しげな目をして遠く西の方を見やる。
「よいのです。私は長く生きすぎたせいで在りし日を語り合う身内や知り合いがいなくなりました。語らなければ忘れます。それが寂しく感じられます。浄土に生まれ変わることを願っておりましたが、寂しく過ごす今となってはまた、再びこの世に生まれたいと願うようになりました。その草紙をあなたにお渡しすれば、それが叶う気がいたします」
良基は尼に礼を言うと草紙を懐に嵯峨にある別荘へと帰って行った。帰ったらさっそく読み込むつもりだ。そして今日から歴史書の構想を練ろうではないか。
尼は去って行く良基の後ろ姿を目を細めて見つめている。彼女の人生において久しぶりに満ち足りた時間であった。
尼が今日、嵯峨の清凉寺に訪れたのは理由があった。昨夜見た夢で、清凉寺の如来像が現れたのである。そして如来像を拝む高貴な殿方もそこにいた。その殿方が誰かはわからなかったが、これは夢告だと思い清凉寺を訪れたのである。
すると、夢で見たように如来像を拝む殿方がいるではないか。神仏のお導きであろうと尼は確信したのだ。
この殿方にこそ長年大事に持っていたものを差し上げよう。尼はいつも懐にあった草紙を殿方に手渡したのである。
あの草紙は友人が書いた物語であるが、途中からは尼の筆によるものである。なぜ、書いたか。
友人の作った物語を愛していたから。哀しいとき、苦しいとき、尼は草紙をめくり物語の世界に入りこむことでそれを乗り越えた。
誰よりも愛している物語の続きを書きたくなった。書くのにふさわしい者は、自分だと思った。
(物語を書くのは罪だという人もいる。かの紫式部は嘘の話を書き広めた罪で地獄の業火に焼かれたという話もある。
だが、私はそうは思わない。源氏物語を読むことで救われた人は多いはずだ。
ああ、そう思う私は解脱はできず輪廻を抜け出せない運命なのだろう)
年老いた尼は杖をついて歩き出す。家に帰ったら、早く眠りたいと思う。彼女は若いころからよく眠る人であった。長寿の秘訣はよく眠ることなのだろう。
眠りは、忘却に誘い、そして新たな記憶を魂に吹き込む。だが、長生きをしすぎた尼は近頃、記憶と夢の境目があやふやになってきた。ふと、亡くなった親友とさっきまで語り合っていたような感覚になることがあるのだ。
「来世でまたお会いしましょう、アカコ殿」
懐かしい呼び名を口にする。彼女は今頃、どうしているか。この世からいなくなって随分長いから、もう都のことなど忘れてしまった頃だろうか。
これで最終話です。お読みいただきありがとうございました。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、アカコの年齢は史実の後深草院二条より5歳くらい若く設定してあります。憧れの後深草院に少し年齢を近づけてアカコは物語を創作したということです。
参考文献
角川書店『鑑賞 日本古典文学 第14巻 大鏡・増鏡』山岸徳平 鈴木一雄 編(最終話の一部分は現代語訳の一部をトレースしています)
ウィキペディア
明日以降にすべての参考文献をあらためて掲載する予定です。




