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遠い場所

 広瀬が鈴木家を出て行ってから一年以上が経った昭和十七年一月。あいかわらず、アカコは夢をよく見る。広瀬の夢、鈴木の両親と幼いアカコが行楽に出かける夢。鈴木閼伽子が夢を通してアカコに己の記憶を託しているのではないかと思う。


 夢は日を追うごとに鮮明になっていき、それに比例するかのように都の記憶はモヤがかかっていく――。




 級友の中で一番仲の良い小泉鏡子は一足先に卒業して就職した。小泉鏡子だけでなく、教室の半分は政府の方針によって銃後を支えるべく卒業を繰り上げたのである。

 

アカコは進学を目指していたため、卒業を繰り上げられることはなかった。アカコを置き去りに級友たちは先に大人になってしまったようだった。


 




 中国での戦争が長引く中、昨年の十二月、遠い海の向こうの米国との戦争も始まった。


 「いよいよか」


父弥太郎はそう言った。世間も妙に浮かれていたけれど、アカコはさして関心がなく親友の小泉鏡子と離れなければならないことの方が重大事だった。


 だって、遠いんだもの。

 中国も米国も遠い海の向こうのお話でしょ

う。


 米国と日本はどのくらい離れていると?

 米国は東京には来ないでしょう。

 さっさと終わればいいんだわ。



 アカコにとっては生活圏外の出来事だった。自分とは直接的に関わりのないことだと感じていた。

学校で頻繁に参加させられる非常持ち出し訓練も内心めんどくさいと思っていた。そんなことより勉強をしたいし本を読みたい。


 アカコが都にいた頃も、この国は対外的な戦争をしていた。対馬や壱岐が蒙古に襲われ、武士たちが戦ったのだ。だが、この時もアカコにはあまりピンと来なかった。対馬も壱岐も遠い遠い地であったから。

 さして心配もせず異国打ち払いの御祈祷をさぼって物語の構想を練っていた。民が苦しみ武士たちが死に物狂いで戦っているころ、少女アカコは夢想にふけり“とはずがたり”の執筆にとりかかっていたのである。


 


◇◇◇◇


 一月末のある夕方、学校から家に帰ると玄関に父の物ではない男物の履物があった。


(お客さん……?)


居間の方から客らしき男の声が聞こえる。若い男の声。


「広瀬さんだ……!」


アカコは体中が熱くなるような気がした。


何の用事で来たのだろう。また一緒に暮らせるのだろうか。ちゃんと謝って仲直りしたい。


ああ、その前に自分の部屋の鏡を見て色々確認したい。履物を脱いで上がろうとしたとき、居間の襖が開いた。ついで広瀬が鴨居に頭をぶつけないように腰を少しかがめて姿を現す。


 広瀬が居間から出て頭を上げた瞬間、目が合った。


「ああ、アカコさん。学校でしたか」


夢の中で何度も聞いた声だ。この一年間、会いたいと思っていた人。


「アカコ、広瀬君は出征するんだ。御挨拶をしなさい」


広瀬の後ろから父が声を発した。気のせいかいつもより元気がなかった。




 

参考文献

講談社『昭和二万日の全記録 第6巻 太平洋戦争 昭和16年―19年』

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