手紙
広瀬は荷物をそのままに出て行った。大学の友人宅にしばらくは厄介になるそうだ。荷物の方は後日改めてとりに来るという。
(その時に、何か話したい)
と思っていたのだが恒子と共に病院へ出かけている間に広瀬はさっさと荷物を引き取りに来て去ってしまった。
(わざと私のいない日を狙ったのかしら)
アカコは少しだけ広瀬を恨めしく思った。
来月、上野の正倉院展に連れて行ってくれると約束したのに広瀬は果たさずに出て行った。せめて顔を合わせて別れの言葉を聞かせてくれたらよかったのに。
「あの時、襖を開けてくれたらよかったのに」
アカコは閉じられた襖を見つめる。西日が当たりすぎたせいか淡く黄色くなった背景に桔梗の絵柄の襖。
広瀬が襖を開けたら自分はどうしていたのだろう。
多分、追い返しただろうから結果は同じだ。そもそも、広瀬は「女として見ていない」と言ったのだから襖を開けるはずがない。こんな想像をする自分は滑稽だ。
でも、もし、ありえない話だけど、あの時、襖越しに広瀬が愛を囁いていたらどうしたろう。
アカコは自ら襖を開けていたかもしれない……
などということを近頃のアカコは思っている。
広瀬がいないことがたまらなく寂しい。
視線の先の襖が突然すっと開く。
「アカコさん、洗濯物畳んでちょうだいね」
恒子が乾いた洗濯物を取り込んで持ってきたのだ。それを畳んで箪笥にしまうのがアカコの役割だ。
「ありがとう、置いておいて。畳んだら夕御飯の手伝いするわね」
最近アカコは恒子の家事を手伝うようになっていた。 鈴木閼伽子(この体の本来の持ち主)は手伝いをよくする娘だったらしい。
「以前のように手伝ってくれるようになって嬉しい」
と恒子は言っていた。
下着類を畳み終わり、箪笥にしまう。ここに写本を隠したことがあったな。広瀬に見つからないように。
下着の入っている引き出しには、おそらく鈴木閼伽子の仕業だろう、某化粧品店の包装紙が底に敷かれている。湿気を吸い取らせる役目と見えないオシャレという意図があるのかもしれない。いかにも少女らしい。
椿の絵柄がモダン。鮮やかな色彩。
アカコはふと、全体的にはどんな模様なのか気になった。
下着を全て出してみた。鈴木閼伽子は几帳面な性格だったのか、引き出しの底と包装紙の大きさがちょうど良い。
包装紙が盛り上がっている部分がある。長細い四角形。よくある封筒のような大きさと形。 どうやら、引き出しの底と包装紙の間に何か挟まっているようだ。そっと包装紙をめくる。そこには、
広瀬 彬 様
と書かれた封筒があった。