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いつかすべてなくなる

 アカコの目に映る京都は以前とは全く別物だった。街には路面電車が走り、自動車が走り、行きかう人々も昭和の人そのものの服装頭髪で、大きな石の建物と小さな家屋がひしめきあっていた。

 

 でも、都がかつてあった所だとわかる。

 

 北、東、西、三方に山がありこの町を包んでいる。


 あの峰には見覚えがある。アカコは比叡山を見たとき確信した。京都は都があった場所だと。

 

 母と石山寺に参った帰りに見た比叡山。間違いない。


 アカコの生まれ育った都はもうないのだ。遠い過去のものなのだ。

 

 新聞などを読んで京都府は「都」のあった土地だという知識はあったがいまいち実感がなかった。だが、今日、わかったのだ。


 都はもうない。自分は孤独な身の上なのだと。


 母にも小泉殿にも会えない。この何百年、父の供養はきっと誰もしていない。


「広瀬さん、私、本当に一人なんだわ。今日わかったの」


アカコは隣にいる広瀬にすがりたい気分になった。


「アカコさんには鈴木のご両親がいるでしょう。もちろん、僕もいます」


広瀬の慰めの言葉にアカコは静かに頷いた。「もちろん、僕もいます」。深い意味はないだろうがそこに己を付け加えた広瀬の優しさを大切にしたい。


「私、鈴木閼伽子として生きていくしかないのね。源雅忠の娘はもう存在しない。誰も信じてくれなかったら存在しないのと一緒だもの」


石山寺に参って父母と親友小泉殿の供養の代わりとしよう。みんなもう、何百年も前にあの世に行ってしまったのだ。

 そして、源雅忠の娘の供養もしよう。アカコは鈴木閼伽子に生まれ変わるのだ。


「では、写本は返していただけるのですね!」


広瀬の目がパッと輝く。その様子がちょっと可愛くてアカコはフッと笑ってしまった。


「ええ、返します。写本を先生に返して論文を書いていただきましょう。そうして、私の書いた物語が後世にまで伝えられたらいいわ。



 たとえ東京が燃えてしまっても、私の……私と小泉殿の作った物語はずっと残る。



 父も母も友人もいなくなってしまったけれど、何百年たっても私の書いたものは消えなかった。


 文字ってすごいわね。広瀬さんが言っていた奇跡の意味がわかったわ」



アカコが納得してくれた、写本を返してくれる! 広瀬はやっと安堵することが出来た。




「安心してください。“とはずがたり”は我が国の宝ですよ。宮内省図書寮にある限り、守られています。桐生先生が論文を発表することによって世に知られ、研究も盛んになるでしょう。日本文学史に名を残す傑作ですよ、“とはずがたり”は!」


それと、と広瀬は最後に付け加えた。




「東京は燃えませんよ。それに何かあったら僕がいますから」




最後の方で役者を気どって表情を作って見せた。キリッと。


それを見てアカコは我慢できずに大笑いをした。久しぶりの少女らしい笑い。箸が転んでもおかしい年ごろなのだ。もっと笑っていい。


(よかった。笑ってくれた)




こうして“とはずがたり”の作者である少女は己の運命を受け入れた。


時は皇紀二千六百年、すなわち昭和十五年であった。

 

参考文献

ダイヤモンド社『地球の歩き方特別編集 京都の練習帖』

きょうせい『実録昭和史 激動の軌跡 2 戦火拡大・破局の時代』

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