君を朝敵にしたくない
「アカコさん、開けてください」
襖の向こうから広瀬の声が聞こえる。
もう帰ってきたのか。
アカコは慌てて写本を箪笥の下着入れにしまった。
「桐生先生の写本が失くなりました。アカコさん、何か知りませんか?」
「知らない」
「疑いたくはないのですが、アカコさん、本当に知りませんか?」
「知らないってば。一人になりたいの。あっちに行ってちょうだい」
今は一人で御所様のことを思いたい。何百年も前にたしかに生きていたアカコの恋する相手。
「アカコさん、写本がないと先生は論文が書けません。このまま見つからなければ、また宮内省図書寮に行って原本を見て書き写さなければなりません。大変な手間なのはおわかりでしょう?
アカコさん、お願いです」
また書き写す?
そうだ、宮内省図書寮にある原本も奪わないと桐生の論文発表を完全に阻止できないのだ。
桐生の写本を奪ってひとまず安心していたアカコだが、うかうかしていられない。
早いとこ、宮内省図書寮に行かないと……!
「広瀬さん!私を宮内省図書寮に連れてって!」
アカコは襖を開ける。
突然開けたものだから、広瀬の驚いた顔が間近にあった。
背が高い広瀬だが、アカコが背伸びをしたら案外届きそうなところに顔がある。
(よく見たら可愛い目をしてる)
なんて、どうでもいいことをアカコは思ったが気をとりなおして広瀬に頼む。
「お願い。図書寮に連れてって」
「アカコさん、図書寮に行ってどうするのです?まさか、図書寮の書物をどうかするおつもりですか?」
「な、何もしないわ!」
広瀬は困った、という顔をした。
「アカコさん、図書寮にあるものは国民の知的財産であり、すなわち陛下の持ち物でもあるのですよ。
図書寮の書物をどうかするというのは、陛下に弓引くようなものです」
「陛下の持ち物?」
「つまり、図書寮の書物を盗むということは、アカコさんは朝敵になるということです」
「朝敵?私が? 自分の書いたものを取り返すことが朝敵なの?」
アカコの肩に手を置き広瀬は諭すように言った。
「僕はアカコさんを朝敵にしたくない。だから図書寮には絶対に連れて行きません」