桐生先生との対話そのニ
桐生は小泉殿の事を何か知っているだろうか。アカコは小泉殿に関する僅かな希望を捨てたくなかった。もしかしたら、小泉殿も東京に転生したのではないか。そして、草紙を桂の宮に渡したという可能性はないのか。
「先生。桂の宮家はいつ頃、どうやってその書物を手に入れたのでしょう?」
アカコはまだまだ桐生に問う。
「さあ、そのへんの経緯はよくわからないね。桂の宮家は他にも貴重な書物を持っていたから、もしかしたら古典を蒐集するのが好きな宮様だったのか、あるいはその価値を認めて使命を感じて多くの書物を伝えたのかもしれないね」
「その書物を小泉殿という女人が持っていたという話は伝わっていませんか?小泉殿のことが何か記録に残っているとか?」
「コイズミ?さあ、奥付にもそんなことは載っていないよ?」
小泉殿に関する手がかりは掴めない。小泉殿は転生していないということか。
では何故桂の宮家にあったのか。親友である彼女がアカコとの約束を破って他人に手渡したとは思えない。ということは――。
悲しいことだが、数百年前の都で小泉殿はすでに寿命をむかえたのだ。そして、小泉殿の遺族が草紙を流出させたと考えるのが自然だろう。
時を経て桂の宮家がそれを入手したということだ。
「アカコさん、あまり妙な質問をして先生を困らせないでくださいよ」
広瀬が横から口を挟む。邪魔しないでよ。
「ははは、お若いのに古典に興味があるのは感心だよ。私の論文もぜひ読んでもらいたいね」
桐生は老獪である。アカコは少しだけ都の父を思った。
しかし、アカコの黒歴史(この時代にはない造語であるが、これ以上にない適切な言葉なので便宜上使う)を解読して論文にして発表するという所業は許せない。
「先生、その論文はいつ頃仕上がるのですか?」
「うむ、只今執筆中だが発表はいつになるかは未定なのだよ。不敬罪になるのを恐れている者が学内にもいてね」
「フケイザイ?
論文を発表するとフケイザイになるというのですか?フケイザイとはなんですか?」
「学術的な研究に不敬罪も何もないと私は思うが、書物の内容は後深草院の醜聞だからね。論文をよく思わない連中もいるのさ」
「フケイザイとは帝の名誉を傷つける罪、ということですか?それで、その”連中”は論文を発表するのに反対なんですね!」
「ああ、そうだよ」
その”連中”はアカコにとっては救いである。反対して!もっと反対して論文を闇に葬り去ってちょうだい!
「私もフケイザイだとおもいます!論文を発表するのはやめましょう!フケイザイですから!フケイザイ!」
アカコは鼻息を荒くして桐生に迫った。
「アカコさん、やめてください!先生がお困りでしょう!急にどうしたんです?いつの間に国粋主義者になったんです?」
広瀬が慌ててアカコを制止する。
コンコン――
ちょうどその時、誰かがドアをノックした。