広瀬と歩きながら御所様(後深草院)を思う
都にいた頃は身内でもない若い男と並んで歩くことなんてなかった。アカコがそこそこの良家の娘であったというのがその理由である。
今、広瀬という若い男がアカコの隣にいる。アカコより頭二つ分ほど背が高く、自然と見上げてしまう。
男と歩いているなんて都の母が知ったらなんと言うだろうか。アカコを叱るはず。
でも、ここは東京なのだ。
男と歩いてたって、平気。生まれ故郷を離れた寂しさと相反するような解放感。自称母の恒子は広瀬と二人で出かけることを許さないのではないかと思ったが、意外にも快く送り出してくれた。
( ああ、隣にいるのが広瀬ではなく御所様だったらなぁ。)
アカコは御所様を思い出す。お声がけいただくこともなく、ほんの一瞬だけ見た美しいお顔。
御所様以外の男は皆平々凡々。アカコは御所様を見てしまった日から、そこら辺の男にまったく興味がない。御所様の存在はアカコの中で純粋培養され、「恋」という言葉は御所様のためにあった。
だから、源氏物語を読むとき光源氏の心象容姿は必ず御所様だったし、自分で物語を書くときも相手の男は御所様だった。
自分を主役にして御所様とあんなことやそんなことをする物語を書いた。書いているときは楽しかった。物語の中のアカコは超絶美少女で、違う人生を歩んでいた。御所様は美しいアカコを狙い、父雅忠に話をつけアカコの身体を手に入れる。アカコは書きながら「きゃあ」と小さい叫びをあげて身もだえしたのだった。いいの。これは空想。想うことは罪じゃない。
でも、その空想の産物がなぜかこの東京に伝わり、見ず知らずの他人によって「論文」という形で白日の下にさらされようとしているのだ。
広瀬の師匠、国文学者の桐生某によってである。
アカコはそれを阻止したい。だって、恥ずかしいから!
「アカコさん、ここが大学です。」
広瀬がのんきな声で到着を告げる。思っていたより鈴木家と大学は近いところにあった。なるほど広瀬が鈴木家に下宿するのは利便性優先か。
大学は石でできていて、それだけでは物々しい雰囲気の建物だったが門のところにある桜の木がそれを和らげている。花はほとんど散り葉桜の季節だ。
心象容姿は私の造語です。
テストで書かないようにお願いします。