国民と王族
総論として書いておきたいのは、私が良く言う周の時代の国民と王族は同じではないって書き方がある。これ証拠と言えるか?まだ分からないけど、実際墓、装飾品などから平民と貴族で区別が出来、そのハプロが違ったからになる。周の貴族のハプロはQ系になる。これ複数の場所からとられていて、それが重なってるのも大きい。1つは西の方でウイグルに近いのでなんともいえないが、ここで出たハプロはQ系だった。後は山西省だったと思いますが、ここで平民と貴族でくっきりハプロが別れます。平民はO2系ばかりで、稀にO1がある程度です。
周人とは何か?となると、周の王族ではなく、国民だという話しになります。
私は黄帝もこれだと見ています。黄帝が実在したか?してないか?は重要じゃなくて、中国の多数派の象徴として移住の歴史を子孫として脚色されてる可能性があると言う点です。黄帝が象徴だとは思っていません。それと言うのも舜の末裔と言われる子孫のハプロが01B1で、中国では南方のハプロです。何故中原の支配者が?となると、今と違う民族構成だったのでは?と見ています。
古代中国語には発音的に南方の要素があって、南方系が初期支配者だった可能性があると見ています。そういった代表的人物は居たが、後から追加して民族の代表者となってしまった部分があると見ています。実在は事実でも逸話は大半象徴として描かれてると見ています。
鮮卑系と書きましたが、私はこれでイコール唐の皇帝がこうだったとは思って無いです。内モンゴルやウイグルに多い。それは、遊牧民系。これが中国内部にも入り込んでいる。それは後から入り込んだのでは?って話です。唐の皇帝が率いた部族にいたO2系がこの系統だった。それと言うのも中国が騎馬民族化したわりにはC2系の割合が少なすぎます。元々騎馬民族は少数の支配者とそれにつならなる連合軍の形を取っていて、清もそうです。大して2度も本格的に支配を受けたのに、C2系の割合高く無いです。
ゆえに、唐の皇帝は実際はC2系だった可能性もあります。鮮卑に関しては子孫の話を聞いてなくて、中国で多いハプロだからって雑な予測で、周もおなじです。もう1つ多い劉邦系と始皇帝系は、子孫からの類推がきちんと考慮されています。周の場合古すぎて胡散臭いのが大きいです。それを言うと舜も十分胡散臭いです。中国最古の孔子より古い2系統ですからね。
その最古で信用できる家系が3つのハプロを絞れないとなっています。孔子は貴族の出らしくて、それで当時の貴族に多かったQ系が怪しいとは見ています。
夏はまだなんとも言えませんが、孔子が殷の貴族だったらしいので、2王朝ともQが当時の貴族の血統だった可能性は高いです。このQどこから来たのか?でモンゴルの当時の遺跡でN、Q、C2がのハプロが確認されています。おそらく遊牧民だったのでは?と推測されています。
それと言うのも、甲骨文字のルーツが東夷系で発掘された原始的な文字じゃないか?と推測されてるからです。じゃ遊牧民じゃないだろ?これ実は遼河文明は初期からモンゴルに近い地域は微妙にモンゴルに近い文化になってる部分があり、地域差があります。後の時代には完全にモンゴルが混ざります。それゆえ東夷にモンゴル系が入り込むのは全くおかしなことじゃないです。
周は当時匈奴の前身となる部族と争っていたらしくて、匈奴の中心グループはQだと見られています。それゆえQのいる地域だとしたら、周もありうると見ています。元々別の所に住んでいたと記録があるのですが胡散臭いとは見ています。
これらに似た話しは、百済や高句麗がその典型です。高句麗は漢族が支配していた地域に入り込んだので、当然国民の大半は王族と血統は違うでしょう。百済は国民が分かりにくいので、ハプロでO1B2の地域にやってきた、高句麗から分かれたC2C系の騎馬民族です。ちなみに高句麗の王家はO2系です。
ただこれ確定的じゃないです。それでも中国東北部は全く珍しい事じゃないので、確定は出来ないがO2とC2Cの連合部族程度に見ています。百済はおそらく直系じゃない。それと言うのも、日本の子孫から調査したハプロなので、ありふれたO1B2じゃなくて、O2系だというのはちと無視できない。それと言うのも何故孔子が3系ともあるか?と言うと、中国でありがちなO2系が大半なので、そこらのおっさんが自称した可能性がとても高い。日本の子孫だと言うのが中々面白い。それに中国東北部では良くある事なので。
高句麗は他にも女真が居たりごちゃ混ぜです。女真は新羅の末裔と語ってるのですが、多分本当だと思います。高句麗の支配地域と女真が過去住んでいた場所が重なって、最終的に新羅が統一するからです。国の末裔と、王族の末裔じゃ意味が違う。でもこれを分けて考えない人が多いからハプロで混乱する事が多い。
実は私始皇帝も疑ってるんですよ。直系である必要は無いです。秦の地域にありふれたハプロで始皇帝がそのハプロであるのが事実でも、周辺の住民と区別で来ません。始皇帝の系統が秦人であるのは疑いが無いが、直系であるか?は別問題ってのがあります。可能性として、始皇帝の直系である可能性があるってだけです。確実なのは、秦のあたりに住んでいた人のハプロは始皇帝と同じなんだろうなって事ぐらいです。
分かり易い例で言うと、始皇帝の父も同じハプロである可能性が高いからです。じゃおじいさんは?そうやって遡っていくと、秦のあたりにごろごろいた人達のグループのハプロじゃないかとなります。ハプロってのはあくまで可能性として有名人のハプロである可能性が高いだけです。子孫を残す確率が圧倒的に高いためです。
私は日本の秦氏のハプロは知りませんが、日本でそれなりに大きなグループになってるので、多分秦国の末裔だと思っていますが、始皇帝の直系であるか?はとんでもなく怪しいと見ています。
例え王族と国民顔同じはプロでもそれが逆にやっかいな問題をふくんでる部分があります。
考えればすぐ分かるのですが、この突然変異ぽんぽんしません。当然でしょう…。だからある特定の人のハプロってその先祖のハプロそのままである事の方が圧倒的に多いです。変化はします。それがハプロがツリー化してる元ですから。でもその分岐はとんでもなく長い代を重ねてされるものです。
ハプロが分かってもすぐに直系だと判断するのは問題があると思っています。
黄帝というより、ああいうのってひょっとしたらN系だった可能性が有ります。だって中国文明ってN系が創ったんですから。後は、そもそも新モンゴロイドってN系だったのじゃないか?と考えています。ブリヤート起源ですが、ブリヤートってN系が2番目のハプロで、C系のモンゴル系って後から来たといわれていて、実際はN系集団だった可能性が有ります。そうなると中国の新モンゴロイドの中心ハプロはOじゃなくてN系だったんじゃないか?と見ています。その後の東南アジアなどの南下のO系は混血によって中心に摩り替わったのでは?と見ています。
まあこれは取りあえず黄帝の話としては、今回とずれるのでここまで。




