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「かなり太ったね」
僕は職場でシオリに会うと、ストレートにシオリの外見を評価した。
「しょうがないじゃない私妊婦よ?しかも太ったんじゃなくて子供が大きくなっているだけだから。」
そんなことは知っていたが、今までスリムな体型を維持していたシオリの顔周りは以前よりも一回り大きくなったような印象を受けたし、服装もコンサバでいかにもビジネスウーマンといった感じからゆったりとした楽な服装に変わっていた。だが、シオリの顔色はまえより良かったし声色もワントーン上がっているように感じた。
「そうかな?お腹以外も大きくなっているようだけど」
「あっバレタ?妊娠がわかって子供のためにも精のつくものを食べなきゃって必死になっていろいろ食べていたら、こんなに太っちゃって、今まで言ってたジムもマタニティヨガだけになっちゃって消費エネルギーよりもエネルギー摂取量ばっかり増えちゃった。アハハ。」
「でもなーんか調子いいんだよね。実は妊娠前までは自分に対する社会のイメージを気にしすぎて"出来る自分"を作りこみすぎてたのよね。もう緊張感がなくなって自制しなくなったらストレスも一緒になくなっちゃったみたい!」
たった3ヶ月の間にシオリの性格も変わってしまったようだ。ホルモンのせいだろうか。
「そんなことより大変だったわね出張。しかも来月から駐在員でしょ?大丈夫なの?」
「あぁもう諦めたよ、というか少し楽しみなってきた。」
「あらあんな嫌がっていたのに、まぁヒロがやりたいことをやればいいのよ」
シオリがまるでアレックスのような事を言うので少し驚いて言葉に詰まった。
「どうしたの?本当に大丈夫?」シオリが心配そうにこちらをみているので
「いや同じことを言ってくれた人がバルセロナにも居てさ、もしかしかたらその人ともシオリみたいに仲良く慣なれるかもしれないと思って。」
「なるほどね、新しい男か。」
「でも既婚者だから安心して」
「なにいってるの既婚者ならもっと心配じゃない。ヒロのその人のこと好きなんでしょ?」
「えっ?」シオリに言われるまで気づいていなかった。僕はアレックスに恋をしている?
まさか、と思いシオリを問いただすと
「だって今までヒロから会話がまともに続いた男の話なんて聞いたことないもの。いつもどうせ一夜限りだから会話なんてしないっていってたじゃない。」
たしかにそうだった、今まではむしろ会話やデートなどは中途半端な情が沸いてしまうからなるべく避けている自分がいた。だがアレックスの話をもっと聞きたかったし、もっと僕の話を聞いて欲しかった。
でもそれは恋というよりは友情に近いものと思っていた。
「いやただの友達だってば」
「ゲイの友達なんていないじゃない、ヒロのいう友達は"都合の良い友達"でしょ」
僕はゲイの友達は一人もいない、いや正確にいえばSEXなしの友達は一人もいない。僕がいつもシオリにいう友達とは一夜を過ごした相手のことだった。
「だからもしヒロがその人のことを好きならSEXなしでも会えるってことよ」
そういえば僕が"本気で人を好きなる"ことを相談したくてアレックスに会ったときはお茶をしただけてその後は何もなかった。
「SEXなしで会える性的対象がシオリの恋愛ってことか・・・」と小さくつぶやくと
「えっなに?なんていったの?」シオリは聞き返したが「ちょっと花巻さんいい?」と他の社員から会議室に呼ばれた。
「じゃあまたあとでLINEするね」小声でシオリがいい、小さく頷き自分のデスクへ腰を掛けた。
シオリの考えはいかにも女性的だと思った。結婚した後の将来を見据えると確かに性交渉のなしでも良い関係が築ける相手を探すことは合理的である。
でも僕の目標は結婚することではないと思っているし、シオリの恋愛観は僕には当てはまらない。
でもアレックスのことを好きというのは間違いではない。もし彼に夫が居なければ彼に惹かれていたかもしれない。
駐在の準備で忙しくしていると日本での一ヶ月はあっというまに過ぎ去り、日本を発つ日が来てしまった。
前日にはシオリが送別会を開くと提案してくれたが、僕はそういう類の集まりは苦手なためいつも断っている。ましてや自分が主役となるとことさら面倒だ。
その代わりにシオリとその夫と一緒にディナーを軽くしに代官山のフレンチレストランにいった。
渋谷からタクシーで十分くらいのところに立地しており最寄に駅はなかった。
シオリからはフォーマルな格好で来てくれと頼まれていたので、上下セットアップのツイードスーツに緑のネクタイをつけた。
「1978マダム・トキ」
入り口に着くとまるで日本ではないような印象を受け、アンティークのランタンを飾ったアーチにフランス語で書かれてあり。
庭には丁寧に世話されている花や木々たちが、大きくはない庭を上品に仕立てており、建物は明治時代の洋館のような佇まいで重厚な雰囲気だった。
「いかにも老舗フレンチって感じでしょ?」
後ろから少し遅れて到着したシオリは淡いパープルのドレスにチュールの肩掛けを羽織っていた。
横にいる男性はグレーの細身のスーツに身を包み左腕にはロレックスの腕時計が見えた。
「enchante hiro」
聞きなれない言語で挨拶をされすぐに彼がシオリの夫とだ気づいた。実は彼とは初めてだったが、一目見て彼の雰囲気を好きになった。
「はじめまして、エリオットさん?シオリから聞いたとおり素敵な方ですね。羨ましいです。」
お世辞じゃなく本当に嫉妬するほどのイケメンだった。青い目に白に近いブロンドの髪の毛、背は僕よりも十センチは高く、スーツを着ていても鍛えているのことがわかるほど体格も良かった。その上会社の役職についていて服のセンスもとても良かった。そしてなによりこのお店をチョイスしたシオリとエリオットの食のセンスに彼らの趣味の良さが滲み出ていた。
僕はシオリに嫉妬したのではなく二人の完璧すぎる関係に嫉妬していた。
重厚な扉がまるで自動ドアのように僕達を察知して開いた。
そこから四〇代くらいであろうベテランのウェイターが僕達を迎えてくれた、
「近藤様でございますね、ようこそいらっしゃいました。」
彼は予約したシオリではなく主役であろう僕の苗字を呼び、建物の中へ案内してくれた。よく観察すると彼の胸にはソムリエバッジがついており、スーツは皴一つ無いが新品というわけでなく、よく彼になじんでいる。足元に目をうつすとピカピカに磨かれたノーブランドの黒い革靴を履いていた。
ドコを見回しても隙がない空間はまるでレストラン界のディズニーランドというところだろうか。
敷地内に入った瞬間からマダム・トキという異世界に連れ込まれてしまった。
各テーブルには真っ白なテーブルクロスとロウソクと季節の生花が添えられ、銀のカトラリーが規範どおりに並べられおり、席に着くと若い爽やかな青年と案内をしてくれたソムリエがついてくれ、料理やワインが運ばれるたびにひとつひとつ丁寧に説明をしてくれた。
驚くのはベテランスタッフだけでなく若いスタッフもサービスが行き届いており、スタッフ一人ひとりに個性が感じられるような接客だった。ホスピタリティがお店全体から溢れているが固すぎず暖かい雰囲気を感じる。
シオリとエリオットは食事をしながらも食材や調理法についてあれこれ口を出している。その度に物知りなウェイターに質問をし、この空間を楽しんでいた。彼らがなぜこのレストランを選んだのは単純に質の良いフレンチを提供したいからだと思っていた。
デザートが僕らのテーブルを埋め尽くしたかと思うと、横にワゴンがつけられその2段ワゴンにはデザートが七・八種類ひしめき合い、合計で十種類以上はあるかと思われるデザート。
「お好きな分だけどうぞ」とワゴンを運んできたスタッフが言うと。
「じゃ私はこの栗のムースとフランボワーズのケーキ」
「僕はイチジクのタルトがいいかな」
シオリとエリオットは本当に自分の好みを少しだけもらうと、
「ヒロはどうする?」とシオリがほほえみながら聞いた。
「全部を少しずつ頂けますか?」
と答えるとウェイターはにこやかな表情で丁寧に僕の小さなお皿に乗せてくれた。
「人はそれぞれ好みも食べられる量も違うんだから、ヒロが好きなように選んで食べればいいんだからね。もし全部食べられなくても、味が想像と違っても、食べてみなきゃわからないことだから。後悔したりすることはないんだよ。」
ディナーの間は他愛も無い話しかせず、甘い甘いデザートが完全に消化された後もシオリのその言葉だけバルセロナの新しい家についても消化できずにいた。