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バルセロナ出張の滞在も残り一ヶ月となり、支店での会議が行われた。
「それでは近藤君と小林君からの報告は以上かね」
「はい、これで以上です。あとは現地での市場調査だけになります。」
「そうか、まぁそれなら1週間もあれば十分だろう。」
バルセロナ支店の担当は現在この佐藤さんが受け持っている。奥さんと子供が一人いて30歳から駐在員を務めているらしいから、六十歳になる今年で駐在三十年目だ。
「ではこれで今日の会議はひとまず終わりにして、本題に入ろう。」
佐藤さんの表情が少し固くなった。
「個人的な話なのだが早期退職をすることになった。六十五歳まで勤められるがもう30年も働き詰めで家族にまともなサービスもしてやれなかったし、海外での生活は簡単ではなかったよ、家族がいたからやっていけた。娘も大きくなりドイツで今は働いているから今後は日本で妻と一緒にゆっくりすごしたいと思っている。」
「そうですか、本当に長い間お疲れ様でした。僕は今回が初めての出張でしたが、やはり日本と違うことばかり大変でした。住居を構えるとなるとさぞかしご苦労なさったんでしょう」
と小林が労いの言葉をかける。
申し訳ないが僕は佐藤さんのアーリーリタイアよりも気になることがあり、小林のように相手をうまく労うことができなかった。
「さ、佐藤さん日本に帰国するとおっしゃっていましたが、このバルセロナ支社はどうなるんでしょうか?
新しい人材が必要になりますよね?」
まってましたといわんばかりに佐藤さんが笑顔で答えた
「そのことなんだが、、、花巻シオリ君に駐在員になってもらうことになっている」
僕は内心ほっとした。今回の出張は僕と小林だし、もし二人の中から駐在員に任命されるとしたら絶対に経験の長い僕になっていた。だが、シオリはヨーロッパ圏に強いし言語も達者で納得の人選だった。
「そうですか花巻さんならうまくやれますね。あっでも今妊娠中ですよ?お子さんが生まれてからもバタバタすると思いますし、任命は2年後くらいになるのでは・・・」
小林が不安そうに僕を見つめている。おそらく僕と小林の考えていることは同じで奇しくも予想は的中してしまった。
「そのとおり、花巻君が駐在する予定だったのだが今後産休をとることにもなるし、現実的ではないということになり今回は特別に短期駐在員として近藤君が2年間バルセロナに駐在することになった。なぁに三十年間に比べれば短いものだまぁ気楽に努めてくれ。」
頭が真っ白になった、佐藤さんの"よかったな"といわんばかりの表情とはうらはらに僕は思いもよらない返答に引きつった笑顔を維持している。
僕は海外に住むのは嫌いだ、留学中アメリカに住んでいたときも嫌な経験や理不尽な事をされてきた。
出張くらいの期間であれば滞在を楽しめるが、住むとなると話は違ってくる。
しかも英語圏ではないので言語の壁もある。
「近藤さん大丈夫ですか?ねぇ?近藤さん?ヒロさん!」
小林が声をかけてくるも反応が追いつかず生返事になってしまった。
まるで、留学のため初めてアメリカを訪れた時と同じような感覚に襲われる。これからどうすればいいのか頭の中で瞬時いろんな不安が駆け巡る。
佐藤さんと小林も不安そうな目で僕を見つめていた。
その時ようやく自分が取り乱していたことに気づき、ハッと我に返った。
「大丈夫か?近藤は家族がいるわけでもないし身軽だろうとおもって決定したんだが・・・。」
「そうですね、妥当な判断だと思います。任命されたからには精一杯努めたいと思います。」
と定型文のような台詞を吐き、その日の仕事を終えた。
「ごめんね私もつい最近しったのよ、まさか出張にいってないわたしが選ばれるとも思っていなかったし最近は産婦人科に通ったり、マタニティヨガにいったりちょっと忙しくてさーほんっとごめん」
スカイプの画面から少しふくよかになったシオリが早口で謝罪の言葉を繰り出す。
「いや、しょうがないよ子供は授かり物だしね。いつか僕の番が来ると思っていたし、よく考えたらそこまでがっかりするような話でもないよ。いままではちょっと自分を甘やかしすぎていたかもしれないし。」
「そんなことないわよ、もし本当に嫌なら上司に掛け合うこともできるんだから相談しなさいよ、私も産休まであと四ヶ月くらいは職場にいる予定よ。」
「まぁ今すぐに住むわけじゃないし、残りの一ヶ月よく考えてみるよ。」
赤いボタンにカーソルを合わせ会話を終了し。ノートパソコンを閉じる。
部屋の扉をノックする音が三回聞こえ「どうぞ」と答えると、小林が扉から顔を覗かせる。
「近藤さん大丈夫ですか?」
「あぁ少し落ち着いたよ、別に心配されるようなことでもないだろう」
「いや、僕には大したことですよ・・・あと一ヶ月したら近藤さんと二年間は会えないってことですよ」
「・・・・」
言うべきか迷ったが頭でよく考える前に口が動いてしまった。
「なんでお前はそんなに僕に固執するんだ?別に付き合ってるわけでもないし、一回セックスしただけじゃないか、よくあることだろ。別に僕はおまえのことなんて好きじゃないしどうでもいい。ただの同僚だ、むしろあの夜のことでお互い気まずかったろ。日本でも顔を合わせることがなくなった逆に好都合じゃないか。」
小林の眼球から色がなくなった。
「ひどいですね、小林さんは誰かを好きになったことがないですか?」
「あ」と言いかけた瞬間、僕は口を噤んだ。たしかに彼氏がいたこともあるし、好意をもった男だって何人もいる。でも本当に好きだったらあきらめていないし、今だってなにかしら繋がりがあるはずだ。
でも僕は過去に関係をもった相手の連絡先を知らない。相手が僕への興味を少しでも失ったときいつも消去しているからだ。だって、面倒じゃないか。相手にいちいち連絡が無い理由を聞いたり、何で怒っているのか聞いたり、なんでこちらが相手に合わせないといけないのだ。
「本気で好きになったことは、ない、かも。」
「じゃあ本気で好きってどういうことかわかりますよね?きっと今まで近藤さんが逃げてきた事を逃げずに向き合うことだと思いますよ。」
沈黙になり、まるで一秒が何分にも感じられた。
「帰ってくれ・・・」そう告げると、小林は扉をわざと音がなるように乱暴に閉めた。
そういう態度が面倒くさいんだよ・・・。と大人のフリをしている自分が少し恥ずかしかった。本気で人を好きになったことの無い奴が大人といえるのか。
僕はもう一度シオリに連絡したが、既にオフラインになっていた。時差の関係で日本はもう真夜中なので仕方がないだろう。
他に友人はいないか探したが深夜に起きている友人はいなく、携帯を見つめる。
メッセージを確認するとアレックスからの着信があり確認した。
「昨日は来てくれてありがとう、楽しい時間を過ごせて嬉しかった。もしヒロがまた来たいと思うのならいつでも来てくれて構わないよ。」
いつでもって・・・夫がいるだろう。
「ははじゃあ今度は三人で楽しもうか」冗談のつもりで送信したが
「それもいいかもね、ちょっと聞いてみる」とまさかの返事がすぐに返ってきた。
僕は本気で人を好きになったことのある人と話がしたくて、アレックスにメッセージを送ったことを忘れていた。
「それはさておき、ちょっとどこかでお茶でもしない?家でもいいけど。」
「あぁ夫が今夏風邪をひいて調子が悪いんだ、申し訳ないんだけど外で会おうか。」
「了解。」
と無愛想に一言だけ返し、スーツを脱ぎTシャツとジーンズを穿き薄暗いバルセロナの市内に出た。
*
「それは僕にとっては嬉しい知らせだね」
今日の出来事やバルセロナ駐在になることをアレックスに伝えると、カプチーノで髭を作りながら彼は嬉しそうにそう言った。
「そうかな急に伝えられたから泊まる家もまだ会社が手配していないし、異国で全部自分で手続きすることを考えると気が滅入るよ。」
「落ち着くまで僕の家に泊まればいいじゃないか、開いている部屋もいくつかあるし。」
「いや君の夫が迷惑だろう。」
「そのことなんだけど、彼にヒロのことを話したら是非会ってみたいって言っていたよ。彼は日本の文化が大好きだしMANGAもたくさん持っているよ。」
自分の彼氏のデート相手を家に泊まらせるなんて僕なら絶対に無理だ。もしかするとこれがアレックスと彼の夫が長続きしている秘訣なのかもしれない。
「ありがとう、でもなんだか悪いから最初はホテル住まいで物件を探すよ」
さすがにそこまで世話になるわけにもいかないので、やんわりと断ることにした。
「そうかまぁヒロの好きにすればいいよ、僕の家にも住むことができるって伝えたからね」
アレックスはいつも僕の判断を尊重に絶対に強制しない。これもカップルが長続きする秘訣なのか?
「ところで昨日その会議のあと・・・」
会議のあとで小林が部屋に入ってきたときのことをアレックスに話した。
「それはひどい事を言ってしまったね。」
「うん、ちょっといいすぎた」
「でも落ち込まなくて大丈夫だよ、"本気で人を好きになる"って定義はないしそんなもの主観的な判断でしかないから。小林君だっけ?彼は今ヒロの事を本気で好きって思い込んでいるだけだよ。だからヒロが苦しむようなことを言うし感傷的になって儚い恋の真っ只中にいる自分を楽しんでいるだけだよ。きっと彼はドラマティックで刺激のあることを恋愛だとおもっているんだろうね。それが彼の本気の恋愛ならそれでいいなじゃないかな?ヒロはヒロの本気の恋愛を探せばいいだけだよ。」
冷静な面持ちでアレックスは続けた
「同じような恋愛の定義を持っている人と出会えればそれが運命の相手なのかもしれないね。まぁ他人の考えていることなんて百パーセント理解することなんて出来ないから、結局は長い時間をかけてお互いの理解を深めていくしかないんだけどね。本気とか運命とか全部後付けだよ付き合ってみないとわからないし、結婚してみないとわからない。」
きっと今までいろんなことがあり深く考えてきたのであろうアレックスの言葉がすんなりと自分の中に入りすぐに消化された。
自分は特別だと思い込んでいたけれども実は他人の目を気にして人と違うことをしたきただけだった、自分の生きたい生き方をすることを忘れていた。