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外からは僕の頭痛に気を使うような優しい高音が聞こえ、寝ぼけ眼で窓を開けると、小雨が降っていた。
珍しくこの日は雨で、体調も優れなかった僕はホテル内でゆっくり過ごすことに決めた。
それでもホテルの朝食だけはどうしても食べる気にはならず、近くのカフェへタパスを食べに足を伸ばした。
ホテルのフロントに貸し出し用の傘はあるかと尋ねると、スペイン訛りの強い早口な英語で返答がきたため一瞬なにを言ったか理解できなかった。
もう一度聞き返すと、もちろんありますよ、チェックアウトまでお持ちくださってかまいませんとゆっくり丁寧に答えてくれた。
晴天のイメージが強いバルセロナだがもちろん雨が降ることもある。
僕は雨の日が好きだ。
人々はあまり外に出歩かなくなるし、雨音も嫌いじゃない、なによりもアスファルトが水を吸い湧き上がってくる独特の臭いは世界中どこにいても同じだ。
雨は僕が呼吸していることを思い出させてくれる存在であった。
雨で人がまったくいないオープンテラスをわざわざ選んだ、濃いエスプレッソに、厚切りのトーストにたっぷりのはちみつをくれと注文した。
サッカー選手のネイマールのようなキュートな店員は無垢な笑顔でヴァレ グラシアス!(オッケー了解!)と答えた。
よく運動をしているであろうキュッと上がった臀部と短パンから伸びる褐色のキレイな足は店内へと消えていった。
いくら体調が悪くても男の品定めはいつなんどきでもしてしまう。
食事が届くまでの間、通りをボーっと見つめていた。
昨日までは喧騒に包まれてた通りも今日はほとんど人がいない。観光客は室内が見れる美術館などの建物に出向き、現地の人間は家で昼過ぎまで寝ているのだろう。
カフェの中から陽気なラテンミュージックが流れているせいか、通りに人がいなくてもネガティブな雰囲気を漂わせない。むしろ久々の雨に休息することを思い出させてくれてありがとうとみんなが楽観的に一瞬一瞬をたのしんでいるようにも思えた。
さっきとは違う女の店員がトーストとエスプレッソを運んできた。
無言で会釈だけをすると笑顔で女は去っていった。カリカリにやけた表面にはちみつをおしげもなくかける。想定外にもバターがついておりナイフで半分に切り分けるとはちみつとバターは分離しながらも中の白いふわふわの生地に流れ出していった。
甘すぎるはちみつトーストをダブルのエスプレッソが中和してくれた。
まだホテルには帰りたくない気分だった。それは小林という現実に向き合いたくないのか、それとも小林と仲の良いパブロと一夜を明かしてしまったことから罪悪感があるからかはわからない。単純に面倒くさいだけなのかもしれない。
そんなときは他の男と寝れば大体のことは忘れられる。
僕がこれまでの短い人生で学んだ唯一の恋愛の処世術。結局恋で悩んでいる時は相手が自分の思い通りの反応をしてくれずに、相手からの返信を待っている時間に被害妄想をして自滅しているだけだ。
だから僕は考えるよりも先に体を動かす。
SEXは精神的にも肉体的にも痛みを緩和してくれる麻薬なのだ。
でも麻薬には中毒性があったり、効果はずっとつづかない。
もしかしたら愛とかいうものはそれよりも痛みに効果的なのかな。
何度もこのような考えを反芻してきたが、結婚している友人や知り合いをみても到底そうとは思えなかった。
人間は究極孤独で一人なのだから。
ちょうどゲイバーで知り合った、既婚者のレックスからメッセージが届いた。何故僕に連絡できているのかは謎だが、きっと酔っているときにでも交換したんだと思う。
今晩彼が家にいないんだ、よければ家で食事でもしよう。
つまり夫がいないので家でSEXをしようという誘いだった。はちみつトーストとエスプレッソのおかげかすっかり頭痛もよくなっていたので彼の誘いにのることにした。
彼の家はバルセロナ市内からタクシーで20分ほどのところにあった。
3階建ての一軒家には大きすぎない庭とジャグジープールが付随しており、呼び鈴をならすと「ヒロ、今日はきてくれてありがとう」とエプロン姿のアレックスが僕を迎えてくれた。本当に食事をすると思っていなかった僕は少々の驚きを隠しながらも家にあがった。
靴はそのままでよいか確認すると、好きなようにしてくれて構わないよと優しい笑顔で彼は言う。
おそらく中古物件を上手にリノベーションしたのだろう。外見は他の家屋とは変わらなかったが、家に入るとアレックスが手元のリモコンで施錠をしたのを見て最新の防犯設備が備わっていることに気づいた。
服装のセンスも良かったが家の中も整然とされているが、要所要所にモダンアートが飾ってあったり、よく手入れされた観葉植物が自然と置かれていた。
流行の曲がジャズテイストで流れており、みるからに高音質であろうスピーカーが視界からは見えないように天井付近に設置されていた。
L字型のシステムキッチンはとても広く、グレーと白を基調としたシンクの横に最新の料理家電が丁寧に整理されてた。3つ口コンロに置かれている大きい鍋は一目でパエリヤだとわかった。
「これこそまさに成功しているゲイカップルの生活ってかんじだね」
少し嫌味っぽく僕はいった。
「ありがとう、僕達もこだわって作ったから気に入ってるんだ」
と素直に感謝の言葉を述べる姿は、謙遜することを美学としている日本人よりもはるかに礼儀正しく信頼できるような気がした。
パエリヤが完成するまでの間、軽めの赤ワインを飲みながらお互いのことを話した。
アレックスは商社に勤務していたが、今はスペインで不動産業をしている。商社勤めで出張も多く夫との時間がとれないとの理由で貯金をすべて投資にまわした結果、いまでは不労所得で生活できているらしい。
彼の夫とは十五年前に知り合い、始めて付き合った相手だそうだ。
そんな純粋物語がゲイの世界にあることに驚いた、だがもしかすると彼らの世界がスタンダードで今僕が送っているような生活は自堕落で自分勝手なゲイを象徴しているのかもしれない。
そのようなことをアレックスに言うと、彼は少し笑みを浮かべながら答えた。
「ヒロは間違っていないし僕も正しくはないよ。ヒロが僕の暮らしをうらやましいと思うと同時に僕もヒロの生活をうらやましく思っている。でも全部手に入れることはできないんだよ。だから皆自分の中で一番大切なことを優先して生活しているんだ。自分がやりたいことをやっているんだったら他の人を気にすることはない、所詮他人の幸せなんて理解することはできないし、主観的に判断しているだけだよ。特に日本人は自分に自信を持てない人が多いって聞いたことがある。もしかしたらそれが周りを気にする要因のひとつなのかもね」
そうか僕は心の中では他の人とは違うと思い込んでいたけれども、それは自信がないから同じになることを恐れていたんだ。多くの人がしているように恋人をつくって幸せな家庭を築ける自信がないから孤独を選んで逃げていたんだ。
僕は恋人を作らなかったのではなくて、中身に自信がなく、見た目でカバーしようと着飾り、一夜限りの相手に求められることで自分に需要があると勘違いをし、孤独のほうが気楽と自己暗示をかけ恋人をつくれなかったのだ。そして一番自信が欠如しているのは他人を信用する自信だ。
多くの結婚できたりカップルの人は他人を信用しリスクを負って幸せを勝ち取っていたんだ。
僕はリスクを避け彼らの10%にも満たない幸せを幸せだと思い込んでいた。
タイマーの音がなりアレックスはキッチンに戻ってタイマーとコンロの火を同時に止めた。
レストランで小林と食べたパエリヤは港料理のような豪快さがあったがアレックスの作ったパエリヤはそれより繊細な見た目だった。
十分に蒸され赤く身の詰まった海老、鮮やかで発色いいパプリカとピーマン、隙間から見える黄色いサフランライスには海鮮の出しがたっぷり染みわたっているのだろう。まるで花畑のように生き生きとしている素材達からは海の香りがした。
仕上げにオーガニックのレモンをたっぷりと絞り一人分の量を僕に取り分けてくれた。
「ボナペティ(召し上がれ)」とアレックスが言ったと同時に僕はスプーンに乗る限界の量を口に放り込んだ。
同じ料理でも全くちがう。そしてレストランで食べたものよりも何倍もおいしい。
素材の一つ一つが甘みを有していて自然な塩気だけで作られたことがよくわかるくらい出しが効いている。
食べ進んでいてもおこげがたまにありサクサクとした食感と海老の弾力のある食感が飽きを感じさせなかった。
「こんなにおいしいパエリヤをたべたのは初めてだよ!レストランで食べたパエリヤよりも断然おいしいね」
「観光地の近くのレストランのパエリヤは冷凍物が多いからね、手軽に食べられる分味は手作りよりも落ちると思う。今日はちょうど市場もやっていたし地元の素材だけでつくられた新鮮なパエリヤの味は格別だろう」
またアレックスが用意してくれた白ワインのシャブリは絶品パエリヤにとてもよく合った。
癖や酸味が少ないすっきりとした味わいはパエリヤの旨みをよく引き出していた。
スペインについてこんなに食事に夢中になったのは初めてで、すでに空になったパエリヤ鍋についているコゲや貝の出汁をこそぎとりながら食べていると。
「よっぽど気に入ったんだね、時間を掛けて作った甲斐があったよおいしく食べてくれてありがとう。」
食事を作ってお礼を言われることはあっても僕が食べてお礼を言われることなんて今までになかった。
少し食べ過ぎたので少し横になりたいとアレックスに言うと、テレビの前にある革張りのソファーに案内してくた。
置いてあるクッションのタグを見ながらこれも高そうだなと思っていると、アレックスがエスプレッソを運んでくれた。少し薄めのエスプレッソが僕の咽頭と食道を洗い流す。
今日は本当にありがとうとてもおいしかったよ、と告げると軽く会釈をして返してくれた。
アレックスもソファーに座りお互いの仕事のことやバルセロナ、彼の故郷の南フランスについてなど二人で話した。
こんな"普通"なデートはいつぶりだろう。僕がこの家についてから3時間は既に経っているが、アレックスは僕に手を出してはこない。いままでは男と出会って五分でも世間話をすればすでにSEXをしていたので、
必然的にSEXが終わるとその瞬間からなにか区切りができたような気がして次のアクションといえば帰ることしか思いつかなかった。
この区切りの曖昧さの延長に恋愛があるのかもしれない、精神的にも身体的にもわかりやすい"区切り"はある種の達成感を僕にもたらせていた。
ちょうど今曖昧な区切りの中にいる僕達は相手の出方を伺いつつどうでもいい身の上話を続けている。
僕はこのなれない雰囲気に耐え切れず思わず言ってしまった。
「キスしてもいい?」
「もちろん。ヒロがしたいなら」
僕はアレックスの唇に自分の唇をそっと重ねる。徐々に相手の内部に侵食していくと、苦いが濃くのある味がした。
ベッドルームがあるけど、とアレックスが小声で言うと、僕は場所を移そうと頷いた。
服を脱がしあいながら2階にあがると3つの部屋があり、ゲストルームや書斎、バスルームがありゲストルームに案内された。どうやら三階が夫夫の寝室のようだ。
ベッドに僕が彼を押し倒し、何をして欲しいか尋ねると
「ヒロがやりたいことならなんでも好きだよ」
と自分の好みよりも僕が喜べばそれでいいといった表情で返した。
彼の体はよく鍛えられており、たまにジムで鍛えるくらいの僕の体より一回りは大きかった。
いつまでも僕の体を舌で愛撫し続けると、耐え切れなくなり「ファックしてくれ」とストレートに頼んだ。
彼はオッケーと小さく呟き、三階の寝室に裸のまま行ってしまった。
1分も経たないうちに彼はコンドームとジェルを用意して戻ってきた。そうか、彼は既婚者で夫とSEXしているんだもんなと改めて認識させられた。
始めは痛みが強かったが、優しく彼は続けだんだん痛みが快感へと変わってゆき、一体になっている感覚が全身を包む。
僕が果てると彼は満足した顔をしそのままバスルームに向い、彼に最後までしなくていいのか尋ねても、僕は見るのが好きだから大丈夫と笑顔でいった。バスルームから丁寧に彼が手を洗い体を拭いている音が聞こえ、やがて水の流れる音がしなくなると、シャワー浴びる?と尋ねてきた。
今日はもう遅いからホテルで浴びてそのまま寝るよと答えると、ヒロの好きなようにすればいいよと言い車でホテルまで送ってくれた。道中僕らは何も話さなかったが、長いキスをすると僕は軽くお礼を言って車から降りた。