2016年1月24日_11:06:13
また夢を見た。
大きな渦の中だった。ものすごい勢いで粒が飛び交いぶつかり合って一つの塊になったかと思えば、あちこちで分離し粉々になっていく。大きなうねりを作り出しながら高く高く上っていく。
――エレクトリカの中枢。
ふと確信が湧いた。粒はおびただしい数の断片的な記号だった。それがとんでもない速さで結合し別離し、つながりあいぶつかり合って思考の柱を生み出していく。
そのなかに、自分はいた。
灰色の世界に渦巻く思考。誰のものともわからぬ行動の軌跡が蓄積され、人間の無数の欲望が無機質な記号の組み合わせで分析され、欲するものに対して最も望まれる解を提供する。
――のっぺらぼう。
ころり、と頭の中に単語が浮かぶ。渦はそれを感知したかのようにぶるっと身もだえした。
「なんでも答えを出せるなら、親父が今どこにいるかを教えろよ!」
激しい怒りをぶちまけながら叫んだ。
モニター越しに表示された「error」の文字が、少年の目に映りこむ。そんなこともあったと、乾いた感情が怒号とともに吐き出された。
記号の砂嵐の中を歩いた。誰もいないのはわかっていながら誰かを呼んだ。猛烈な速さで記号がぶつかり合い、顔を手を腕を足を容赦なく切りつけてくる。血は出ず、痛みだけが自分の存在を感覚できるもののように思えた。
その声にこたえるように目の前に一人の少女が現れた。
おかっぱの子だ。記号が織りなす映像ではなく、意思を持つまなざしと気配を併せ持つ、灰色の世界に鮮烈な存在だった。
「おいでなさんし」
電子的な声ではなく、ごく自然な人間の少女の声が、砂嵐の中で柔らかく鮮やかに聞こえた。着物の袂が砂嵐で巻き上げられ、少女は踵を返してどこかへ行こうとした。
どこへ、どこへ行けばいいんだと聞きたかったが、口をパクパク開けるだけで声が出ない。
鮮烈な少女はこちらを振り返ることなく、ただまっすぐ歩いて目の前の砂嵐の中へ飲み込まれていった。
病室で最高司令官から言い渡された試験合格から数カ月。
異常事態の中、戦意喪失の試験者をまとめ上げ立ち向かおうとしたことと、ユウただ一人だけが脱出コードが発動せず、誰もダンジョンから抜け出させることができない中で、自力で帰ってきたことが、瞬く間にエレオン内で英雄譚として広まっていた。
自分自身、浮かれた気持ちはなかった。むしろ『ドラゴン』と戦った記憶すらあいまいで、ただ喰われると思った瞬間だけ覚えていたくらいだ。
だから、周りが英雄だとほめる人もいれば軽蔑する人々もいることが不思議でならなかったし、それに対して怒りや悲しみを感じることはなかった。今実感していることは、エレクティアリに所属しているということだった。
初任研修と呼ばれる訓練は苛烈極まりないことで有名だった。倍率が二ケタ以上の受験を乗り越えても、ここで脱落者が出るのは常らしく、実質的に業務にあたるものは受験者の上位1パーセントも満たないという実態だった。
それをユウは普通なら二か月のトレーニング研修を半分の期間でパスし、理論や組織の関係等も最短月数で習得した。
またも、エレオン日本支部の久々の合格者はたちまちその組織の中で知られることとなった。
最短で基礎をパスしても、休む暇はない。毎日が訓練であり実戦だった。
今日は初めて先輩剣士とともにエレクトリカに見回りをする。
見回りするダンジョンは『金魚の街』だった。親父がエレクトリカを創造して一番最初に作ったダンジョンだ。
試験を受けたときと同じステージに上がり、無機質なアナウンスが流れる。体が電子レベルに分解され、エレクトリカに入り込む。
目を開ければ、極彩色が飛び込んできた。
無理やり増築してかろうじて形を保っている程度のアンバランスなビル。そこには安っぽいネオンがどぎつい光を発して目がちかちかする。赤ちょうちんが猥雑な雰囲気を醸し、どろりと熟れすぎた柿のようだった。無秩序に壁に貼られた漢字の広告は解読不能。お面を売る屋台、酒の瓶を軒下に吊っている店や見るからに怪しい店など。全てが混とんとしている中で、人通りはそれほど多くはないものの、客引きが後を絶たない。現実世界の繁華街と同様きわどいくらいにぎやかだ。
「ここが、『金魚の街』」
「いくぞ、葛城。ここは一番古くからあるダンジョンで最も構築が安定しているが、その古さゆえに時々弱い害虫が発生する。初心者向けの世界だが、気を引き締めろよ」
先輩に言われ、はっと我に返った。いつもと違うと感じるのはそのせいなのか。危険がいっぱいのダンジョンにはない、耳障りな音が無い。かわりに色彩がどぎつすぎて目を開けてられないほどだが。
先輩の後ろについて、通りを歩く。店の中でアカウントたちが嬌声をあげながら盃をあおり、猫アカウントがぴんとひげをたてながら饅頭をくわえて彼らの足元を過ぎ去る。
――ついに、参られた――
「え?」
ささやき声。耳をとろかすような甘い声がそば近くで聞こえた。声のする方を見るとそこは、『竜宮閣』と金色の文字で書かれた看板を掲げる店があった。両開きの戸には幾何学模様のステンドグラスがはめ込まれているが、人の出入りが無いことから、単なる風景の一部だと分かる。
――おいでなさんし――
突然戸がぱっと開いて、両脇の赤ちょうちんが揺れた。一陣の風が店の中から飛び出してきた。
「どうした、葛城?」
前を歩いていた先輩が振り向いた途端、自分の体は風に取り込まれて店に吸い込まれていった。
「葛城?」
先輩はただ立ち尽くすだけだった。
◆◆◆
目を開けると、そこは別世界だった。三階建の店らしく、柱と柱の間に部屋があるようで壁はなく、かわりに絹の帳がかけてある。廊下は梯子を横渡しにしたようなものだったが、普通に歩けた。一番驚いたのは、錦の金魚が優雅に空中を泳いでいることだ。息は普通にできるから、きっと幻想なのだろう。それともこの建物自体が害虫の仕業かと思い、こめかみに手を添え先輩の応答を待ったが何も返ってこない。後ろを振り返り、戸を開けようと取っ手を引いても押しても無駄だった。
「はめられたか」
頭の中で警鐘が鳴り響く。自然と右手から剣を出現させていた。電子の刃を白く輝かせ、戸のステンドガラスに向かって振り上げた。それをこの建物が感じたように、たゆたう水色の空気が鼓動したようだった。
「……!」
腕が剣を振り上げる形のまま停止した。いくら足を踏ん張って動かそうとしても頑としたままだ。剣から手を放そうとしても、それも無駄だった。
――こちらへ――
先程の甘い声がしたかと思うと、目の前にどこから出てきたのか、肩あたりで切りそろえた髪を紅い紐で結んだ少女が、鮮やかな着物を何枚も着重ねて現れた。くりっとした真っ黒い瞳でこちらを見上げると、ニコッと笑って手を差し伸べた。
「おいでなしゃんし」
愛嬌のある声。鮮烈な少女はそのまま通りすぎるようにしてちょこちょこと歩いて行く。ついて来いというのか。
すると腕が元のように動くようになり、剣が落下して床を穿った。
「一体、なんなんだ?」
害虫にしてはこちらを襲わない。害虫の親玉の元へ行かなければ発動しないのだろうか。
少女が一歩踏み出すごとにこの建物の中が変化していくようだった。廊下は動くらしく、少女が渡る一歩手前で梯子がかしゃんと移動する。歩いている間も、二人をのせてどこかへ運ぶ。帳の無い部屋には鏡や化粧道具、箏に三味線等が置いてあるところもあれば、艶やかな着物を纏った女性が煙管をふかしているところもあった。廊下を渡り、さらに奥へ進む。
カチリ、カチリと何かがかみ合って一つの渦を作り出していく。統合と分離を繰り返し、己の思考と体の動きを奪う、あの渦の中にみた鮮烈な少女の後ろ姿が、目の前の彼女と重なり合った。
剣を強く握り、どこから害虫が襲ってきてもよいように気を巡らせる。
少女が急に立ち止まったので、思わず彼女の着物の裾を高電圧で焼いてしまうところだった。
「ねえさん、おいでなしゃんした」
――おはいりなんし――
あの甘い声が響いた途端、すうっと少女は泡沫のように消えてしまった。目の前には紅と白ののれんがかかっていた。はたり、とのれんのはしが揺れた。
その瞬間には、のれんが背中にあった。
「ここは?」
「ここは、王忠﨟(おうちゅうろう)のへやでございます」
背筋がびりっとした。同時に周囲から体を圧迫されているように窮屈に感じる。とっさに剣を前に構え、攻撃態勢に入る。白い両刃から陽炎のように電流が溢れ、触れれば一瞬で溶かされ、再構築不能になる。声の主は姿を現さず、ただ笑うだけだった。
「ほほほ。物騒なものをどうかおしまいになって。あなた様を傷つけるつもりはございませんよ。さあ、奥へお進みください」
ゆっくりと奥へ歩みを進める。狭い廊下と思ったら両脇には様々な物品が陳列されていた。色とりどりの刺繍を施した着物、金色の弦を張った箏に、紅色の小さな鳥居の奥には精巧につくられた社が鎮座する。今にもだるそうに尾を振ってあくびをしそうな三毛猫の置物や真っ赤なだるま。がらくたから逸品まで雑然と一番奥の部屋まで並ぶ。圧迫もどんどん強くなって、息が苦しい。思わず膝をついてしまった。
「くそ、水中かよ。魚眼レンズ苦手なんだよな」
「ほほほ。さすがは主様のむすこ。御明察でございます。さあ、ごほうびです」
耳元で声がしたかと思うと、視界が開けた。きちんと直線が見える。ものが曲がって見えたり、空気がたゆたっていることをのぞけば、先程の店の中と同じだった。だが息苦しさは変わらず、立ち上がれるか分からない。
だがここで諦めるわけにはいかない。声の主だけでもはっきりさせたいと思い、剣を支えにして立ち上がり走る。一番奥にはまたのれんがかかっており、剣で両断して突き進んだ。
清涼な空気が肺を満たす。かろうじて攻撃の構えはとれたものの、なかば倒れ込むような形で駆けこんだ。目の前に巨大な金魚が何匹か優雅に泳いで横切った。薄い布を天井から吊った空間に、あの少女と同様に何枚も錦を重ねた女性が座っている。
(あれが、王忠﨟……声の主)
そこからはみ出さんばかりの長い裾の上を、漆黒の長い髪が優雅にかかる。彼女の頭には鮮やかな宝玉をはめ込んだ金色の髪飾りが、きらきらと輝いていた。提灯の細長い柄を、白い指が弄んでいる。まつ毛の長い、憂えているような瞳がこちらを見た。艶やかな紅い唇がにっと笑った。
「お前は何者だ? なぜ俺をここに引きこんだ?」
するり、と王忠﨟が空間から出てきた。まるで空気の中を魚が泳ぐようにすうっと近づいてきた。剣で威嚇しても気にすることなく、むしろ頬をそっとなでて黒い瞳にこちらの姿が映り込むほど王忠﨟は顔を近づけてきた。あまりに突然で、思わず剣で振りはらい間合いを取った。
「なぜ俺をここに引きこんだ。答えろ」
答えなければ、と剣の電圧を最大にする。ジリジリと周囲の空気を焼く音がした。王忠﨟は怯えることも無く、じっとこちらの顔を見つめたままだ。
「ふふん。やあっぱり、主様にそっくりですわね。喰いはいたしませんよ。再構築不能になったら主様が悲しむだけですから」
「主様って、親父のことか?」
王忠﨟がゆっくりと頷く。
「主様はこの世界を作り、このダンジョンの守り神として私をおつくりになりました。そのとき、主様は息子がこの世界に入ったら、私に会えるよう設定し扉を開ける鍵とされたのです」
「扉?」
王忠﨟は紅の椅子にもたれて漆黒の瞳を遠くへ向けた。
「今主様はこの世界の深淵なる場所にいらっしゃいます。誰でも入ることのかなわない場所でございますよ」
その瞬間、頭の中で今まで創り上げてきたパズルが音をたてて崩れていくのが分かった。
「親父はエレクトリカに飲み込まれたんじゃなかったのか」
「はい」
なぜ飲み込まれるような形をとってまで、エレクトリカに潜り込まなければならなかったのか、なぜ、それを教えてくれなかったのか。そして本当に「生きている」のか。
問いが増えていく。王忠臈はただ静かに遠くをみはるかすようにして見つめているだけだった。
「親父を迎えに行かなきゃ解決しないのは変わらないってか。その扉、開けてもらえるか」
王忠﨟が頬を紅く染め、袖で顔を隠した。
「まあ、その目は主様そっくり」
王忠﨟はさらに顔をぐっと近づけた。うるんだ目にこちらの顔が映り込むほどだ。満足そうにうなずいて、顔をはなし両腕を広げた。豪華な着物の模様が金色に輝く。甘やかな声ではなく、朗々と響く声で言った。
「では、『東西東西』!」
王忠﨟の背後にある柱にかかった、漢数字の書かれた文字盤の長針がものすごいスピードで回転し始めた。瞬間、部屋に置かれていたがらくた等が一斉に動き出した。パズルのように精緻かつ大胆にフィールドをつくりだしていく。楕円形の透明な壁を作り、空間を区切っていく。地面も岩場や緑深い水草などが生えていた。
「簡単なものの裏に複雑なのを造るっていうのは……らしいじゃねえか」
水色の世界。紅、白、黒、金色など様々な色を纏った巨大な金魚がその中を泳ぎ、岩や底といったものは全てがらくたで構成されていた。招き猫や達磨の目がそれらの隙間からのぞき、生々しく光っている。王忠﨟の姿はなく、まるで巨大な金魚鉢の中にいるようだった。静かにこめかみあたりに右手を添える。害虫特有の耳障りな音が聞こえる。久々の高揚感。おもわず唇を舐めた。
「危険信号音、あり。始まりだな」
瞬間、ぎろりと金魚たちの飛び出た大きな目がこちらを「注視」した。突如がらくたが襲ってきた。渦となってひしめき合う音を立てながら、こちらを喰らわんと大きく口を開けてきた。
『鰐』だ。
ゴーグルの標準を合わせ、剣の電圧を極限まで引き上げ大きく振り上げた。巨大な白銀の電撃波ががらくたの『鰐』の口を上下に分断した。残骸は電子レベルに分解されるものもあれば、無残に水底に沈むものもあった。
「よっしゃ」
思わずガッツポーズをしたのもつかの間で、前方と背後から金魚が挟み撃ちにしようとこちらへ猛然と泳いでくる。虚無の広がる口をがぽっと開けて、周囲のがらくたの端くれや分解された電子までお構いなしに吸い込む。あれに飲み込まれたら「喰われて」しまう。
「ち!」
勢いよく上へジャンプする。水中フィールド特有の無重力状態を生かしてそのまま電撃波を放つ。金魚たちは体全体に泡を発しながら消えていった。
先程の衝撃波であらかた片付くと、がらくたも底の方にたまって動かなくなった。
「さあて、次への道は上か」
上を見上げると、光の柱がいくつも差し込んできらきらと輝いていた手で水をかきながら、上へ登ろうとした時、ぬっと黒い金魚がどこからか現れて闇の広がる口をあけ、こちらを飲み込んだ。