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試験開始

 エレオン日本支部では年に二回、国家試験を行っている。いくつかの細かい部門に分かれているが、一番人気はやはり、直接エレクトリカに入り込むエレクティアリ管理部門だ。合格ラインは極めて厳しく、まことに残念ながら今回の試験、合格者はおりませんでした。またの挑戦をお待ちしています。なんてことも決して珍しくない。事実、半年前がそうだ。支部全体が期待の新人を求めていきり立っているのは仕方のないことだ。

 しかし、失われた部分を埋めることは容易ではない。

 深くため息をつき、ずれた老眼鏡を整えた。隣にいた秘書の伏倉が、苦笑しながらお茶を机に置いた。

「大丈夫ですよ、きっと合格者は出ます」

「……ああ」

 少し的外れではあったが、私を気遣ってくれたその言葉に感謝し、お茶をすする。ちょうどよい温度のそれは、ゆっくりと私の体に染みわたっていくようだった。彼女のお茶はいつもおいしい。

 エレオン日本支部最上階。支部長室。広くはないが、調度品の数々や壁紙など、それとなく高貴さを感じさせる造りになっている。私にあっているかどうかはわからない。

 ここよりはるか下にある訓練室で、今まさに資格取得を目指す老若男女が試験に挑んでいる。電子世界の出来事であるから、この場に何が伝わってくるわけでもない。それでも行われている戦いを思うと、何が暑くて淀んだものが胃の中からせり上がってくるような心持だった。私は実践から之いて長い。彼が得体のしれない『鰐』に接触し、行方知れずになったあの時から。

 ともに遊び、勉学に励み、同じ職場で切磋琢磨してきた我が親友は、あっけなく飼い犬に手をかまれた。そして私は飼い犬の鎖を手放した。そんな人間にはやはり、この部屋は似合わないのだろう。

「私なんか電子世界に行くだけで酔っちゃって。みなさん十分すごいと思うんですけどねえ」

 伏倉は苦笑しながら机の上を軽くふいた。すらりと背が高く、姿勢の良い彼女は、着飾れば有名なモデルになれるであろう。今、無機質な建物の中で老人の日常を管理している。

「打ち勝てる者が、いればよいがね」

 そう。

『害虫』はいとも簡単にすべてを喰らい尽くす。

 試験では、隔絶したエレクトリカに人工的な『害虫』を発生させて行う。隔絶と言ってもワールドワイドな通信を切断しているだけで、この建物からならば入り込む手段はいくつかある。また『害虫』も、公的に認められた規格で作成された訓練用のもので、特に危険性はない。せいぜい攻撃を喰らった人間が、現実世界に戻ってきた時にひどい倦怠感を覚えてしまい起き上がることが困難になるくらいだ。救急班も念のため待機させてある。

 これが本物の『害虫』になると、根本から勝手が変わってくる。やつらはすべてを喰らい尽くす。誇張でも何でもない。本当に『食らい尽くして』しまうのだ。電子の体はオリジナルだ。コピーではないのだ。それが食われてしまうということは、すべてならば死を意味する。存在は消滅し『害虫』と接触したという無機質なログしか残らない。中には、それすらも残らずに……。

「そういえば」

 伏倉が沈んだ空気を振り払うように明るくいった。

「ん?」

「いるんですよね、今回の試験には」

「誰がだ」

 伏倉はまるで自分自身を誇るかのようにその大きな胸を張り、咳払いして告げた。

「あの失われた大天才、ドクター・コウの息子が、受験しているそうですよ」

「何……? いや、そうか」

 確か、名前はユウだったか。かつて見せられた写真には、彼にそっくりな子供が映っていた。あれから十年だから、もう成人しているのか。このタイミングでの受験とは、きっと偶然ではないのだろう。

 机の、一番下の引き出しのカギを開け、奥に手を伸ばす。まだ誰にも見せていないあるものを取り出しポケットに入れ、立ち上がった。

「あまり驚きませんね?」

「まあな」

「はあ……。って、どちらに行かれるんですか」

「探し物だ。ついてこなくていいぞ」

「ええ、待ってくださいよ!」

 慌てふためく伏倉の声を背後に聞きながら、支部長室をあとにした。十年たってもなお私を苦しめ続ける、彼の面影を見つけ出すために。



最初、巨大プラネタリウムに全員がのぼって転送された。そこまではよかった。しかし、本来なら受験者一人につき一つのダンジョンが与えられるはずが、全員が一つのダンジョンで戦うことになったのだ。

《各試験者へオペレーターより、バグの発生により試験を中止します。繰り返します。縛の発生により、って、え? 司令官? そんな……》

 声が変わる。低く威圧的な声だった。

《試験責任者の加々見より君たちに命令する。これは実戦だ。試験ではない。このダンジョンでグループ戦による任務にあたれ! 戻ってきたものは即時に合格者とする》

 声が途絶えた。虚ろな雰囲気がその場に残された試験者を包んだ。

「おい、どうする?」

「転送ルーターつかえねえって、どういうことだよ」

 オペレーターがふざけているようにも思えない。試験責任者が発した声には緊張が含まれていた。そして作りこまれたダンジョン。まさに

「『崖』のダンジョンじゃないか、これ」

 攻略エリアの中でも最難関クラスのものにそっくりなのだ。いや。それそのものだといっていい。

「考えてる暇ないみたいだぜ。湧いてきやがった」

 見回せば夥しい上級クラスの[害虫]がぐるりと取り囲んでいた。

 受験者数は、十人。

「みんなバディを五組作って迎え撃てるか?」

 もっぱら個人戦を対策してきたとしても、ある程度のチームワークは必須だ。ユウはそれに賭けるしかなかった。

 そう思った瞬間、

 Tick tack……

 バケモノの心臓音のように聞こえた。事実、灰色の地面に亀裂が走って『鰐』の岩だらけの牙がズラリと現れた。

  右手には諸刃の剣。この世界での、愛用の武器。

――親父もまた、剣士だった。

 ギュッと、柄を握りしめる。

 感傷に浸っている時間はない。わずかに目を閉じ集中した後、周りをうごめく気配に向かってかけ出していった。

「はあっ!」

 上下から、自分を噛み砕こうと怪しい影が迫る。鋭く光る攻撃力の高そうな牙は、しかし、そこまで脅威に感じない。勢いをつけさせるために、横半分に薙ぎ払う。上あごと下あごを完全に分断させられたそれは、電子の塵となってかすかな悲鳴とともに消えていった。

Lililili……

 けたたましいアラームが、五分経過したことを知らせる。ここまで、 まるで昨夜のシミュレーションを早回しにしたような展開がなされていた。そのおかげで、苦戦の対象だった『鰐』もそれほど焦ることなく倒すことができ、大幅に時間を短縮する結果となった。周りの空気が、とたんに熱を失い、落ち着いたように感じられる。

 シミュレーションといえども、本番の内容を完璧に予測できるわけではない。対象物の組み合わせなど、無限に存在しうる。そんな中、そのまま予行演習が行われていたとは、何とも運がいい。もしかして、自己ベスト更新を達成したのか? などと考えて、思わず笑う。電子世界に現在している時点で、まだ試験は終わっているはずがないのだ。つまり、まだどこかに対象物が潜んでいる。

 バディを組んだ一人を探す。

 シュッと何かが目の端を掠めた。荒涼として、どこまでも広く、ところどころ電子が揺らめいているだけの世界に、事実その通り、影を落としていた。ありえない姿が目の前に立ちはだかる。

「『龍』だと!」

 空に浮かぶ、そのまがまがしいほどの巨大さに、一瞬、電子の心臓がはじけ飛びそうになった。

『鰐』、『獅子』、『狼』、『鷲』。」試験において、用注意すべき『害虫』は多く存在する。それでも『龍』が現れたなんて言う例は、聞いたことがない。そもそも実際の任務においても、まず二人組で戦わねば危険であるといわれている存在だった。

 何かの間違いかと思って目を凝らしても、その姿は不敵に揺らめくばかりだ。けたたましく一声泣いたかと思うとこちらに向かって急降下してくる。何もかももぎ取ってしまいそうなその鋭利な爪を、寸でのところで後ろに跳び退って避ける。転ばないように踏ん張りながら相手を見やると、笑っているかのような口は大きく開かれ、そこには赤黒いよどみが渦巻いていた。必死でもう一人を探すが、見当たらない。残りの八人も、気配すら感じられない。最悪の状態が一瞬脳裏をかすめたが、恐怖におびえている暇はない。

「くそ!」

 容赦なくほとばしる炎を、またしても必死に、地面を転がって避ける。炎はそのまま自分がいた地面をまっすぐに、はるか遠くまでえぐっていった。時間を与えれば炎を吐かれ、かといって近づけばその爪や牙にかられる。無様に逃げるしかなかった。

 Tick tack

 耳の中で、無情にもカウントダウンがはじまった。 

 自分自身が対象物に飲み込まれて時点で試験終了――。そんな説明が思い出される。そう、どのようなすさまじい攻撃を持つ『害虫』でも、最後には己の相手を食べてしまうのだ。

Tick tack

 時間はない。その一瞬に書けるしかない。

馬鹿でかい口がこちらに向かう。目をそらしたくなるその立ち並ぶ牙を必死でにらみつけ、大地を蹴り剣を握りしめた。その牙が猛威を振るう寸前に、自ら飛び込んでいく。

Tick tack

 牙が衣服を切り裂いていく。構うもんか。

 食われる前に斬ればいい!

 暗闇にとらわれながら、力の限り、剣を振りぬいて――。

Lililili……



「うっ……」

 首筋にねっとりと絡みつく液体。恐る恐る拭い取ってみれば、それは忌まわしき『ドラゴン』の唾液でも血液でもなく、他でもない自分自身の汗だった。体を起こしてみても、そこにあるのは白い壁と簡素なベッドがいくつかと。小さな窓からは穏やかな夕陽が忍び込んでいる。少なくともさっきまでいた電子世界ではないだろう。何かの薬品のにおいが鼻につく。病院だろうか。と思ったその時、傍らに立っていたその存在に気付いた。

「気分はどうだ」

 まずとらわれるのは、その鋭い目。眼鏡の奥から除くそれは一瞬の震えを起こさせるのに十分だ。肌には細かい皺が刻まれ、後ろで軽く束ねられた紙には白いものが混じっているが、自分を見下ろすその姿、少しも老いは感じられない。スーツが異様なまでに似合う。どこかで、見たことがあるような。

「まだ口がきけないか? それとも、体におかしなところがあるのか」

「いや、そうでは、ええと、特に変なところはないです」

 圧倒されながらもなんとか答えると、男はふむと唸った。

「君は実技試験を終えて倒れたんだ」

「じゃあ、ここは」

「エレオン日本支部内にある医務室だ。ほら」

 差し出されたのは、確かにさっきまでつけていたゴーグルとグローブだ。ここに寝かされる際、外されたのだろう。そっと受け取り、ぼーっと眺める。最後の方の記憶はほとんどないが……。

「他の人たちは? 試験本番でいったい何が起こったんですか」

 この事態を生んだ原因は何だったのか、他の受験者が自分以外すべて消えてしまったこと、すべてを聞かねばならない。

「当時言ったことに変わりはない。聞きたいことはそれだけか」

 いいわけないだろ、と叫びたかったが、老人の威圧的な物言いと厳格な雰囲気に、ユウは言葉を飲み込むしかなかった。老人に圧倒されただけではない。もう一つの大きな事実をユウは気づいてしまった。最後の記憶。だれ一人いなくなった中で『龍』と戦おうとした。 

倒れた。

 それはつまり、私見を途中で放棄したということ。

 この試験は不合格であること。

 親父を迎えにはいけないということ。

 その事実は、想像以上に胸を串刺しにした。みなにも、おふくろにも、合わせる顔がない。また受験すればいいことだが、そんなにのんびりとしていたら、親父の影はどんどん、どんどん薄くなっていってしまう。しょせん、自分はまだ子供ということか。

 悔しかった。涙が溢れそうで、唇を強く噛んだ。

「もう一度たずねる。本当に、おかしなところはないか」

「ありませんって……俺、今それどころじゃ……」

「そうか。それならいい」

「っ……ちっともよくなんか!」

「合格だ」

 柄にもなく興奮しているからか。幻聴を聞いたのだと思った。

「今、なんて」

「エレオン日本支部、エレクティアリ管理部門今回唯一の合格者だ。おめでとう」

 さっきまであんなに主張してきた涙もひっこみ、ぽかんと口を開けている自分に、老人はさらに衝撃的な言葉を投げた。そしてそれはどこか優しかった。

「私が保証する。君はきっと、コウ――親父さんに、また会える」

 思い出した。この男は。

 エレオン日本支部、最高責任者。

 加々見アキヒロ。

 親父とともに、エレクティアリを創り上げた天才だ。




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