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考える家

「ただいま」

 玄関に入ると、料理のいいにおいがした。キッチンをみると母が、テーブルに手際よく料理を並べている。お椀、箸、銀色のアルミホイルに包まれたものが二つずつ、テーブルの間に鏡があるかのようにならべられていた。

『おかえりなさい』

 アナウンスの声が天井から響くと、母が顔を上げた。

「あら、グッドタイミングね。今ご飯ができたところよ」

『お母さん、料理を並べ終わったら次は調理器具の洗浄です』

 上から降ってくるアナウンスの声に従って、母は流し台に向かった。スポットライトの当たったフライパンを手に取って指示された通り流し台へもっていけば、適量の洗浄剤と水が蛇口から出てくる仕組みだ。

 階段を上がって部屋に入る。小学生のころから使っている机の上には鉛筆と消しゴムが散らかっている。紙の資料と受験対策用の書籍がサイドテーブルに積まれていた。家具と言ってもベッドとモニタ、箪笥ぐらいだ。家の中でこの部屋が、唯一ユウにとって安息の場所だった。

 電気の入っていない場所など、世界中探してもこの部屋くらいだろう。いいかえればエレクティアリから切り離された空間だ。完全に切り離されたわけではなく、ただ電源を切るという単純な作業で切り離されただけだ。ただ、その空間が無ければユウ自身、耐えられないと思っていた。

 すべてがデータ化され、オートメーション化が可能になった今、不便なものなど数える程くらいになってしまった。逆を言えば電子世界に人々が管理され、支配されているのだ。

 父親はエレクティアリで何をしたかったのだろうか。天才開発者が自身の創り上げたシステムに飲み込まれてしまった今、それにこたえられるものはいない。

『仮想世界でも現実は存在するのよ』

 ミナの声がこだまする。10歳で彼女は数学オリンピックに出場し、エレオン日本支部に招聘された時、彼女はそんなことを言っていた。親父の作った技術を誰よりも早く理解し、プログラムの監視と指摘を行うのが彼女の仕事だ。エレクトリカを理想郷とし、現実世界との橋渡しをエレクティアリに担わせたかったという意味なのだろうか。それがいま裏目に出てしまっているということなのか。

 ベッドに倒れこむ。本番が明日だというのに、いつもの睡魔が襲った。





 モニタ画像転送完了。電子世界エレクトリカ起動。


「なあに突っ立ってんのよ」

 目を覚ます。体は子供くらいで、小さな両手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。

 エレクトリカの中に転送されたようだ。いつもそうだ。ここから夢が始まる。

 振りかえると、長髪の女性が目の前に立っていた。ダンジョンの警備アカウントだろうか。

「って、ユウじゃないの! ここは立ち入り禁止なのに何でいるの。さあ早く出てって」

 膝を折ってこちらに目線を合わせる。力強くまっすぐな視線が貫くようにこちらを見つめる。このアカウントを扱っている人は誰なんだろう。こんなアカウントは知らない。

「早く出ってってば!……っ!」

 嘲笑のような声が上空から降った。見上げると夥しい数のカラスが上空を覆っていた。けたたましい鳴き声は不吉な響きをもって周囲の建物を震えさせる。立っているのがやっとで、走るには無理だ。突如カラスの大群が渦を巻き、こちらへ急降下してきた。からだが動かない。いつもそうだ。

女性は上空をにらみ上げ、電子刀を握り背中の青い翼をはばたかせ黒い渦へ飛び立った。白い光が閃いた。斬った。青く輝く翼を翻し黒い翼にひるむことなく、羽撃きで次々に切っていく。長い髪は乱れることなく、振るわれる刀から発せられる電子で切飛ばしていく。分解された電子が塵となって地上に降り注ぐ。

 再び青く澄んだ空が現れた。女性は静かに地上へ降り立ち、電子刀を収めた。こちらを振り返り、つかつかと歩いてくる。先ほどの乱闘などなかったかのような表情で口元に笑みを浮かべていた。

「まだわかんないの? 仮想世界でも現実は存在するの」

その言葉を知っている人はただ一人だ。

「ミナ?」

「ようやくわかった?……って、また転送されてんじゃないわよ」

 見下ろすと両足が消えかかっている。両手も同じだ。目の前の世界がゆがむ。いつもそうだ。

――ユウ、おいで――

 懐かしい声が聞こえた。あたりを見回しても誰もいない。女性が怪訝な顔をして見下ろしているだけだ。あの人の影を探そうとすると、いつも目の前の景色がゆがむ。



 目を覚ました時は既に日も暮れていた。机の上の携帯電話がミナからの着信を知らせる。

「もしもし?」

「ユウ? また転送されてたの?」

「……そうみたいだな」

 愛嬌のある声だが、やや緊張気味だった。ミナはダンジョンのスキャニングをしていたらしい。害虫駆除は彼女の仕事ではないが、緊急の場合は出動することもある。

「また小学生の外見だったけど、記憶もその時のままだった?」

「ああ。合言葉が無かったらミナだってわかんなかったよ」

「動きやすいアカウントがあれだったの。情報収集してみたけど、エレクトリカとの親和性が高い人は一定数いるみたい。ユウみたいにしょっちゅうエレクトリカに転送されるわけじゃないけどね。でも一つ進歩したことがあって、エレクトリカから直接人間の脳波へ接触があることが分かったの。今回もそれがあったから駆けつけられたの。もしかしたら……」

「明日はちゃんと、玄関を出て試験会場に向かうよ」

 ミナは電話越しで短く笑った。

「これ以上は内部情報だから言えないけれど、ちゃんとスーツで行きなさいよ。ジャージ姿で臨んだら恥かくからね」

 今度はこっちが笑う番だ。終話して時計を見ると、一時間過ぎていた。

 リビングへ向かうと、食事がテーブルに並べられて湯気を立てていた。椅子に座れば前の大型モニタが起動し、「向こう側」に母の姿が映し出される。

「遅かったわね、寝てたの?」

「まあね」

 母は実家のモニタ越しでお茶を飲んでいた。

「明日試験なんだってね。ご飯食べたら早く寝なさい」

「ああ。おふくろは少しやせた?」

「そんなことないわよ。さ、早くお食べなさい。レシピデータを転送したら作ってくれたの。この前みたいに宅配してくれるのもよかったけど、タッパー増えるだけじゃ困るでしょ」

 日々アップデートされる「家」はエレクティアリの粋を集めたものだ。住人の感情を読み取り、適切な料理や快適な眠りを提供する。昔は家事ロボットで行っていたことを家が考えてやってくれる。

 ご飯を食べている間、母はずっと見ているだけだった。会話もなく、ただ時間が過ぎていく。先ほどの夢の話はしないようにしていた。少しでも不安定な状態から遠ざけておかねば、母の精神が持たないからだ。だがエレクティアリの恩恵は受けている。

「お母さんね、そろそろそっちへ行こうと思うの。お医者さんも賛成してくれているし」

「本当にもう、大丈夫なのか?」

「だいぶ安定しているそうよ。お父さんの技術が生きているってことは、お父さんが生きているってことだから。そう思えるようになってきたの」

「無理すんなよ」

 母がはにかんで目線を落とした。

「お父さんを探したいって思いがまだユウにあるのなら、お母さんはそれを否定しないわ」

「あきらめてないよ。そっちにも帰る気はない」

 モニタに、残念そうな、それでいて少し安心したような表情が映っていた。

「明日頑張りなさいね」

「いわれなくても」

「おやすみなさい」

「おやすみ。飯うまかったよ」

 通信が切れた。

――明日はエレオン日本支部の試験だそうですね。安眠できるように、お風呂を沸かしておきました。いつでも入れますよ――

 天井からアナウンスが流れた。


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