富沢写真館
どんよりとした空。どこまでも灰色の地平線が伸びて、遠近感がつかみづらいフィールド。あたりはしんとしていて、目を閉じれば足元の塵さえも感覚でとらえられた。ピンと張りつめた空気の中に動くものを感じた瞬間、勢いよく地面をけった。
それと同時に先ほどいた地面から、巨大な物体が轟音とともに現れた。
『蛇』だ。長い胴体をくねらせてこちらを喰らわんと、岩でできた顔を突っ込んでくる。
灰色の土ぼこりが舞う中、こちらは横ざまにはねのけて右手に握る剣を振り上げた。電子で構成されたそれは、向かってくる『蛇』の頭を上下に切断した。ここまでは計画通り。
Tick tack
時を刻む神経質な音が耳の中で響く。
「わかってるって」
着地し走り抜けようと大きく一歩踏み出す。急に地面が暗くなり大きく揺らいだ。上を見ると、楔形の岩で縁取った直方体の塊が落下してきた。早鐘のように心臓が鼓動する。
ふいに、地面を見た。楔形の突起がいくつもついたものが地面からぬっと出てきた。後方を振り返ると、暗い影をなす直方体がずっと向こうで合わさっていた。
戦慄が走った。
Tick tack
考える暇はない。とにかく前方へ向かって飛ぶように突っ走るしかない。その後を追うようにぎざぎざの地面が天空と地面からせまってくる。脇によけようと、地面を思いきり蹴り飛ばす。あと少しで岩の顎が合わさる。
顎のずっと奥、のど元あたりにかすかに光るものが見えた。
「……!」
取捨選択している余地はなかった。くるりと踵を軽くひねって光る方へ走って剣を横に構え思いきり薙ぎ払った。岩の顎が合わさった瞬間、光が消えて暗闇が視界を覆った。
ガガガガガ、ズッシャアアアアア
高電圧の閃光が、怪物の頭からしっぽまでを上下真っ二つに両断する。破片がばらばらと雨のごとく降り注いで、飛散する電子が燐のように舞った。
着地して、前方を見た。土埃の向こうに、こちらの様子をじっと見つめる人影がいた。
「……っあ!」
その人影を追おうとした矢先、
Lililili……
耳の中で、ベルの鳴る音がけたたましく響いた。
周りの風景がゆがんだ。殺風景な灰色の平野が解けて、緑色のビニールシートが視界いっぱいに飛び込んできた。現実世界に引き戻されて、重力が戻り疲労とともに体にのしかかる。大きく息を吐いてゴーグルを外した。
「実績時間は七分五十二秒。あと八秒で失格だよ。時間配分きっちりやってきた?」
甲高い声が、丸天井から強烈なLEDライトの光とともに降ってくる。ドーム状の天井には五つほど古く黒いスピーカーが取り付けられていた。
「ちゃんとやったって。まさか『鰐』が最終ターゲットだったなんて思いもしなかったんだ。それさえなければ予定通り五分で片付いたよ」
ため息交じりにそう答えると、スピーカー越しに批判が降ってきた。
「試験は予想外が常でしょ。明日が本番なのに、そんなこと言って大丈夫? 予想の甘さは命取りになるんだからね」
聞き流して円形のステージから降りる。ステージ脇のテーブルにゴーグルとグローブを置き、洗面台で手と顔を洗った。くすんだ鏡には、うっすらとゴーグルの跡をつけた自分の顔が映っていた。
「まあ、評価するんだったら攻撃態勢かな。あの場面でいつものユウらしくスピードも出てたし、迷いがなかったところは高いと思うわ。ただもうちょっと緩急をつけないと体力持たないよ」
辛口コメンテーターのミナが、珍しくほめてくれた。
「ありがとう、ミナ。明日絶対に合格してくる」
「健闘を祈るよ。出口で待ってるから」
電源が切られる音がした。洗面台に取り付けられた蛍光灯が、黄味がかった白色の光で顔を照らす。鏡に映りこむ背後のステージと、それを覆うようにプラネタリウムのドームが天井からぶら下がっている。燐の向こうにたたずむ人影が脳裏に焼き付いて離れない。あの姿を見るのはこれで何度目だろう。いつも追おうとすると霧のように消えてしまう。
「親父、まってろよ。迎えに行くから」
電子世界。それは昔、パソコンを通じて行われたネットワークを指していた。しかし今は「アカウント」のような、ネットワークでの仮想人格を用いるのではなく、実際に生身の人間がそこに入り込めるようなものになっていた。その技術は一般市民のライフラインから世界トップレベルの極秘情報など多岐にわたる。
電子世界の構築により一段と飛躍したのが「娯楽」だった。現実世界のテーマパークでは不可能とされていたことが、電子世界ではプログラム技術により容易に実現できた。空間や時間を自由に操って独自の世界さえも作ることができる技術を「エレクティアリ」と呼び、それを開発したチームのうちの一人が、自分の父親だった。
世界随一の頭脳と周囲から賞賛されていたが、過程の中では普通の父親だった。誕生日には自作のコンピュータゲームをプレゼントしてくれたり、クリスマスや正月を一緒に過ごしてくれた、家族思いの存在。
だが、ある日電子世界のメインプログラムをメンテナンスするといってその世界に踏み込んだきり、現実世界に帰ってこなかった。プログラムの中で何が起こったのか、過去のログを詳細に調べても電子世界はそもそも正常で、なぜメンテナンス要請サインが出たのか原因不明だった。
「で、今回も見たの? お父さんの影」
出口で待っていたミナが缶ジュースを渡しながら聞いてきた。外に出ると、太陽光が「富沢写真館」の看板を照らしていた。ミナの家は写真屋だが、今はそのスタジオが電子世界の入り口となっている。
「ああ。『鰐』が最終ターゲットだったこと、親父が教えてくれた」
「ほんとあんたって他人任せね。もっと自分を信じなさいよ。明日の本番で、親父が出てこなかったから不合格だったなんて言ったら、半殺しにするわよ」
小学五年生の時。実に十年前のことだ。電子世界を統括する、エレクティアリ中枢のエレオン日本支部。国連が総本部で、国家資格の中でも一番の花形であることは間違いなく、合格するのはほんの一握りだ。そこに入って父親の足跡を追うことが目標だった。もう生きていないとわかっても、なぜ帰ってこなかったのか真相をつかみたかった。
「そうだな。ミナのおじさんにも、申し訳ないな」
ミナの父親と俺の父親はいとこ同士だった。父親が電子世界で失踪してから、ミナのおじさんは自分で探そうとして、スタジオを改装して電子世界への入り口にした。おじさんは電子世界であやうく命を落としかけて、それ以来入っていない。
「そうよ! うちのお父さんだけじゃなくて、私だって何のために訓練士の資格を持ってるのかわかんないじゃない!」
家につくまで、ミナは模擬訓練の評価を細かく教えてくれた。珍しく本番に何が出るかまで予想してくれた。まるで彼女がエレオンを受験するような意気込みだった。
「それにしてもお母さんがよくエレオン日本支部の受験を許したよね。お父さんを飲み込んだエレクティアリの管理部門でしょ。反対したんじゃない?」
空き缶を近くのゴミ箱に投げ入れながら、ミナは聞いた。
「やりたいこと、やれって言ってくれた。無理してないと思う。おふくろも、親父がどうしてああなったのか知りたいみたいだったからな」
学生時代のリレー小説で用いたお話のプロトタイプ。したがってオリジナル作品となりますので、ご了承ください。(リレーには複数人の方々が参加されていますが、その方々の担当部分は都合上カットさせていただいております。あしからず)今更ながら加筆訂正して、長編として扱って行けたらよいなと思います。