第二章 第一話
──セリアスアの花。
特に高級な訳でもなければ、特に特別な訳でもない。
白く小さな花を咲かせる、神聖王国では何処にでも見られる花である。
ただ、この花には一つ逸話があった。
結婚を司る女神が零したとされる涙が、その花になったのだと。
だから、この花は恋人に結婚を申し込むための花とされ。
その花言葉は『祝福』『小さな幸せ』である。
「……だから、なんだ?」
セブンス=ウェストエンドは、痛む身体を押さえつつ、その辞典を閉じた。
彼の周囲には、色々な木片が散らばっている。
……さっきまで椅子と机だった物体だ。
セブンスが突然の攻撃魔術に吹き飛ばされた時に、それらは道具としての活動を終えていた。
彼自身もその攻撃魔術を予期できなかった所為で防御に失敗し……少なからぬダメージを被っている。
「わ、わからないと言うのかっ?」
セブンスに魔術を直撃させた少女は……器物破損にも傷害にも悪びれることもなく、顔を真っ赤にして震えている。
彼女の名前はフレア=ガーデン。
魔術科に属する二年生である。
腰までの真っ直ぐな、淡い色の金髪に金色の瞳。
思いっきり小柄な少女であるが、性格はかなりキツい。
口調も乱暴で、魔術師とは思えないと評判だ。
魔術師の長衣しか着たところを見たことがないという生粋の魔術師で、家柄も何人もの魔術師を輩出した家系と評判が高い。
要は……結構な家柄のお嬢様なのである。
と言うか……触媒とか魔力石など、魔術には色々と金がかかる所為もあり、裕福な家柄の人間が自然と多くなるのも事実であるが。
ちなみに、他称・魔法科で次席。
本人は順位に興味はないらしいが、教師や周囲の学生はそう評価している。
実のところセブンス自身も、魔術科次席三人衆の中では、このフレアという少女が最も次席に相応しいと思っていた。
何故ならば、フレアの得意分野である附加魔術は、武器や防具を製作する魔術系統なのだ。
フレア自身も、自らが制作した武器を手にすれば、かなりの強さを発揮する。
それはセブンス自身が身をもって知っていた。
……特に、今とか。
「今、口にした言葉を、もう一度、考えてみろっ」
顔を真っ赤にして唾を飛ばすという……常に冷静であれという魔術師にあるまじき彼女の様子を見たセブンスは……少しだけ考えてみた。
周囲を見渡す限り、魔術科の生徒全員が揃って赤い顔をしている。
……特に女子が。
──つまり……何だ?
だけど……天才と呼ばれるセブンスであっても、知らないことは幾ら考えても分かる訳がない。
そもそも、彼女の激昂を予想すらしていなかった所為で、先ほどは魔術を防御すら出来なかったくらいである。
剣術科次席の攻撃を素手で躱すセブンスが、身体的には剣士に遥かに劣ると言われる、魔術師の攻撃を、である。
その失態を見れば……彼がこの惨状を引き起こした自覚など全くないことが伺える。
「だから、俺は、セリアスアの蜜をくれ、と、言ったんだが?」
「貴様はっ!
まだ言うかぁあああっ!」
……頼みごとの意味が間違って伝わっているのかもしれない。
そう考えたセブンスは、再度その頼みごとを口にして……無自覚のまま、眼前の少女の逆鱗に触れることとなっていた。
セブンスの『頼みごと』を聞いた途端、フレアという名の魔術師は絶叫し、その右手を突き出す。
その動作と連動するかのように彼女の指輪が光り……その指輪から突如、人間の身長ほどの直系の火の玉が生まれ、セブンスに襲い掛かってくる。
「っと」
尤も、今度はセブンスも彼女の暴挙を予想していたため、手元の机を楯にして防御に成功。
セブンスの周囲では、椅子と机だった木片が彼女の魔法によって酸化を強制され、教室の室温を数度上げることに従事していた。
「……うぐぐ」
火炎の魔術を放っても気が収まらないのか、フレアという名の小柄な魔術師は牙をむき出しにしたまま唸っている。
……いつまた暴発するか分からない状況だった。
「あの、セブンス様。
……それは、その……」
流石に見かねたのか、近くにいた女生徒が近寄ってきて、その言葉の暗喩を教えてくれる。
──ああ、なるほど、な。
セブンスが何の気無しに口にしたその言葉は、魔術師の間においては結婚した男女が行う『行為』を、要求する暗喩だったらしい。
確かに、花言葉を考えると、予想は出来る。
……『蜜』をくれって言うくらいである。
その女生徒は真っ赤になりながら、ぼそぼそと、『そういうこと』を明言するのは伏せながら、けれど理解出来るように語って去っていった。
「……なるほど。
そういう意味があったのか。」
納得したセブンスは、軽く頷く。
知ってしまえば、何のことはない。
……確かに攻撃を喰らう訳である。
つまり、セブンスがさっき行ったのは、結構有力な貴族の子女相手に、教室のど真ん中で「一発ヤらせろ」と宣言したに等しいのだから。
とは言え、魔術師にしか通じないそんな暗号で勝手に怒られても……セブンスにしてみれば、訳の分からない怒りとしか感じられない。
尤もセブンス自身、魔術にはかなり長けた方ではあるが……
と言うより、魔術戦においても無敵の彼は、この神聖王国立サウスタ聖騎士学園の『主席』と呼ばれているのだが……
生憎と彼は、魔術を用いた戦闘技術にばかり精通していて……細かい暗喩や暗号などには疎かったのだ。
そして……乙女の心の機微というものにも。
「それは、怒るなかもな。
悪かった。
……で、くれるのか?」
「~~~~っ!」
無自覚のまま彼の放ったその一言で、またしても怒りが沸騰したのか、フレアが顔を真っ赤にして口を開いたものの……
だけど、口を二度三度開閉したところで、何かに気付いたのか、そのままUターン。
一つ大きなため息を吐いて気を落ち着けた後、自分の机まで戻ると……ゆっくりと座り込む。
大げさに脚を組み、椅子と机に膝を置いて尊大な姿勢を取り……
「セブンスよ。
……それは、どっちの意味だ?」
……と、艶っぽく聞いてきた。
尤も、小柄な彼女がそんなポーズを取ったところで、子供が虚勢を張っているようにしか見えないのも事実だったが。
「おぉ~」
「流石はフレア」
だけど、そんな彼女の態度に周囲の生徒たち関心の声を上げていた。
特に、色恋沙汰に興味があり、小柄な彼女自身の身体に全く色気がないことをそう気にしていない生徒たち。
即ち……女生徒たちが。
とは言え、自分の身体を欲しいなんて直球を決めた相手に、そういう態度を取れる人間は少ない。
……少なくとも、そういうのに慣れていないような、良家の子女は。
つまり、フレア=ガーデンは、持ち前の自尊心だけで羞恥をねじ伏せ、大人の女性っぽい優雅な振舞いをしてみせたのだ。
賞賛されるべき態度であろう。
……魔術師らしからぬ、二度ほど激昂した挙句の、見境のない攻撃を見なかったことにすれば。
ちなみに、態度は優雅でも手が震えている。
顔も、真っ赤に染まったままだ。
まぁ、いきなり士官学校のトップに告白……というか、結婚を申し込まれた感覚に近いのだ。
……例え誤解とは言え。
「いや、魔術で使うだけなんだが」
……だけど。
乙女心を全く察しようとしないセブンスは、見事にソレをぶち壊した。
彼女のそういう色々な覚悟とか、もしかしたらちょっとした期待とか、そういうのに全く気付かず、直球でぶち壊していた。
セブンスが生徒たちに人気がある癖に、全くもてない理由のその二がコレだった。
……色々と疎いのだ。
最近の王都の流行は、宮中の恋の駆け引きを見事に表現した舞台演劇だったので、彼みたいなタイプは少しだけ敬遠されているのである。
「……ああ。対魔族の式か」
暫く色々と我慢していたフレアはため息を一つ吐いて、頭に上った血を無理矢理身体に戻し、思い当たる。
セリアスアの蜜は、確かに『そういう意味』で使われる単語ではある。
そして、蜜自体が一つの花からは少量しか取れず、風味も甘みも少ないため料理や菓子には不適であることもあり、食用には適さない。
……だけど。
セリアスアという花の『祝福』という花言葉を用いた魔術では、対魔族用の術式に応用することも出来る。
尤も、セリアスアの蜜は少量しか取れないため……触媒として使う人間など、殆どいないのが実情なのだが。
「だけど、アレはあまり効果がないぞ?」
「ああ。
……だけど、ま、ちょっとな」
フレアの問いかけは尤もだったので、セブンスは少しだけ歯切れ悪く答える。
彼としては……正直な話を言う訳にもいかない。
そんな珍しく口ごもったセブンスを、フレアは少しだけ訝しげに眺めたが、特に追求はしなかった。
先ほどの一幕が……例え誤解だとしても、正面から「一発ヤらせろ」と言われたその衝撃が大き過ぎた所為、だろう。
「……分かった。
確か、倉庫の方に在庫があった筈だ。
授業が終わった後、着いて来い」
「ああ。助かる」
そう言ったフレアが正面を向いたのを見て、セブンスも何となくその隣に座る。
フレアは妙に落ち着かない様子だったが、セブンスは気にせずに教科書を開いてペラペラとめくり……。
「今日は精霊式の組み立てと解法か?」
隣のフレアに向け、今日のカリキュラムを確認する。
「ああ。結構難しい場所だから……って、おい!」
その直後に、彼は、机に突っ伏して寝始める。
……フレアの抗議すら気にもかけず。
当然のことながら、王都の郊外にある士官学校から王都まで出かければ時間がかかる。
その上、あの貴婦人の前に立つと……未だに酷く疲れるのである。
そんなこともあって、ちょくちょく夜中に王都まで出かけるセブンス=ウェストエンドの授業態度は非常に悪かった。
……いや、最悪と言っても良い。
何が最悪かと言うと、彼は……コレで『成績が良い』のだ。
少なくとも実技に関しては、紛れもなく学園最強の名を欲しいままにしているのだから。
だからこそ……他の劣等生の規律違反と違って、教官たちは、彼を怒るに怒れない。
それこそが、彼の授業態度をもって『最悪』と称される所以だった。
魔術科の教官が室内に入ってきて、セブンスを見るが……特に何も言わずに授業を開始する。
……いつものことだから、今更怒るつもりもないのだろう。
「え~。
精霊魔術は六大の系統から成り立っているのは周知の通りですが、その六つの要素を安定させるための術式を今日は説明……」
フレアは隣に眠るセブンスを忌々しく睨みつけると、目を見開いて正面を向いた。
隣で平和に眠りこける天才と呼ばれる少年に、今度こそ追いついてみせると気合を込めて……。