第六章 第十話
「義父さんっ!」
馬車から降りた五人を待っていたのは、血まみれのグリーン=ウッドリーフだった。
義理の娘であるリスは、彼の姿に悲鳴を上げつつも……慌てて駆け寄って傷の具合を確かめる。
……密偵としての訓練が、彼女の動揺を押し殺したのだ。
そうしてリスが見る限り……怪我は肩を貫かれた一撃で、致命傷にはなり得ない。
しかも、義父自身が止血処置を施したらしく……これ以上、彼女に何かが出来るような状態でもなかった。
「お前らは、彼を……止めに来たのだろう?
……だったら、早く、行け」
重傷を負っている筈のグリーンは、痛がる素振りすら見せず……いつも通りの能面で、怪我をしていない方の手を動かし、教会の入り口を指差す。
その中では、間違いなく激闘が行われているのだろう。
……何しろ、剣同士の衝突音らしき金属音が響き渡っているのだから。
「リス、行くわよ」
「……はい」
義父の命令に戸惑っていたリスを動かしたのは……彼女の友人にして幼なじみであり、護衛対象でもあるシェラ=イーストポートだった。
シェラが彼女にかけたのはたったの一言だけだったが……そのたったの一言で、リスは自らが何をすべきかを瞬時に思い出していた。
「……では、行きます」
「ああ。
……死ぬなよ」
戦場のど真ん中だというのに、その親子の会話はそれだけだった。
そして、不思議なことに……その場にいた誰もが、それだけの会話で二人は十分繋がっているようにも見える。
そうして、リスが義父から視線を逸らした、その瞬間だった。
「「「「な?」」」」
「……爆発!」
突然、爆発音が教会の中から響き渡る。
慌てた彼ら……シェラとリス、そしてクレイ・トレス・フレアの魔術科三人組が足早に教会に駆け込み、そこで目にしたのは……
魔術の爆発で大ダメージを食らい、戦闘不能に陥った近衛騎士団団長と……
聖剣を胸に突き刺された、喪服姿の貴婦人。
……そして。
自ら被った爆発のダメージと腕の傷を魔術で癒している、彼らが追い求めた少年の姿だった。
「……なん、だと?」
爆発のダメージで、立ち上がることさえ不可能になったゴールドが、セブンスの傷が癒えていくのを見て、そんな声を上げる。
「はははははははははははっ」
そんなゴールドに帰ってきたのは……聖剣を胸に突き刺したままの、細身の貴婦人が上げる笑い声だった。
「無駄だ、無駄だっ。
セブンスは貴様らが言うところの『反逆者』などではないっ!
私が直々に魔力の使い方を教えた。
戦術を、剣術を、魔術を、戦闘術を教えた!
安易に、『契約の証』などを、埋め込まずに、なっ!」
笑い声を上げる貴婦人の声は、時々、苦しげに途絶える。
何しろ……聖剣が胸部に突き刺さっているのである。
悪魔にとって、それは致命傷であり、凄まじい激痛をもたらす筈なのだが……その細身に喪服を纏った、片腕の貴婦人はそれでも笑いを止めようとはしなかった。
「故にっ、故にっっ!
聖剣は……そんな、ガラクタなど、通用しないっ!
唯一、死角のない、悪魔、となれるっ。
……そう。
呼ぶならば……彼は『魔人』と言うべき……
唯一無比の、存在なのだっ!」
血を吐きながらも、貴婦人は楽しげにそんな笑い声を響かせる。
……その姿は、彼女がもう長くないことを雄弁に語っていた。
だけど……彼女はそれでも笑いを止めようとはしない。
「さぁ、セブンスよ!
そんな、籠手、一つなくても、お前は、お前だっ!
さぁっ、戦えっ!
我が夫の、仇を……いやっ、お前の、家族、の仇を、討ち果たせっ!
そしてっ、我が子を……ぐふっ」
それが……黒衣の貴婦人の最期の言葉だった。
そう叫ぶと、貴婦人の身体から一切の力が抜け、床に崩れ落ちたかと思うと、そのまま彼女の痕跡は消え去り……
彼女がいた場所には、もう……ゴールドの突き刺した聖剣と、黒い喪服しか残っていなかったのだった。
「……ぁ」
その姿を、セブンスは立ち尽くして見つめていた。
そうして、棒立ちのまま……あの貴婦人と出会った頃を、思い出す。
幼い頃、密猟団に石一つで立ち向かって行った彼が、密漁団の手によって殺されそうになったところを救ってくれたこと。
矢が深々と突き刺さり、動かなくなったミミちゃんを助けてくれたこと。
漆黒の籠手を貰い、剣術・魔術を教えてくれたこともあった。
あの貴婦人は、セブンスにとっては家族の恩人であり、生きる術を教えてくれた師であり、彼の生活を支え、彼を導いてくれる……肉親とも言える存在だったのだ。
だけど……そんな彼女が、最期にセブンスのために残した台詞すら……
「……ぁ、あぁ」
……今のセブンスには、届かない。
彼に分かっていたことは、喪服姿の貴婦人が消えたことによって、彼女の『使い魔』として、彼女と命を共有する形で生きていた……『セブンス唯一の家族の命』までもが、消えてしまったということと……
……そして。
彼にはもうこの世に守るべきものなど、何一つないというその事実のみ。
「……仇を、討つ、か」
セブンスは、呆然とそう呟く。
脳が目の前の事実を受け入れようとせず……他に何かをしようとすら思わない。
そんな彼が行った行動は……最期に貴婦人が遺した命令に従って動くことのみ。
即ち……今までの彼が、行ってきたのと同じように。
「……セブンス?」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。
だけど……それはもう、セブンスにとって、何の意味を成さない、ただ音の羅列に過ぎなかった。
貴婦人の命令に従い、右手の剣を意識する。
それだけで全てをなくして空虚になった自分の中が、熱く燃えるモノで満たされていく。
それは、空虚な自分よりも、遥かに心地よい感覚だった。
……だから。
だからこそ、セブンスは、自分の中の『破壊衝動』を……一切の躊躇なく、周囲に立ち並ぶ人間目掛けて解き放ったのだ。




