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第六章 第八話


「……くっ」


 近衛騎士団でも二番手の使い手を自負するグリーンは、肩を襲った激痛にバランスを崩してしまい、床に膝を突き蹲っていた。

 ……いや。

 傷の痛みよりも、生命力をゴッソリと持っていかれたような感覚の方が強い。

 これが……あの少年が手にしていた、魔剣の力なのだろう。

 それでも必死に魔剣『背断ち』を手に身体を起こそうとするものの……生憎と彼の身体に生命力はもう残されていなかった。


「……どうして、こう。

 いつもいつも、俺の予感は、悪いことばかり、当たるんだ、畜生」


 動かない身体を、そして思い通りにならない現実を呪うように、グリーンは呻く。

 ……そう。

 今、彼の眼前に立ちはだかり、先ほど細剣でグリーンの右肩を貫いた、焦燥感を露にしたその少年は……彼が一度は目にし、それなりの評価を下していた、あのセブンス=ウェストエンドであった。

 彼自身、報告を聞く度、「この少年を敵に回したならば最悪の敵になるだろう」と……確かに予想はしていた。

 だけど、こんなにすぐ……こんなにはっきりとした形で思い知らされることになるとは、流石のグリーンも予想していなかった。


「……く、そ」


 それでも必死に身体を起こそうとしながら、グリーンは己と眼前の少年との戦力差を冷静に分析する。

 はっきり言って、グリーンと少年の、剣の技量は互角だった。

 身のこなしの速さも、だ。

 ……いや、どちらも僅差でグリーンが勝っていただろう。

 違っていたのは機転の速さと、そして魔術技能の有無である。

 あの少年は、体術と剣の腕では自分に不利だと判断したその瞬間、教会の庭一面を、魔術によってで凍らせたのだ。

 剣速と体捌きで戦うタイプのグリーンにとって、足場を奪われた瞬間……勝敗は決まっていたと言っても過言ではない。

 こうしてグリーンは、魔剣によってあっさりと肩を貫かれ……今やトドメを刺される寸前なのだから。

 ……だけど。


「……なん、だと?」


 少年は、怪我をしたグリーンが立ち上がれないのを見るや否や、さっさと彼に背を向け、教会の中へと走り出していた。

 ……まるで、彼には興味の欠片も持っていないかのように。

 そもそも、王国最強と言われる近衛騎士団の、副団長……即ち、王国で二番目に強いと言っても過言ではない彼を下したというのに、あの少年の顔には、勝利の喜びも強敵を下した安堵すらも浮かんでいない。

 あったのはただ……大切な者を奪われることへの恐怖のみ。


 ──彼は、悪、ではない、か。


 その表情を見たグリーンは、自らの肩を貫かれたばかりだと言うのに、あの少年を憎む気にはなれなかった。

 彼自身も……経験があるのだ。

 己の、妻と決めた女性を、失ったことが。

 だからこそ……分かってしまう。

 あの少年が、如何なる手段だろうと使い、何処までも容赦なく、痛みや疲労をも度外視し……そして平然と命を捨ててまで襲い掛かってくるだろうことが。


「……ゴールド。死ぬなよ」


 教会に入っていく少年の後ろ姿を見て……未だに倒れたままのグリーンは、無二の親友にして戦友の無事を祈っていた。

 教会の中では、既に近衛騎士団長とあの貴婦人との戦いが始まっていて……

 恐らくは、もうそろそろ決着がついている筈なのだが……




「……奥方様」


 教会の扉を魔術で叩き割り、中へと踏み込んだセブンスは……自分が間に合わなかったということを、思い知らされていた。

 彼が目の当たりにした、見慣れた教会の中は……凄まじい状態だった。

 辺りに散らばっていた机や椅子は凍りつき、燃え尽き、粉々に砕け……石畳の床は刃物の後が縦横無尽に走り回り……

 更に、四方を囲う石壁は、あの貴婦人の魔術を受け止めたのか、爆発や何やらで穴だらけだった。

 ……そして。

 荒い息を吐く少年の眼前で、近衛騎士団長ゴールド=イーストポートの聖剣が……喪服を纏った細身の貴婦人の、その胸部を一直線に突き抜けていたのだった。




「……やはり、お前か」


「……何故、来た?」


 両者の反応は、それぞれ異なっていたものの……両者とも少年を歓迎していないのでは一致していた。

 ゴールドは、セブンスの姿を見るや、貴婦人の胸から聖剣を引き抜こうと……


「ふっ。甘い」


「!」


 だが、そのゴールドの動きは、喪服の悪魔が放った爆裂の魔術によって妨げられていた。

 貴婦人の魔術を喰らった彼は、そのまま数メートル吹っ飛び……


「……ちっ」


 それでも、ゴールドは近衛騎士団一の使い手だった。

 完全に不意を突かれたにも関わらず、咄嗟の判断で聖剣を諦め……背後に跳ぶことで、魔術の直撃から逃れたのだ。

 何とか受身を取ったゴールドは、立ち上がると教会に入ってきた少年に振り向き……


「何しに来たのだ、お前はっ!」


 そのまま、近衛騎士団長は魔剣をセブンスに突きつけ、怒鳴りつける。

 その声には、常人なら一瞬で意識を奪われてしまうほどの殺気が込められていて……彼はこのまま少年を手にかけることなく、その意思を挫こうとしたのだろう。

 彼自身、娘と同じ年の少年を切り殺すことへの躊躇いもあり、そして何よりも……所詮は学生だとセブンスを侮っていたのだろう。

 ……だけど。


「終わったのか?

 終わるのか?

 ここで……終わってしまうのか?」


 剣を突きつけられた少年は、殺気にも怒気にも反応しなかった。

 その瞳は、眼前に向けかれた剣の切っ先にすらも焦点が合っておらず……まるで肉親の死に直面したかのような、幽鬼にも似た表情を浮かべたまま、そう呟くだけだったのだ。


「……なんだ、こいつは?」


 その少年の尋常ならざる様子に、ゴールドは少し戸惑う。

 ……怒りや殺意、欲望が絶たれた憎しみなど。

 反逆者と刃を交える時に向けられる、そういう感情には慣れていたのだが。

 目の前の少年は、まるで殺意などなく……ただ立ち尽くしているばかりなのだ。


「……お前の、所為か?」


 ふと。

 さっきまで欠片も反応を見せなかったセブンスの意識が、まるで突然答えを見つけたかのように特定の方向を向いた。

 目の前で剣を構えている壮年の男性に向けられたのだ。

 ……ゴールドが幾度となく向けられたことのある、殺意という形をとって。


「……おもしれぇ」


 少年の心がどういう風に動いたかまでは分からない。

 だが、ゴールド=イーストポートは大人しく斬られるほど、人生に未練がない筈もない。

 魔剣を正眼に構え、少年の反応を窺う。

 窺いながらも、彼の顔には、ついつい笑みが浮かんでいた。

 ……剣士の性だろう。

 こんな状況と言うのにゴールドは、目の前の少年が……『学園最強』と噂される少年が、どれだけの腕前なのか、つい知りたくなってしまったのだ。

 勿論彼としても、相手がこういう精神状態なのは今ひとつ歓迎出来ないのだが……

 そうしてゴールドが魔剣の切っ先を少しだけ下げた、その瞬間だった。


「お前の、所為か~っ!」


 その僅かな動作が引き金になったかのように、顔を殺意に歪めたままのセブンスが叫ぶ。

 周囲の石壁によってその絶叫は反響し……木霊する。

 それは、過去。

 彼が唯一友達とした羽兎に向け、矢を放った連中へと向けたときと同じ殺意だったのだが……生憎と、そんなことなど、ゴールドに理解出来る筈もない。


「燃えろ!」


 その叫びと共に、セブンスの左腕から炎が放たれる。

 無詠唱の、しかも咄嗟に放たれたその炎は、それほど強くはないものの……突然現れた炎によって、ゴールドの目が眩む。


「……っ!」


 だが、ゴールドも伊達に近衛騎士団の団長を……王国最強の剣士をやっている訳ではない。

 斬撃の「起こり」すら見えないまま、セブンスの剣の軌道を予測し……その刺突をあっさりと弾き返す。

 弾き返しながらも……ゴールドは驚きを隠せない。


 ──この精神状態で、冷静に組み立てるかよ、コイツ。


 ゴールドが思っていたよりもずっと……この少年は強敵らしい。

 何しろこの少年は、身体能力を人間の限界近くまで引き出し、剣技は一流剣士のそれに勝るとも劣らない。

 しかも、手にしている武器は、その身体速度を最大限に生かす細剣で、軽く怪我をするだけで致命傷となりかねない……厄介極まりない魔剣である。

 その上……魔術師に特有の隙である、『詠唱』や『溜め』すらなく、自在に魔術を使いこなすのだから、洒落にならない。


 ──コイツ、は。


 その戦い方や動きの癖を見たゴールドは、すぐさま結論を下す。

 どちらかと言うと、目の前の少年の戦い方は……人間というより悪魔に近い。


 ──娘と同じ年の少年と戦うのではなく……

 ──悪魔を屠るつもりで戦わなければ、こちらが殺される、か。


 そう覚悟を決めたゴールドは、再び魔剣を正眼に構えると、軽く息を吐き出していた。


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