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第六章 第五話


「おい! 乗れよ!」


「よ、余計な、お世話、です、わっ」


 クレイとトレスの乗った、近衛騎士団が気前よく貸してくれた馬車は、あっさりとシェラに追いついていた。

 口では強がっていたものの、全身鎧に両手剣、そして髑髏の兜を被ったまま全力疾走をしていたシェラは……既に息も絶え絶えである。

 ……と言うより、これだけの重装備をしている場合、常人は『走るなんて考えない』。

 二人の乗った馬車が追いつくまでシェラが走り続けていられたことそのものが、奇跡に……いや、執念と呼んでも構わないだろう。

 そして当然のことながら、そんな無茶をしていたシェラの体力は残り少なく……結局、彼女は自称「魔術科ナンバー2」の勧めに従い、馬車へと身を委ねることになる。

 同じように、お嬢様の護衛役を務めていたリスも、三人が乗る馬車へと音も立てずに飛び乗っていた。


「ほら、フレアも!」


「ああ。

 ……分かった」


 トレスの叫びに、自作した魔術の靴によって中空を走っていたフレアは、素直にそう頷くと……地へと飛び降りて、その馬車へと乗り込む。

 彼女自慢の空を飛ぶ道具とは言え、無限に使える訳ではなく……空を飛ぶ時間によって、魔力と体力を消費してしまう。

 もし、あのセブンスが本当に『反逆者』であり、悪魔と手を組んでいた場合を考えると……ちょっとでも体力は温存しておく必要がある。

 そう判断した彼女は、自らの魔術への自負を捨て……あっさりと馬車という道具に頼ったのだ。

 勿論、彼女にも……一瞬の躊躇くらいはあったようだが。


「はぁっ。はぁっ。

 ……はぁっ。はぁっ」


 そうして彼らが乗り込んだ馬車の中に響くのは……暫くの間、シェラの荒い息だけ、という有様だった。

 ……誰一人として、何を言っていいのか分からなかったのだ。

 彼らの唯一と言っても良い共通の友人にして、目標であり好敵手である『彼』が、悪魔の手先であり、人類を裏切った最悪の存在……『反逆者』の疑いがある、なんて。


「……で、お前達はどうするつもりなんだ?」


 そんな空気の中、必死にその空気を振り払うかのように、覚悟を決めてそう尋ねたのは……天才を自称するゴーレム使い、クレイ=セントラルだった。

 空気が読めないことで有名な流石の彼も……その質問を口にするのは気まずかったのだろう。

 彼は窓の外を見つめたまま……いや、学友たちの顔から視線を逸らしながら、そう問いかけていた。


「どうって……そりゃ、お前」


 トレスが今までのように、軽く答えを口にしようとして……固まってしまう。

 普段偉そうな言葉を吐いている彼でも……流石に、彼の問いは、そう簡単に答えられるような代物じゃなかったのだ。


「……まだ、別に、決まった訳ではない、からな」


 馬車の車輪が石畳を削る音と、馬の蹄鉄が石畳を叩く音が響くばかりの車内に、いい加減耐えかねたのだろう。

 窓の外を流れる全ての者を睨み殺すような表情を浮かべて馬車の外を眺めながら、フレア=ガーデンはそう呟いていた。

 そう口にするフレアの小さな手には、セブンスから貰った悪魔の欠片で作られたフレイルが握られていた。

 その可憐な指が真っ白になるほど強く握られているのは……顔に出さない彼女の心情を代弁していたから、だろう。


「そんなのは、分かっているさ。

 だから……もし、そうだったら、だ」


 ……だけど。

 クレイは、そんなフレアの『逃げ』を容赦なく一蹴してしまう。

 そんな強気の問いを放った彼の視線が窓の外から離れないのは……彼自身、面と向かってはその問いを口にできないことを承知しているからだろう。

 事実、クレイ自身も、己の中には未だに彼女と同じ『弱さ』があるのを自覚していた。

 即ち……セブンスを、反逆者として認められない。

 ……いや、信じたくない余りに現実から目を逸らす……自分自身の『弱さ』の存在を。


「……そういうっ、そういうっ、お前はっ、どうなんだよっ!」


 そんなクレイの冷静な口調に苛立ちを隠せなかったらしいトレスは、顔を真っ赤にしたまま、隣に座る学友を怒鳴りつけていた。

 これは天才を自称する召喚士が、隣に座って彼へと視線を向けないゴーレム使いに苛立っているのではなく……

 思い通りにならない……友人を失ってしまう現実から目を逸らそうとした、ただの八つ当たりに過ぎなかった。


「くっ、くそっ!」


 そして、本人も……いや、周囲もがソレを理解していた。

 だけど……理解しているからこそ、己の口からみっともない叫びが零れ落ちることを、トレス自身にも止めることも出来ない。

 そして、理解しているからこそ……誰もがそのトレスの叫びを止めようとも思わなかった。


「……僕は、セブンスに色々と教わった。

 だから……彼を、殴ってでも、止める、さ」


 そんな彼の八つ当たりを真正面から受け止めた自称「魔術科ナンバー2」の少年は、瞳を閉じて少しだけ考え込んだ後……

 静かで重苦しい、覚悟を決めたその言葉を……吐き出すように、そう呟く。


「……出来るのか、お前の腕で?」


 冷静そうな学友が気に入らなかったのだろう。

 トレスは思わず、茶化すような声でそう呟いていた。


「~~~っ!」


 その声を前に、あっさりと苛立ちを隠せなくなったクレイは……召喚師の方に振り向いたかと思うと、その胸倉を掴む。

 ……彼自身もこの事態をしっかりと受け止めている訳ではなかった。

 クレイ=セントラルは冷静に覚悟を決めたようにを装っているものの……彼自身はたった十数年しか生きていない、ただの学生に過ぎない。

 大人ぶっているのはただの仮面に過ぎず……だからこそ、こうして学友の迂闊な一言を聞かされるだけで、あっさりと感情に任せて身体が動いてしまったのだ。


「……でもっ!

 そうするしかっ!

 そうするしかないだろうっ!」


 学友の胸ぐらを掴んだまま、クレイは叫ぶ。

 声は裏返り、唾を飛ばし、顔を歪ませ……感情を剥き出しにしながら。


 ──『反逆者には、確実に死刑が下される』


 それは馬車に乗っている全員に分かっていた。


「それに、彼が、自首すればっ!

 悪魔殺しの功績もあるアイツならばっ!」


 ……そう。

 反逆者には死刑が確定しているとは言え……彼には悪魔殺しの功績がある。

 上手く行けば、その手柄と反逆者だった事実とを相殺することで、何とか死刑は免れることが出来る、かもしれない。

 クレイは、それに期待しているからこそ、彼を止めるのが最善の手だと叫ぶのだ。

 そんな彼の視線は知らず知らずの内に、悪魔の姿を模った全身鎧を着込んだ少女へと……近衛騎士団長の娘へと向けられていた。

 その視線は、彼女の父親ならば……シェラが必死に頼み込んだのならば、セブンスが死刑から助かる確率が上がる、かもしれない。

 彼の視線はそういう……彼の幽かな期待を込めた、一縷の蜘蛛の糸に縋るような視線だった。


「だから……お前一人で出来るのかと、聞いているんだ」


 自分の胸倉を掴んでいる手を、ゆっくりと引き流しながら、トレスは学友に真剣な眼差しを向け……珍しく静かな声でそう尋ねる。

 その静かな声に、その真剣な眼差しに、クレイは冷静さを取り戻していた。

 そして……先ほど喚いた自分自身が、学友からまっすぐに視線を向けられたことが恥ずかしくなったのだろう。

 少年は窓の外を振り向き……そのまま、静かな声で呟く。


「……手伝ってくれる、のか?」


「……ああ」


 それが、『学園最強』の少年に対して、魔術科の少年二人が導き出した答えだった。

 それが正しいかどうかなんて、彼ら自身にも分からない。

 だけど……今、この場において、彼らには『一縷の希望に縋る』という選択肢以外、存在していなかったのだ。


「……フレア、貴女はどうします?」


 そんな少年たちの様子を横目で見ながら、大剣を強く握りしめたままの少女は、彼女と同じように武器を握りしめたままの、小柄な少女へとそう問いかける。


「……私は」


 シェラの問いかけに、フレアは答えを口にしようとして……そこで言葉に詰まる。

 大切な友人の……もしかすると、それ以上となるかもしれない少年の、文字通り『生命に関わっていること』なのだから、そう簡単に答えられる筈もなかった。

 その詰まってしまった彼女の言葉を代弁するかのように、フレイルを握りしめる彼女の小さな手に、ますます力が籠められる。

 それこそが……言葉にするよりも雄弁に、彼女の導き出した、答えを周囲の少年少女へと教えていた。

 即ち、同じ魔術科の学友である彼女へと視線をゆっくりと向けて来ている、二人の少年と同じ……

 ……『一縷の希望に縋る』という選択肢を。


「リス。

 ……貴女は?」


「……私は、お嬢様を守るだけ、です」


 幼い頃からの友人の真剣な問いに……リスは、ただそう答えていた。

 彼女の顔は俯いたままで、その表情は見えず……護衛対象であるシェラの視線から必死に逃れているようにも見えた。

 ある意味……『命令』という名の首輪に縋り、返答から逃げたとも言えるだろう。

 だけど……それを責められる人間など、この場にはいなかった。

 それもまた、彼女が必死に導き出した一つの選択なのだから。


「……お嬢様、は?」


 意趣返しという訳ではなく、己の手綱を預けた人間の、純粋な興味なのだろう。

 覚悟を決め、顔を上げたリスは、幼なじみの少女にむけ、そう尋ねる。


「ふふ。

 私は、みんなとは違いますわ」


 その友人の問いに、シェラ=イーストポートは笑顔でそう答えていた。

 欠片の迷いもなく、欠片の躊躇いもない、素直な笑顔で。


「……アイツに。

 悪魔に、味方する、つもり、なのか?」


 その表情を見たクレイは……信じられないといった表情で首を振りながら、そう声を吐き出していた。

 ……いや、クレイだけではない。

 トレスも、フレアも、彼女の味方をするといったリスでさえ……シェラの選択を「あり得ない」と断じる顔をしていた。


「───っ?」


 リスに至っては、口封じまでもを視野に入れ、馬車の御者に視線を向けていた。

 だけど、そこには見慣れた、イーストポート家に長年勤めあげた、白髪の執事の姿があり……彼ならば、例えシェラが反逆者に堕ちたとしても、ここでの会話を誰かに漏らすことはないだろうと確信し、無意識の内に握っていた短刀から手を放す。

 とは言え、リスのそんな葛藤など……他の誰一人として気付くことはなかったのだが。


「……いえ。

 セブンスが悪魔に味方するならば、彼を殴ってでも止めますわ。

 それ自体は、貴女たちと変わりません」


 そんな幼なじみの葛藤に気付くことももなければ、学友たちの批判の視線を向けられても揺らぐことなく、穏やかな笑みを浮かべたままシェラはそう答える。

 ……悪魔は人類の敵である。

 そして、彼を真っ当な、人類の側へと引き戻す。

 例え力づくになったとしても、例え敗れて己自身の命を失ったとしても……

 シェラの中では、既にそんなことなど『確定事項』でしかない。

 魔術科の三人組のように、『学園最強』のあの少年と相対して、命を落とす危険を理解し……それでも躊躇う様子すら見せないのは、その答えが既に決まっているからでしかない。

 ……そう。

 シェラは、とっくに彼と、自分の想いを心中する覚悟を決めていた。

 あの日……彼女が一撃で敗れたあの悪魔と戦う彼の姿を見た、あの日から。

 要するに、シェラ=イーストポートという少女は根っからのお嬢様であり……思い込みが激しい少女なのだ。


「ですから、更生した彼を、社会がそれでも赦そうとしないのであれば……」


 シェラはそこで一旦声を止め、周りを見渡していた。

 そもそも、彼らが縋りついている『一縷の希望』というヤツは、あくまで「恩赦が適用される」という前提に基づいた、ただの願望に過ぎないのだ。

 社会を変える術のない少年少女が縋るしかなかったその選択肢を……シェラは真っ向から否定する。


「……彼には、船に乗ってもらいますわ。

 東の港から、遠くの大陸へと」


 それが、シェラの答えだった。

 反逆者は死刑とは言え、仲間を死なせるのは忍びない。

 ならばこそ……国外へ逃亡させる。

 現実として、シェラ自身にはイーストポート家を動かす権限……つまり、大陸との交易を担う彼女の領土の、しかも船乗りに命令する権限はなく。

 そして、死刑が確定した『反逆者』が国外へ逃げることを、社会は許さないだろう、ということも、シェラにも分かっていた。

 ……だけど、退けない。

 ここで、退ける、訳がない。

 それが、シェラの……彼女の決めた、覚悟なのだから。


「それ、は……」


 シェラの瞳を見たフレアは、口ごもる。

 覚悟の差を見せつけられた所為、だろう。


「お嬢様……」


 リスも……少しだけ悩み、すぐに大きなため息を吐いていた。

 この幼なじみのお嬢様には、昔から延々と悩まされたものだと……そんな諦観の込められたため息である。

 反逆者を逃がすとなれば……その手助けをしたとなれば、もうリス自身も密偵としては生きていけないだろう。


 ──折角、就職決まったのになぁ。


 どうやらここで将来を約束する仕事を失うことになりそうだったが……リスの任務は「お嬢様を守る」という一点に尽きる。

 幼い頃から条件反射として組み込まれたその命令は、例え義父や雇い主である近衛騎士団長に逆らうことになっても……逆らえそうになかった。


「だから、思いっきり、行きましょう。

 彼が、死なない限り……もし、死刑になったところで、私が助けますから」


 そのシェラの呟きは、その場にいる全員を見つめて放たれた。

 人の上に立つだろう、絶対の確信のある……いや、絶対の確信を装った、必死のその瞳を見て……魔術科の三人は軽く笑みを零す。


「……ああ、いいな、それ」


「……確かに」


「なるほど、な」


 とは言え……魔術科でナンバー2を自称するこの三人は、そこまで馬鹿じゃない。

 イーストポート家が幾ら裕福な家系であり、大陸との貿易において数多の権限を有していたとしても……シェラ自身はただの小娘に過ぎない。

 大陸との貿易船の乗組員を決定する権限など彼女にはなく……セブンスの恩赦を求めるにしても、彼女自身は父親に縋るしか出来ないただの少女に過ぎず……

 彼女の告げた言葉なんて、所詮は彼らが抱いていた『一縷の望み』とそう大差ないことに、彼らは気付いていた。

 だけど、それと同時に彼らは……シェラの呟きが必死に取り繕った虚勢の上で放たれたものであり、それが『彼らの身を案じて装われたものだ』と気付いていたのである。

 何しろ、相手はあの……『学園最強』と名高いセブンスである。

 彼ら自身も訓練とは言え何度も手合わせをして……その度に撃破され続けて来た。

 例えその相手を殴ってでも止めなければならないにしても……殴って止めた結果、相手が死刑になると知っていれば、どうしてもその殴る手は鈍ってしまい……

 ……その躊躇は、彼ら自身の生命に直結してしまう。

 僅かな迷い、僅かな手心は、容赦なく自分自身の命を危険に晒す……あの『学園最強』の少年は言葉通り、そういう相手なのだ。

 シェラのそんな気遣いに気付いたからこそ……クレイは仏頂面で窓の外へと視線を向け、トレスは照れ臭そうに頬を掻き、フレアは軽く笑みを浮かべるのだった。


「……なら、これ。どうする?」


 多少の差異はあれど、全員の目的が一致したことに気付いたのだろう。

 クレイが、足元に置きっぱなしだった悪魔の欠片を手に取り、さっきまでの重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのように、そう呟く。


「まず……フレアの防御力アップは必須ですわね」


 そう答えたのは、あの戦いでフレアと共に戦った経験のあるシェラだった。

 あの時の悪魔は、防御力に特化し、鈍重極まりない相手だからこそ、フレアでも何とか戦えた。

 ……しかし、今日の相手は、あのセブンスである。

 躊躇い一つ、瞬き一つで確実に心臓を貫かれる。

 そんな相手を前に……魔術師であるフレアを素のままでは置いていけないと判断した結果の発言だった。


「だったら……僕のゴーレムの強化も必須だろうな」


「おい。

 俺の召喚獣強化のため、魔力増幅装置が欲しいのだが」


 と、そのシェラの発言に便乗して、クレイ・トレスがそれぞれに希望を口に出す。

 とは言え……そこには先ほどまで私欲で喧嘩していた面々とは思えないほど、私利私欲の欠片も見当たらない。

 二人とも垂涎の品である悪魔の欠片を手にしたと言うのに、ただ一つの目的……即ち、セブンス打倒のことだけを考えていて……

 そこには、自身の名誉より、魔術欲求より……ただ単純に友人の身と将来を案じる、学生たちの姿があった。


「私は……動きを封じる系統の武器が欲しい。

 相手が、あの、セブンス、なのだから……」


 そう控え目に呟いたのは、リスである。

 彼女は……戦闘では補助に徹するつもりなのだろう。


「……私には必要ありませんわ。

 私は、今のままで十分ですから」


 シェラは悪趣味な己の全身鎧を軽く叩きながら、そう告げる。

 その一言が……軽い金属音が、話し合いを終える合図となり……

 そうして、彼らはゴールドから貰った悪魔の欠片へと視線を向け、最善の分配案を練り始める。

 私利私欲さえなければ、優秀な学生たちの集まりである。

 最小限の時間・最小限の言葉で分配案は決まり……どの悪魔の欠片でどういう装備を築くかの計画も、一瞬の内に決定する。

 ……それらを加工するのはフレアの仕事である。


「……さて、あまり時間がないのだがな」


 己の身に任された一大任務に、フレアは一つ息を大きく吐き、そう呟く。

 魔術装備を造り上げるのは、一日二日で出来るような仕事では、断じてない。

 だけど……彼女は自身がフレイルを造り上げた経験から、悪魔の欠片を武具へと変えることには、そう難しくないことを熟知していた。

 ……最高の素材と称される「悪魔の欠片」というその物質は、その称号に反し……実は加工に手間暇も技術もろくに必要としない、面白みのない物質だということも。

 とは言え、手を抜く訳にはいかない。


 ──コレが、私たちの生命に直結するんだから、な


 そう内心で呟いたフレアは覚悟を決めると……揺れる馬車の中ということも意に介さず、仕事に取り掛かり始めたのだった。


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