第六章 第三話
「やはり、そういうこと」
シェラ=イーストポートは、目の前の書類の束に埋もれた少女に子細を一度聞いただけで、あっさりと納得した様子を見せていた。
「……申し訳ございません、お嬢様」
「仕方ないわ、リス。
貴女の立場からすれば当然でしょう」
この幼い頃から友人だと思っていた少女が……実はシェラの父親が命じた、護衛を兼ねた監視役だった、などと聞かされた直後だと言うのに……
……シェラの胸中は、驚くほど静かなままだった。
正直、聡明なシェラ自身が、半ば「そんなことだろう」とは思っていたのだ。
と言うより、彼女の父親であるあのゴールド近衛騎士団長ならば間違いなくそういうことをするだろうとは知っていたし……元々貴族というのはそういうものだと思っている。
そしてこのリスという名の少女が、シェラの父であるゴールド近衛騎士団長の命令には逆らえないということを。
だからこそ……このことに、問題はない。
問題は、ないのだが……
「……でも、納得するのと怒るのは別だわ」
「ちょ、ちょっと、お嬢様っ!」
突然、魔剣を抜き放ったシェラを、リスは必死に押し留めていた。
実際、悪魔と最前線で戦い、人類最強とも言われるあのゴールド近衛騎士団長が、その実の娘に斬られ斃れるような事態は、何としても避けないといけない。
……王都の治安的には、絶対に。
とは言え、本気でシェラが斬りかかっても、あのゴールド相手なら傷一つ与えるのは不可能だろう。
それほどまでにあのゴールド近衛騎士団長という存在は、リスの目から見ても人外に等しい……とてつもない存在である。
だから、リスが心配するような事態が訪れることはない、と思われる。
──それでも……
一瞬、その希望的観測によって緩みかかった気力を、リスは必死に繋ぎ止め直す。
何しろ、凄まじい切れ味を誇るシェラの両手剣と、魔剣・聖剣二つを操るゴールド団長の双剣がぶつかり合った場合、周囲の被害はとんでもないことになるのが分かり切っているのだから。
ただでさえ、近衛騎士団の詰め所は団員の装備に資金の殆どを当てているため、補修費用も足りなくてボロボロである。
この上、近衛騎士団詰所の中で、最強の父娘対決なんぞをやられたら……あくまで『近衛騎士団の下部組織から派遣されている』という下部組織に雇用されているという待遇の、リスの細やかな給与が更に削減されてしまうのは目に見えていた。
「……で、貴女はさっきから何をやっているの、リス?」
身体に張り付いた少女を振り払おうと一通り暴れたお蔭で、少しは落ち着いたのだろう。
息を整え直したシェラは、机に座り直したリスが書類を次々と調べているのを見て、何となく尋ねてみる。
そう尋ねたのは……シェラの記憶に限り、このリスという少女はその性格的にも能力的にも、書類に向かって仕事している姿というのが想像し辛かった所為、だろう。
……だけど。
その問いに帰ってきたのは、シェラが想像すらしなかった答え、であった。
「……えっと、義父から命令がありまして。
その……ウェストエンドの家系を調べてみろと」
「……セブンスの?」
思わぬそのリスの返答に、シェラは首を傾げていた。
グリーン=ウッドリーフは彼女の父親であるゴールド=イーストポートとは違い、冷静で沈着、不要な一切を断じるような効率主義者で、人の心が分からないゼンマイ人形みたいなヤツだと……酒の勢いで父が愚痴っているのを聞いた記憶がある。
……考えなしに、興味本位だけで他人の過去や家系を探るような人間ではない。
つまり、彼がそういう行動をするならば、何らかの理由がある筈、で……
「……どうして?」
その答えに思い当たらなかったシェラは、取りあえず目の前の、グリーン副団長の義理の娘に尋ねてみた。
その質問に、リスは少しだけ目を泳がせたものの………シェラ相手だと、下手な嘘を吐いても、付き合いが長い所為か、すぐにばれると観念したのだろう。
職務機密的なことも一瞬だけ考えたものの……結局、素直に口を開くことにした。
「えっと。
その、未来の近衛騎士団長か、その夫になるかもしれない相手ですので……家名・経歴くらい調べておけ、と」
「……ななな」
その直球極まりない答えを聞いたシェラは、顔を真っ赤にして口ごもる。
即ち、あの『学園最強』の少年が、その実力で近衛騎士団の頂点に立つのか……その場合でも、シェラの持つイーストポートの家名がなければ、近衛騎士団長の地位に立つのは難しいのを、シェラは良く知っていた。
もしくは……家柄と実力を鑑みる限り、次期近衛騎士団長になるだろうシェラの、その伴侶になるのか。
そんな、どっちもありえる未来を……結構薔薇色に近い未来を真正面から指摘されたシェラは、もう何も言い返せなかった。
尤も……その薔薇色に近い未来と言うのは、少なくとも「シェラの視点からしてみれば」との前提がつくのだが。
事実、彼女が空想したどちらの未来にも……あの『学園最強』の少年の隣には、シェラの姿があった。
「……そ、そういう、ことならっ。
わ、私も手伝い、ますわ」
「えぇっ? お嬢様が?」
動揺を押し隠した……少なくとも本人はそう思っている声で、シェラは幼い頃からの友人に協力を申し出ていた。
と言うか、彼女としては、未来の夫になるべき殿方の家系を知るのは当然の行為であり、自分に課せられるべき当然の義務だとも思っていた。
──うわ、藪蛇っ?
逆に……その言葉で逆に動揺したのはリスの方である。
まず第一に……シェラは全身鎧を着て両手剣を振り回すような少女で、事務処理の類に長けた人材では、断じてない。
そして、第二に……
グリーン近衛騎士団副団長が、リスにこの任務を命じた時に言った言葉がある。
先ほど、リスがシェラに説明した「未来の近衛騎士団団長に云々」という台詞の冒頭に付随していた……咄嗟に隠した「その言葉」だけは、シェラに知られる訳にはいかないだろう。
……そう。
グリーン=ウッドリーフは、義理の娘に向けて、こうも告げていたのだ。
「俺の記憶が正しければ……ウェストエンドという家では、一昔前に何か事件が起こっていた筈だ。
お前は、その事件を調べて欲しい。
何しろ、あの少年は未来の近衛騎士団団長となるかもしれない相手だ。
家名・家系くらいは調べておかなくては、な。
……シェラお嬢様が後戻りが出来なくなる前に」
……と。
「……お前達は、俺の仕事を増やして嫌がらせがしたいのか?」
近衛騎士団団長であるゴールド=イーストポートはこみ上げてくる激情を抑えながら、眼前に並ぶ三人の男女に向けて、そう言葉を吐き出した。
吐き出す、と言うより、怒号を上げないよう、声を必死に絞り出したというのが正しいかもしれない。
「……え、えっと」
「いや、その……」
「ちょいと、エキサイト、し過ぎまして……」
彼の眼前には……先ほど会ったばかりの士官学校の学生が三人、直立不動で立っていた。
その実力をもって悪魔を退けた、あの忌々しいクソ餓鬼……セブンスの仲間である。
此処で下手に罰せば、先ほどもみ消した一軒が色々と公になってしまうのだが……街中で、しかも公衆の面前であれだけ大暴れした以上、罰さない訳にも行かない。
頭が痛いにもほどがある。
「……怪我人が出てないのが、唯一の救いだが、な」
王都内での召喚獣の戦闘目的での使役、ゴーレムでの殺傷・破壊行為、そして大規模魔術の人や施設へ向けての行使……全てが刑罰付きで禁じられている行為である。
確かに、迷宮があるような誰も来ない裏路地で使うなら、まだ色々と弁護も、もみ消すことも出来るのだが……
……幾ら近衛騎士団であっても、情報統制には限度というモノがあった。
「……取りあえず、罰金刑で良いか」
ゴールドは少し思案する様子を見せた後、軽くそう呟く。
と言うか、正直なところ……あまりこんな学生に時間をかけたくないのだ。
これから、近衛騎士団を率いて、王都内に新しく発見した悪魔の拠点と思われる箇所を、虱潰しに探索しなければならないのだから。
特に王宮に近い場所や市街地のど真ん中は早急に探索しなければならない。
下手に放置しておけば……千人を超える犠牲者が出る可能性もあるのだから。
「まぁ、それくらいなら、何とかなる、かな」
「仕方ない、な」
「……ふん。気に入らないがな」
ゴールドの呟きを耳にした学生連中の反応は、まさに三者三様だった。
とは言え……それぞれの態度で刑を受け入れる覚悟はしたらしい。
それを見届けたゴールドは、秘書官に手で合図を送る。
……この簡易裁判は非公式だ。記録するな、と。
「……おお。
丁度良いところに、罰金の対象となる、良いものがあるな」
「「「……へ?」」」
わざとらしいゴールドのその一言に、三人はそっくり同じ反応を示した。
何を言われているか、分からなかったのだろう。
……いや、理解出来るものの、理解をしたくなかったというべきか。
「……うむ。
王都の平和を乱すような、ろくでもない品だからな」
「お、おい!」
「ちょ、ちょっとそれはっ!」
「横暴だっ!」
ゴールドの声を聞いた学生たちは、口々に抗議を叫び始めた。
眼前にいる相手が近衛騎士団長……貴族さえも取り締まれる人間だということすら、完全に忘れ去っているらしい。
……だけど。
「……没収してしまえば、喧嘩する必要もなくなるだろうな」
「「「……ぐ」」」
ゴールドがそう殺意を籠めた視線を向けると、あっさりと黙り込んでいた。
……これでも彼は、王都を守る近衛騎士団の長を務めているのである。
悪魔と相対し、犯罪組織をも断罪する近衛騎士団の長が、学生相手に迫力で負けるようでは話にならない。
「ま、これに懲りたら……」
学生たちが項垂れたところを見計らって、ゴールドは最後の説教を放つとことで、でその場を丸く治めようと口を開く。
……当然、あの「悪魔の欠片」を平等に割り振って、だ。
あんな高価なモノ、幾ら女王直属の部隊であり、かなりの権限を許された近衛騎士団であったとしても、強引に没収できる筈もなく……あくまで脅し、あくまで学生の威勢を削ぐための虚勢でしかない。
そうして、反省を促した上で、彼らが仲良く出来るよう、そして娘に自分の有能さが伝わるように、裁きの上手さを見せつけようとした……その時だった。
「ちょ、ちょっと! 団長っ!」
突如、ドアが開き……彼の右腕であり親友でもある、グリーン近衛騎士団副団長が部屋の中へと駆け込んできたのである。




