第五章 第六話
「……やべぇ」
クレイ=セントラルはそう呟くのが限界だった。
もう彼の傑作であるゴーレムは、下半身と脚一本しか残っておらず……打てる手は全て打ち尽くし、それでもどうしようもない現実だけが目の前にあった。
──畜生! 簡単に楽になりやがって!
クレイは、さっさとゴーレムの肩から落ちて気絶している天才召喚士を心の中で怒鳴りつける。
だけど……そうしたところで、事態が好転する筈もない。
「もう、悪あがきは終わりか?」
クレイたちの有様を心底侮った顔で、剣の腕を持つ悪魔は、優しげにそう囁く。
「……くそっ」
悪魔の戦闘力と、それに裏付けされた絶対の余裕を見せ付けられたクレイは、軽くそう吐き捨てていた。
だけど……実際にそう余裕を見せるだけのことはある。
何しろ、クレイの得意とするゴーレムは……幾ら咄嗟に生み出した簡易式のゴーレムとは言え、目の前の悪魔に歯牙にもかけられなかったのだ。
あっさりと剣になっている悪魔の腕によって、ゴーレムはその鋼鉄の両腕を切り裂かれ……バランスを崩した際に、トレスが地面に落ちて倒れたまま動かなくなる。
そして、倒れたままの召喚士を守ろうと、クレイはゴーレムに無理な突貫を命じ……
その結果、ゴーレムは鋼鉄の動体を見事、袈裟斬りに深く抉られ、半ば自棄で繰り出した蹴り足もあっさりと断ち切られてしまい……
ゴーレムを失い、地面に叩きつけられた彼には、もう攻撃の手段は残されていなかった。
──どうする?
絶体絶命の状況で、必死に起き上がりながらも、クレイはまだ瞳から戦意を失うことなく、必死に挽回の一手を編み出そうと、状況把握に努めていた。
ゴーレム操縦に特化した彼は、悪魔に通じるような魔術を持っていない。
だと言うのに、彼にはもうゴーレムすら存在ない。
魔術師である彼は……悪魔に体術で敵う筈もなく……
しかも、ゴーレムから叩き落とされ、思うように動かないこの身体では、ただの街の人と戦っても勝つことは難しいだろう。
──勝てない、じゃ、済まないんだよっ!
だけど……彼は、諦める訳には、いかなかった。
何しろ……あの迷宮の奥では、彼のライバルがまだ戦っているのだ。
加えて、セブンスが悪魔を撃退したという噂を耳にしている。
である以上、あの『学園最強』のライバルを自称するクレイは、悪魔如きに敗退する訳には行かなかったのだ。
──認められる、訳が、ない!
彼が此処で負けを認めるのは……この自称「魔術科ナンバー2」であるクレイ=セントラルが、あのセブンス=ウェストエンドに対し、敗北を認めたという事実に繋がってしまう。
ゴーレム使いの少年は、意地でもそれだけは認める訳にかいかなかった。
……だけど。
現在、クレイに打つ手がないのも事実であり……彼の命を奪おうとする悪魔が、もう数歩のところまで迫ってきているのも、紛れもない事実である。
「……くそっ」
接近戦には活路などないと悟ったクレイは、痛む身体に鞭打って不恰好ながらも後退り、距離を取る。
あの両腕の影で出来ているような漆黒の剣が、この悪魔の唯一にして最大の武器らしい。
である以上、あれさえ喰らわなければ……
「……なっ?」
だけど……体術をまともに修めていない、しかも全身を強く打っていたクレイでは、悪魔との間合いを保つことすら叶わなかった。
背後にあったゴーレムだか妖魔だか、それとも岩だか確認すら出来ない何かの塊に足を取られ……あっさりと背後に倒れ込んでしまう。
「……終わりだ」
そして、転んだクレイが起き上がる前に、歩み寄ってきた悪魔が、無慈悲にもその右腕の剣を振り上げ……
「……お前がな」
その次の瞬間。
そんな声と共に、悪魔の腹から突如、剣が生えていた。
……しかも、二本。
片方は暗褐色で、もう片方は青白い輝きを放っているそれらは……恐らく、魔剣と聖剣。
そして、魔剣と聖剣の両者を使える人間など、王国広しと言えど、ただの一人しか存在しない。
「……ぐ、が」
背後から急襲された悪魔は振り返ることさえ出来ず……あっさりと崩れ落ちていた。
事実、聖剣により急所を焼かれ、魔剣により他者の魔力を注ぎ込まれた悪魔が……助かる術などある筈もない。
「さて、何故お前達はこんな場所に居るんだ?」
その聖剣と魔剣の使い手……近衛騎士団団長であるゴールド=イーストポートは、二本の剣を悪魔の身体から引き抜くと、尻餅をついているクレイに尋ねてる。
「……た、助かった」
今度こそ、奇跡だったのだろう。
ゴーレム使いの少年へと、数多の近衛騎士団が走ってくる。
どうやら、彼らは……少年たちと悪魔との戦いの喧騒を聞きつけたらしい。
そういう意味では、それは奇跡ではなく……クレイとトレスが最後まで諦めず、時間を稼いだ結果というべきだった。
あと付け加えるならば、セブンスの跡をつけていたリスが、この位置を近衛騎士団に知らしめた所為もあるのだが……
「……で、士官学校の生徒が、こんな場所で何をしていたんだ?」
悪魔を倒した、悪魔より強い近衛騎士団団長は、何を思ったのか、優しげな笑みを顔に貼り付け……そう尋ねてきた。
なのに、その身体中からは殺意が噴き出していて、下手に笑顔なのが余計に怖い。
──ひ、ひぃいいいいいっ?
悪魔相手に戦い絶体絶命の状態でも諦めなかったクレイが、本当に人生の最期を覚悟したのは……事の顛末を話し終えた直後、ゴールド団長の笑みが大激怒へと変貌した時のことだった。
「……なっ、何だとぉっ?」
目の前で信頼のおける部下が、たかが人間の手によって次々に倒されたのを見て……流石の真紅の悪魔も、動揺した声を上げていた。
そして……それこそはセブンスが待ち望んでいた瞬間でもあった。
動揺して速度が僅かに衰えた、赤い悪魔の手斧の一撃へと……セブンスは魔剣を叩きつけ、床へと打ち落とす。
手持ちの武器が突然速度を増した上に、腕を失って間もない赤い悪魔はバランスを失ってしまい……一瞬、倒れそうになる。
それでも筋力だけで倒れ込みそうになる状態を抑え込んだのは……人よりも遥かに強いと自負する、悪魔の意地、だったのかもしれない。
とは言え……
「……き、貴様っ?」
その一瞬が……赤い悪魔の命取りになっていた。
セブンスの魔剣は、その瞬間を逃さず、赤い悪魔の胸部……人間で言うところの心臓部を見事に貫いていたのだから。
悪魔の生命の源たる魔力……それを生み出す器官を魔剣によって貫かれれば、例え悪魔であろうとも生きていられる筈もない。
セブンスの放ったその一撃は……赤い悪魔にとって、確実に致命傷だった。
だと言うのに、真紅の悪魔は最期の力を振り絞ったのか、セブンスの肩を掴む。
「流石、というべきか?
……第七魔王の騎士よ」
「つっ……何のことだ?」
肩を焼かれる激痛に耐えながらも……さっきも言われた、その聞き覚えのない単語に、セブンスは首を傾げていた。
そもそも……この世を騒がした魔王は、今までにたったの六体のみ。
六代目の魔王はあの片腕の貴婦人の夫であるゼクサールであり……七代目の魔王など、未だにこの世には表れていないのだから。
「ふふ。
だから、俺様は貴様が気に食わなかったんだが……
ああ、認めるよ、貴様は強い。
この俺様を……斃す、くらいなのだからな」
自分の身体を、他者の魔力……あの黒衣の貴婦人の魔力が駆け巡っていて、恐らくは激痛が走っているだろうにも関わらず……
それでも、この真紅の悪魔は……最期の矜持を保とうとしているのか、その優越者の笑みを浮かべたままだった。
セブンスの肩に置かれた手は、彼を焼き尽くそうとする訳でもなく……ただ彼の健闘を讃えるような、そんな接触だったのが。
とは言え、その悪魔にしてはただの賞賛に過ぎなかったとしても……セブンスの肩が焼き爛れ続けていることに違いはない。
「結局、アイツの言った通りかよ。
……もう俺達は、人間より弱い……か」
そう呟くと、赤い悪魔は未だに笑みを浮かべたまま、ゆっくりと周囲に視線を向ける。
その場には、五人の年端もいかぬ少年少女がこちらを見つめていた。
悪魔を断ち切るほどの巨大な魔剣を扱う、なかなか美しい鎧を着込んだ少女。
自分の失った腕を加工したらしき武器を使い、部下の一体を焼き尽くした少女。
悪魔の背後を完璧に取って、不意打ちを加えることに成功した少女。
そして、自分相手に正面から戦い、完璧に自分を打ち負かした少年。
……その、まだ年端も行かない連中に自分達が敗れたのだ。
勇者と名乗る男たちと幾度となく戦い、退け……悪魔同士での戦いすらもほとんど負けることなく勝ち抜いてきた、この自分達が、である。
「……もう、悪魔の時代は、終わり……かよ」
結局、それが……赤い悪魔の最期の一言だった。
そう呟いたのと同時に、赤い悪魔の肉体は力を失い、真下に崩れ、灰しか残さずに消え去っていく。
「……ちっ」
その最期の一言を聞いて、右肩から炎が上がっているにも関わらず……セブンスは思わずそう舌打ちを放っていた。
まだ……勝手に、悪魔の時代を終えられては困るのだ。
……彼には、まだ。
「セブンス!」
「無事ですかっ!」
そのまま、セブンスは彼の身を案じる仲間達に囲まれ……
彼の舌打ちは誰にも聞こず、闇に消え去ったのだった。




