第五章 第五話
「ふふふ、この時を待っていたぞっ。
第七魔王の騎士よっ!」
「……ちぃ!」
立ち上がるや否やそう叫びながら、赤い悪魔が振るって来た真紅の手斧の一撃を……セブンスは慌てて躱す。
油断していた訳ではないものの……この赤い悪魔が「武器を持っていた」という予想外の事態に、不意を突かれてしまったのだ。
間一髪で鈍器とも刃物ともつかぬその武器を躱したセブンスは、その手斧分のリーチを修正し……僅かながら距離を取っていた。
──考えてやがる。
彼の中では、もっと悪魔という存在は人間を見下し、相手にすらしようとせず……つまりが「雑だ」と思っていたのだが。
その真紅の手斧が寸前のところを通り過ぎて行った所為だろうか?
手斧から放たれる余剰魔力の余波で頬の皮膚が引き攣るのを感じながらも、セブンスは自分の考えを改める必要を感じていた。
「魔力の一点集中かよ……やりやがる」
周囲の温度が上がっていくのを感じたセブンスは、舌打ちを隠せない。
まさか、腕力至上主義・魔力至上主義としか思えなかった目の前の悪魔が、「魔力を武器にする」なんて、『人間の真似としか思えない芸当』を仕出かすとは……予想すらしていなかったのだ。
しかも、相手の武器は手斧で……「技量」をあまり必要とせず、人を遥かに超える悪魔の「膂力」を最大限に生かせる武器である。
その上、目の前の悪魔の体格に相応しいサイズの手斧で……セブンスに速度で翻弄されないよう考えた上での武器だと言える。
──受けるのは、無理、か。
その逆に……セブンスの魔剣は細身の剣でしかない。
あんな鈍重な一撃を受けると……幾らあの貴婦人から受け取った魔剣であれど、ただの一発でへし折られてしまいそうで、流石のセブンスも迂闊には踏み込めない。
「はははっ!
貴様に腕を奪われた時に、思いついたんだよっ!」
赤い悪魔は心底楽しそうに笑いながらも……その猛攻は衰えない。
横薙ぎ、兜割り、逆さ袈裟と……剣術も何もあったものじゃない、ただ膂力任せに振るわれるその手斧は、まるで竜巻のようにセブンスへと襲い掛かってくる。
「……くそっ。
体力任せ、かよ……」
その怒涛のような連撃を前にに、セブンスは踏み込むタイミングすら見い出せず……ただ避けるだけで精一杯だった。
……そう。
避けるだけならば、今は何とか……相手の手斧の射程ギリギリの場所に立ち、リーチを誤魔化しているお蔭か、その真紅の手斧がセブンスの身体を捉えることはなかった。
……だけど。
その竜巻のような連打を前に、セブンス自身も攻撃を加えることが出来ずにいる。
──ダメージを与えるには、踏み込む必要がある、か。
セブンスは冷静にそう判断する。
とは言え……それは諸刃の剣である。
ガードも出来ない以上、あの連打の中へ飛び込むのはただの自殺行為でしかなく……
……せめて、もう少し決定的な隙を見つけるまでは、このまま、避け続けるしかないだろう。
前に戦ったときはもっと動きが雑だったので、付け入る隙があったのだが……
──今のコイツは……
人間に勝る悪魔の膂力により武器を振るい、人間とは比べ物にならない悪魔の体力を背景に連打を放ち続け……セブンスを近寄らせない。
まさに、人間でしかない彼……セブンスを仮想的として、自らの長所を前面に押し出し、油断の欠片も見せず、反撃すら許さずに圧倒する。
……そういう戦い方をして来ている。
「凍れ・刃!」
このままでは体力差で押し切られると判断したセブンスは、何とか相手の隙を作ろうと……軽く魔術を放ってみる。
「ははは。無駄だっ!」
だけど、少年の放った氷の刃は、悪魔の身体を覆う炎の魔力によって蒸発するばかりで、その身体に届きすらしなかった。
この赤い悪魔も、それを重々承知の上なのだろう。
……笑うばかりで防御をしようとすらしない。
──さて。
次々と襲い来る手斧を大きく背後に跳ぶことで避けつつ、セブンスはこの事態を打開する術を求めて周囲を見渡す。
彼の視線の先では、シェラが黒衣の悪魔に翻弄されている。
その向こう側では、フレアが岩の悪魔に手も足も出せず、ただ逃げ続けている。
そして、セブンス自身は踏み込むタイミングが掴めない。
──ちぃっ。
──埒が、明かない、か。
……見事に戦況は膠着していた。
しかも、三人が三人とも……それ以上の変化を作れない状況だ。
もし、シェラがあの頑丈な悪魔と戦えば、ダメージは与えられるだろうが……全身鎧を着込んでいる彼女は、あの一撃を避けられるか分からず。
……喰らってしまえば、流石のシェラの防御力でも耐えられるかどうか。
もし、フレアがマントの悪魔と対峙すれば、魔術を放つ前に一瞬で間合いを詰められてしまい……為す術もなく切り刻まれるだろう。
そして、目の前の赤い悪魔は……
──無理、だな。
生憎とこの化け物は……彼以外には太刀打ち出来ないだろう。
コイツの欠片から作り出した以上、フレアが放つ最大攻撃力である炎の魔術と、あのフレイルは通用しない。
それ以外の、ダメージを期待出来そうな大きな魔術も……この悪魔は放つ隙すら与えてくれないだろう。
とは言え、重量に任せたシェラのあの両手剣では、人間を遥かに超えるコイツの手斧を押し切るのは事実上不可能である。
そして……コイツの手斧は、あの頑丈な全身鎧すら断ち切ってしまうだろう。
どちらにしろ、打つ手がないことに違いはない。
何しろ、この真紅の悪魔は……傲慢極まりない悪魔の癖に、人間相手に油断の欠片も見せていないのだから。
「……ん?」
そうしてセブンスが眼前の悪魔の隙と同時に、周囲の様子を伺っていた、その時だった。
ふと視界の隅で、『学園最強』の少年は、とある人影を見つけ出す。
『彼女』が自分の背後をつけていることは気付いていたし、そもそも近衛騎士団とパイプを持つ『彼女』が、彼らを……と言うよりもシェラを放っておく訳もなく。
いざと言うときの援軍として活用は出来るだろう程度に考えていたのだが……
現在の彼女の位置と言い、角度と言い、まさに……最高の援軍だった。
──勝ったな。
『彼女』の姿を見い出したセブンスは、そう確信を込めると……魔術を放つ筈の左手を、リズムよく複雑な形で組み合わせる。
……それは、符丁だった。
あの貴婦人から教わった、大戦時代の、密偵の符丁。
『彼女』がソレを知っていることは、前に勇者を叩きのめした時に目の当たりにしていたから、恐らく上手く行くだろう。
──よしっ。
その符丁が通じたのか『彼女』が物陰から姿を現したのを見た瞬間、セブンスは魔剣を振るう少女目掛けて声を上げる。
「シェラ! 今だっ!」
彼のしたことは……たったのそれだけだった。
だけど、たったのそれだけで……硬直していた戦局は、一気に動き出したのだ。
──簡単に言ってくれるっ!
セブンスの左腕が、大戦時の密偵の符丁を形作るのを見て……物陰から見ていたリスは心の中で悲鳴を上げていた。
悪魔に向かっていけという、ある意味「死ね」というのに近い命令をされたのだ。
密偵としての訓練を受けている彼女でも……叫びたくもなる。
だけど……それでもリスは、近衛騎士団お抱え密偵の、端くれで……副団長の義理の娘、である。
物陰に隠れて相手に気付かれていないという、今の自分の利点を失うほど馬鹿じゃない。
──やるしかないかっ!
すぐさまリスは覚悟を決めると、セブンスの指示通り……眼前の、彼女の護衛対象に襲い掛かっていたマントの化け物へと、背後から短剣を放り投げる。
「……ぐ?」
普通の短剣ならば、その黒いマントを着た悪魔には通用しなかっただろう。
だけど……リスの手により投擲されたその短剣は、生憎と普通の短剣ではない。
魔剣・聖剣とは比べ物にならないものの……人間の魔術によって強化された、彼女の持つ中では最高の逸品なのだ。
とは言え、人間にとっては最強であっても、ソレはあくまで人間を基準に考えた程度の代物でしかなく……悪魔にしてみれば、ただ「針が刺さった程度」だったのだろう。
……そう。
彼女の一撃がもたらしたのは、時間にしてみれば本当に、瞬き一つ足らずの、僅かな隙でしかなかったのだ。
「シェラ! 今だ!」
……だけど。
それを見逃すような、剣術科ナンバー2……近衛騎士団長の娘シェラ=イーストポートでもない。
シェラの魔剣は、一瞬動きを止めたマントの悪魔を……見事、上下真っ二つへと分断したのだった。
「シェラ! フレアをっ!」
「……分かりましたわっ!」
悪魔の一体を両断したシェラは、勝利の余韻に浸ることも、突然相手が動きを止めたことに対する疑問すら抱く暇もないまま……セブンスの指令を受ける。
その指示に……いや、強敵相手に踏み出せずにいるセブンスを見て、一瞬だけ躊躇ったシェラだったが……
すぐさま彼女は了解の叫びを上げ、フレアが対峙している悪魔の方へ走っていた。
「てぇえいっ!」
ソイツは巨大だった。
そして、ソイツは頑丈そうだった。
事実、フレアの振るうフレイルも、放つ魔術もその悪魔の表皮を削れず……勝負は膠着状態に陥っていたままだったのだ。
だけど……シェラが渾身の力を込めて放った魔剣の一撃は、ソイツの表皮をあっさりと削っていた。
尤も、とんでもなく硬いソイツの表皮は……その両手剣の一撃をもってしても、ただ表皮を削っただけではあったが。
「ぐがああっ!」
当然のことながら、悪魔もただ斬られはしない。
突如、背後から襲ってきた少女目掛けて、その岩のような拳を振りかぶり……
「闇よ・踊れ・眼前・生命体・頭部・半径・三踵!」
その展開を予期していたフレアの魔術が、絶好のタイミングで放たれる。
「ぐおぉおおおおっ?」
その魔術によって、岩の悪魔の顔面は闇に覆われてしまい……目標を見失ったその巨大な拳は、シェラとは無関係な床を殴りつけていた。
「うららららぁっ!」
その絶好の隙目がけ、シェラの魔剣が数度、悪魔を切り裂く。
流石にこの悪魔は硬く……シェラの魔剣でも致命傷を与えることは叶わない。
だけど、一撃一撃と重ねていく内に、その頑丈極まりない表皮は徐々にその体積を削り取られて行き……
「フレア!」
「了解!」
重点的に狙った、最も皮膚の薄そうだった、脇腹の表皮を砕き終えたところで……シェラは仲間へと大きく叫ぶ。
その合図を予想していたフレアは、既に悪魔の死角へと走り寄っていて……シェラの叫びが終わる頃には、彼女はもうフレイルを叩きつけるところだった。
「ぐがああがぐあがががあああがあがぐがっ!」
幾ら頑丈な悪魔でも……傷口から魔力を流し込まれて無事ではいられる筈がない。
……いや、この岩の悪魔は、表皮の防御力に魔力の殆どを費やしていたからこそ、身体に流れ込んできた炎の魔力に抵抗する術を持たなかったのだ。
「……ぐげ」
一瞬で、表皮の内部を焼き尽くされ、頑丈そうだった悪魔はあっさりと崩れ落ちていた。
その後、残されたのは……そのとんでもなく頑丈だった表皮だけ。
「……ふぅ」
「……やった」
その次の瞬間、二人の少女は息を吐き出し……お互いを見やる。
……何となく、笑みを浮かべながら。
二人とも、『学園最強』のあの少年に関係して、お互いに多少は思うところがあったのだが……強敵と協力して相対したという事実が、そういう複雑な感情をあっさりと吹き飛ばしていたのだろう。
「「あ!……セブンスっ?」」
だが、一瞬で二人とも我に返り、勝利を喜んでいる暇はないことを悟っていた。
何しろ、まだ一人の仲間が……彼女たちの心の中心をかなりの割合で占めている一人の少年が、残された一番の強敵と相対したままなのだから。




