第五章 第二話
「……あいつ、大丈夫か?」
そう言ったのは最後尾で後ろを気にしていたフレア=ガーデンだった。
流石に同科で争いあっている同士である。
普段はアホだお調子者だと半眼で眺める相手でも……命が懸かった戦闘を前にすれば、多少は気になるのだろう。
「問題ない」
そう呟いたのは彼女のすぐ前を歩いていたセブンスだった。
彼は欠片も背後を気にせず、ただ黙々と前に進み続けている。
そんな彼の背中を見たフレアは、自然と安堵を覚えていた。
何しろ『学園最強』という彼は、顔色一つ変えず、背後を振り返りもしないのだ。
彼の様子を見る限り……クレイ=セントラルが助かるという絶対の確信があるのだろう。
少なくともフレアにはそう思えてくる。
「……なら、問題ないな」
「何か、いるわよ」
そうフレアが納得したところで、最前線を歩いていたシェラが警告の声を上げる。
彼女の声は……多少硬かった。
というか、今日の迷宮潜入してからずっと彼女の様子はおかしい。
いや、正確には、突入メンバーにいたフレアを見てから、なのだが……
とは言え、セブンスにそんな少女の機微なんて分かる訳もなく……シェラは一人で空回りしていただけなのだが。
「……なるほど、悪魔だな」
セブンスの言葉通り、三人の正面には一体の悪魔が立っていた。
そいつは……一言で言うならば、『異形』だった。
人間に近い部位と言えば、その顔くらいだろう。
姿形が一番近いものを挙げるならば……大型の爬虫類との相違点が近いと言えるかもしれない。
ただ、脚の数が六本ある上に、鱗が尖ったような……トゲトゲした尻尾が二本も生えている。
ついでに、凶悪な爪がついた腕が四本。
その異形の存在が、嫌悪感を催すのは……そんな姿形だと言うのに、顔が人間なのだ。
しかも……毛が一本も生えていない、女性と思われるほど整った顔立ちである。
その二つの眼は閉じられていて色は分からないが……
ソイツの大きさは……恐らく、普通の人間の倍ほどだろうか?
少なくとも、三人の内で一番背の高いセブンスでさえ、ソイツの二段目の腕の付け根くらいなのだから。
「……侵入者か?
ああ、お前は……」
その悪魔は三人の姿に気付いたらしく、そう静かな声で問いかけてくる。
尤も……彼らは別に姿を隠していた訳ではない。
何しろ、フレアやセブンスは兎も角……シェラは全身を覆う金属鎧を、ガチャガチャと言わせながら歩いているのだから、気付かれて当然だろう。
そしてその悪魔はセブンスに気付いたらしく、少年の方へと視線を向け、何かを言おうと口を開く。
……その瞬間、だった。
「……ふ」
「「え?」」
それは突然だった。
二人の少女が止める間も、反応する間もなく、セブンスが肩の弓を何の気配も見せないまま構えると……さっさと弓を放っていたのだ。
それは恐らく……『要らぬこと』を相手に喋らせないための、彼なりの必死の措置、だったのだろう。
「愚かな」
だが、セブンスの放った鋼鉄の矢は、悪魔の鱗に弾かれてあっさりと床へ落ちる。
そして、少年のその攻撃を見て、ソイツも会話は無駄だと悟ったのだろう。
悪魔の全身が、突如、倍近くに膨らんだかと思うと……
「フレア!」
「分かってる!」
その気配を察したセブンスが声を上げる。
返事を返したフレアは、昨夜の内に創り上げた、赤いフレイルを振りかぶり……
……その燃えるような赤い先端部は、綺麗な円弧を描き……突進してきた悪魔の、その脚を直撃する。
「がっ?」
悪魔の欠片で作り出したフレイルによって、見事カウンターで脚を強打された悪魔は、その脚が燃え出したこともあり、あっさりとバランスを崩して床に手を突いていた。
「っ、でりゃぁあああああああっ!」
シェラはその隙を逃すことなく、奇声を上げながら、魔剣を横薙ぎに大きく払う。
その両手剣のとてつもない切れ味はあっさりと……身体を支えるのに必死だった悪魔の左腕二本を、その肉体から分離させる。
「ぐ、がぁあああああっ!」
だが、悪魔も黙ってやられる案山子ではない。
身体の支えがなくなり倒れると見えたその瞬間、強引に肉体を捻って二尾の尻尾を振り回して来る。
「んべっ?」
その尻尾は一番近かった存在……即ちシェラを直撃し、金属の全身鎧を着こんだ彼女を、軽く数メートルほどは吹っ飛ばしていた。
「ったぁ~」
だけど…… あのゴールド近衛騎士団長が大枚を叩いて彼女にこの鎧を与えているだけあって……シェラの鎧は、とてつもなく頑丈だった。
吹っ飛ばされたダメージこそ隠せないものの……戦闘不能に陥るような大怪我は見られなかった。
「……ちっ」
シェラが吹っ飛ばされた瞬間、セブンスは弓を放り捨て、黒衣の貴婦人から貰った魔剣に持ち換え、前線へと飛び出す。
「貴様ら~っ!」
その隙に悪魔が右腕二本を大きく薙ぎ払う。
だが、セブンスはシェラと違って重装備ではない。
『学園最強』と呼ばれる少年はバックステップ一つでその暴風圏内からあっさりと離脱し……難を逃れる。
「燃えろ・炎・中心・目前生命体・半径・七十踵・温度・上昇・三万・熱単位!」
悪魔の攻撃が空を切った隙を狙い、フレアが魔術の詠唱を完了させる。
次の瞬間には、その異形の悪魔は見事、全身を炎に包まれていた。
どうやら、あの赤い悪魔の欠片を……武器として使った「余り」を触媒に利用したようで……人間の魔術だというのに、悪魔の身体を焼く凄まじい業火が発生している。
「ぎぃいいいいいいいいいいっ!」
だが、それでも悪魔は悪魔だった。
炎に焼かれながら、悲鳴を上げながら……それでも戦意を失わず、殺意を剥き出しに突進してくる。
「~~~っ!」
……その目標はフレアだった。
渾身の魔術を放ち、そのダメージを確認している最中だった所為もあり……突然の突進に反応できない。
彼女自身の実戦経験の不足が、『残心の怠り』という致命的な形で生まれていたのだ。
その右腕の鉤爪は、棒立ちになっていたフレア目掛けて振るわれ……
「……がっ?」
……だけど。
悪魔の行動はそこまでだった。
いつの間にか悪魔の背中に飛び乗っていたセブンスが、悪魔の後頭部から魔剣を突き刺していたのだ。
フレアの魔術に焼かれるのを全く意にも介することなく、急所を見事貫くその技能は……もはや強いとか覚悟が決まっているとか、そういう次元ではあり得ない行動である。
そして……流石の悪魔も生物である以上、頭部を魔剣によって破壊されて助かる術がある筈もない。
「がぁっ!
げたではじゅでごでこ!」
だが、悪魔は悪魔だった。
訳の分からない言語を口走りながら、のたうち回り、暴れ狂う。
実際、それは苦痛から逃れようとする行動ではなく……ただ頭部を破壊された生命体が行う肉体の反応に過ぎなかったのだが。
「まず、一匹」
セブンスは倒れた悪魔が起き上がってこないのを確認しつつ、魔剣を鞘に戻す。
実際、あの貴婦人から貰った魔剣の威力は凄まじかった。
さっきの悪魔はかなり強力な部類に入る悪魔だったが……それでも魔剣を手にしたセブンスにとっては、ただ『試し切りには丁度良い相手』程度の過ぎなかったのだから。
「ちょ、ちょっと! セブンス!」
自分の魔術によって燃えているセブンスを見た彼女は、慌ててマントを叩きつけて消火活動に勤しみ始める。
ちなみに、そのマントの下は短衣とミニスカートという軽装で……ある意味、彼女の勝負衣装だったのだが……
……生憎とそれを見る相手は誰もいなかった。
何しろ、肝心のセブンスは自分が燃えているのも意に介さず、吹っ飛ばされたシェラの方に向かっていたからだ。
とは言え、彼の身体を覆う炎は、少年が少女の近くへたどり着いた時には既にもう消えさえっていて……恐らく彼が魔力を使って消火したのだろう。
「……大丈夫か?」
「当たり前でしょう?」
少しふらついてはいたものの、シェラも問題はなさそうだった。
どうやら、あの一撃によるダメージよりも、吹っ飛ばされたことによる脳震盪の影響が大きいらしい。
もし彼女が髑髏を模したその悪趣味な兜を被っていなければ……壁に叩きつけられた衝撃で、後頭部が割れていたかもしれない。
……それほどまでに、あの異形の悪魔の一撃は強烈だったのだ。
「次、行くぞ」
「……分かってますわ」
「……ああ」
とは言え、まだこの迷宮を全て攻略し終えた訳ではない。
勝利の余韻に浸ることもなく放たれた、セブンスの号令に二人は表情を引き締めて、頷く。
何しろ、この奥には……あの赤い悪魔がまだ残されているのだから。
「心臓が、止まるかと思った」
背後から戦いを覗いていたリスは、深部へ向かって歩いていく三人の姿を見届けたところで、思いっきり大きく息を吐いていた。
「流石は、ゴールド団長が与えた最高級の全身鎧」
あの鎧は……シェラの父親が金とコネを最大限に使って手に入れた『聖なる武具』なのである。
とは言え、セブンスの一件で、シェラの趣味が大きく変動してしまった所為で、お嬢様の一存によるデザインの大幅な変更が生じ……あんなザマになっているのだが。
「しかし……意外と簡単に倒しちまったな」
リスは目の前でまだ痙攣している悪魔の肉体を見て、そう呟く。
実際、悪魔の欠片から作られた武器を三人も持っているとは言え、敵も王都で騒乱を起こした一味の……所謂、一流の悪魔である。
しかも、このトカゲの親分みたいなのは門番級で、かなり強い敵だと思われる。
──やっぱ、アイツはかなり強力な戦士であり、指揮官でもあるんだな。
リスは自分の前評価が間違っていなかったことに、何となく嬉しくなり、少しだけ笑みを零す。
──さて。
だけど、彼女はいつまでも喜んではいられなかった。
……まだ任務が残っている。
──シェラ=イーストポートを守る。
それがシェラの監視と共に、彼女が父親から受けた任務なのだ。
リスは何気なく手に持っていた、血に染まる短剣を布で拭うと、懐に戻し……三人の後を追って足音を立てずに奔り始めた。
そんな彼女が隠れていた場所の足元には、数匹の妖魔が首を切られて倒れている。
先ほどの戦闘がかなり激しかったのに、表層部の妖魔が援護に来なかったのは……リスがそうやって来た偵察用の妖魔全てを消していたからである。
尤も、奥へ行った三人は……そのことに気付きもしていなかった。




