第四章 第四話
「やはり、か。
凍れ・貫く!」
召喚士によって呼び出されたスライムが炎の魔術に耐えることを予期していたセブンスは、間髪をおかずに次の魔術を放っていた。
その氷の槍が、スライムに突き刺さったかと思うと……
「ははははは。
無駄だ、無駄無駄無駄ぁっ!」
「……すげぇ」
「スライムを改良したのか」
トレスが高笑いする背後で、野次馬達が感心した声を奏でる。
とは言え……召喚した生物に附加魔術を加えるのは珍しいことではない。
凶暴な魔獣を従順にしたり、寒い場所でしか生きられない幻獣を魔力によって保護したりと、召喚士が召喚獣に手を加えるのはむしろ普通であると言える。
……だけど。
『たかがスライムを、ここまで極端に強化する』
その発想は、他のどの召喚士にもない……まさに「型破り」と言っても過言ではない発想だったのだ。
と言うよりも、手間暇を考えると酷く非効率的で……「誰もやろうと思わない」というのが正しいのだろうけれど。
「……効果なしか。次は」
セブンスは、目の前で氷の槍がスライムに溶けて喰われていくのを確認しつつ……もう一歩後ろへと下がる。
何しろ、目の前のスライムは……どう見ても魔術を喰っているらしく、さっきと比べてもまた一回り大きくなっていたのだから。
「降参するんだな、セブンス=ウェストエンド!
そいつに魔術は効かない!
ソイツの皮膚は硬質の鎖を縒り合わせた構造になっているから、刃物は通用しない!
そして、元々スライムに打撃は効果がない!
……さぁ、どうするつもりだっ?」
トレス=エイジスは、既に勝利を確信しているのだろう。
さっきまでの高笑いすらやめて、真顔でセブンス相手に降伏勧告を始めていた。
「……ちっ」
それを聞いたセブンスは舌打ちして足を止める。
目の前の相手は、幾ら強化されているとは言え、所詮スライムに過ぎない。
である以上、その動きは非常に鈍く……攻撃を喰らう心配は、殆どないと言える。
──だが、倒す手段もない。
普段は鬱陶しいとしか思わないものの……今、この近くにシェラがいないのが辛い。
あの魔剣を借りれば、恐らくは数撃で潰せるだろう。
……あの切れ味に、あの魔力を崩壊させるような威力があれば、こんなスライムなんかただの雑魚に過ぎないのだから。
「……間が悪いな」
正直な話、先日の赤い悪魔との戦闘経験のお蔭で……セブンスは魔剣という品の素晴らしさを思い知っていたのだった。
だからこそ、先日切り落とした赤い悪魔の右腕をフレア=ガーデンに渡すことで……付加魔術師である彼女の手で、彼専用の魔剣を作って貰おうと思っていたのだが。
……今、手元にないものをねだったところで、何の意味もないだろう。
──兎に角、このままじゃ分が悪い。
何とか良い案はないものかと、セブンスは周囲に並んでいる雁首を、右から左へと眺め……
「……ん?」
そんな時だった。
セブンスは、ふと群集の中に「見知った顔」があったことに気付いたのだ。
それは……この神聖王国立サウスタ聖騎士学園では見かける筈のない顔だった。
──いや、似ているだけ、か?
セブンスは内心でそう否定するものの……彼女の持つ『独特の雰囲気』は、間違えようのないほど特異的だった。
ただし……流石のセブンスも、何故彼女が士官学校の制服を着ているのかは分からなかったのだが。
「悪い。
ちょっと、タイム」
「……ん? ああ」
咄嗟に、セブンスは手を上げて、戦いの中断を申し出る。
トレス=エイジスも、圧倒的な優勢にあったため、余裕を見せたかったのだろう。
訝しげな表情を浮かべはしたものの……『学園最強』の少年へと鷹揚に頷いた。
「ちょっと、来いっ!」
「ああん」
セブンスは、周囲の目も気にせず、その制服姿の女性の手を掴むと、強引に引っ張って近くの木陰に押し込む。
「あん。積極的~」
「……何を考えているんだ、お前は?」
その女性は……あの既に廃れた神聖エレステア教会で良く見たその女性は、理由を問い正す前に、気力が萎えるような一言で先制してきた。
セブンスは頭痛を覚えて頭を抱えると……取りあえず、それだけ尋ねる。
「えっと、何だっけ?
あ、そうそう。
……奥様のご命令で、お届け物を届けにきたんで~す」
「……お届け物?」
その女性……即ちあの貴婦人の背後に控えていた淫魔は、楽しそうな声でそう答える。
その回答を聞いたセブンスは、首を傾げていた。
あの貴婦人に何かを貰うような約束はしていないし……あの貴婦人は意味もなく贈り物を与えるような女性でもない。
「よいしょっ。
これなのです」
淫魔は背中に担いでいた一本の剣を、セブンスに差し出そうとする。
その動作の間にも、ベルトが胸に引っかかって微妙に手間取り……そういう、何気ない行為にすら色気が漂う辺り、淫魔という種族は罪深い。
「魔剣、か?」
「はい。奥様のお手製なのです」
その淫魔の一言には、色々な意味が籠められていたのだが……セブンスにはそこまで理解できない。
ただ、セブンスはその柄に手を触れたその感覚だけで、その剣がどういう代物なのかを理解してしまった。
──これは、とんでもない、剣、だ。
その魔剣に触れただけで……剣士としての訓練を受けてきた、セブンスの手は自然と震えていた。
彼自身、それほど欲がある方ではなかったが、それでも「この剣だけは手放したくない」と、素直にそう思ってしまうほど……その剣は素晴らしい代物だった。
好奇心に突き動かされるように、セブンスはその魔剣を鞘から抜いてみる。
細身の刀身は真っ黒で、見るもの全てを吸い込みそうな光沢を放っていた。
柄は血のような赤と艶のある黒を編んだような模様が描かれている。
肝心のその刀身は両刃の細剣で……女性でも扱えそうなほど軽い。
魔術・格闘術にも長けるセブンスにとって、軽くて動きを阻害されないその剣は、実に使い勝手の良い剣だとも言える。
「そして、奥様からの伝言です」
魔剣に魅入られていたセブンスを、淫魔の声が現実に引き戻していた。
その声がちょっとだけ怒っている雰囲気だったのは……彼が、自分より魔剣の方に夢中になっていたから腹立たしかった所為、だろうか?
自分が魔剣に魅了されかけていると気付いたセブンスは、慌てて剣を鞘へとしまい直す。
「貴方を襲った赤い悪魔が、奥様の命令を無視した挙句、迷宮の一つを占拠して、人間達と戦闘を開始した、なのです。
これは、もはや反逆であるため……その魔剣を使って、奴をやっつけて欲しい、とのこと、なのです」
「……なるほど」
淫魔の説明は、『言われたことをただ復唱しているだけ』と言った風情の、実にたどたどしいものだったが……セブンスはすぐにあの貴婦人の意図を理解し、納得する。
もしも悪魔を倒すなら、『聖剣』か『魔剣』を用いるというのが人間社会における常識である。
そして……悪魔に聖剣を作り出すことが事実上不可能である以上、あの貴婦人が彼に魔剣を与えるのは当然とも言えただろう。
「奴の配下は、悪魔が八体。
妖魔が手足の指くらい。
それと魔獣が髪の毛ほど。
……手段は問わない、とのこと、なのです」
「……ふむ」
淫魔によってもたらされた情報を元に、セブンスは考え込む。
実際のところ、この魔剣があればあの赤い悪魔とも対等に戦う自信があるが……他にも悪魔が七体もいる、らしい。
一人では少しだけ荷が重そうだ。
「……んふ?」
ふと、『学園最強』と名高い彼は、淫魔の方へと視線を向ける。
あの貴婦人が何度も使役しているこの淫魔も、多少は戦力になるだろうと期待をしたのだが……
情熱的に見つめられたとでも勘違いしたのだろうか?
貴婦人の配下である淫魔は、頬を染めて彼にウィンクを放ってきた。
「……はぁ」
それに失望を隠せないセブンスの視線は……あっさりと淫魔から外れて虚空を彷徨う。
──やっぱ、戦力外通知だな。
何かの役に立つかと思ったのだが、やっぱり期待しただけ無駄だった。
そもそも淫魔という種族自体が、戦闘には向いていないのだ。
……愛(の行為)と平和(を実感するための昼寝)以外のことに興味のない、ある意味で完成された種族なのだから。
「……分かったと伝えておいてくれ」
「は~い。
奥方様は防衛線の真っ最中だから、ちょっとだけ急いで欲しい、と言われてます、なのです」
そう淫魔は告げた直後、赤い悪魔の迷宮が印してあるらしき地図を渡し……ついでにキスを迫ってくる。
セブンスが彼女の唇から身体を逸らすと……少しだけ不満を示すように唇を尖らせた、そのまま歩いて学園の入り口へと向かっていった。
取りあえず、地図と魔剣とを受け取ったセブンスは……与えられた情報を元に、迷宮の攻略法を考えてみる。
そして、すぐに一つの結論へと達していた。
──一人じゃ、無理だな。
一人きりで何でもこなすと評判のセブンスがそんな結論に達したのは……本当に珍しいことだった。
取りあえず、彼は、パッと頭に浮かんだ連中の名前を並べてみる。
──シェラ=イーストポート。
──フレア=ガーデン。
──クレイ=セントラル。
──あとは……闘士科のガンズと弓術科のイヴも声をかけてみるか。
「随分と待たせてくれるじゃないか」
「……こいつは、要らないな」
仁王立ちをしたままの、トレス=エイジスが傲慢に尋ねてくるを眺めつつ、セブンスは小さく呟く。
確かに目の前のスライムは強いのだが、あくまでそれは人間に対して……いや、セブンスに対してのみ発揮できる強さなのだ。
悪魔や妖魔の前では無力だろう。
「おい! 形勢が変わった訳じゃないぞっ!
あんな女といちゃついただけで、随分と態度がでかくなってるじゃないかっ!」
「……じゃ、さっさと終わらせるか」
馬鹿にされたと感じたトレスは、激昂を隠そうともせず叫ぶ。
……だが、セブンスはその怒声を聞いてすらいなかった。
ただ静かに魔剣を鞘から抜くと……
何の予備動作もなく、力すら感じさせない自然な動作で、ただ一直線に、目の前のスライムへと、その魔剣を突き刺したのだった。




