第四章 第三話
「よく来たな、セブンス=ウェストエンド!」
セブンスが中庭に来たときに、彼を出迎えたのはそんな声だった。
声のした方を見ると、背丈を越えるほどの杖を持った、中肉中背の真っ黒なマントを着た少年が立っている。
顔の造形に問題はないのだが、目が血走っているため、かなり危険な雰囲気を漂わせている少年である。
そして、その周囲には……数十人の学生が並んでいた。
……いや、既に彼を中心として、人垣による円形のリングが出来ていたと言っても過言ではないだろう。
直径で数十歩ほどの距離の、円を描くように学生によって築かれたその決闘場は、十分な広さのリングと言えないことはない。
そして、野次馬の中には魔術科の生徒もいるので……多少派手にやらかしたところで、周囲の学生に被害は及ばない、だろう。
──ったく、暇な連中だ。
大騒ぎになっている周囲を見渡したセブンスは、内心でそう嘆息する。
ちなみに、教官達はとっくにこの手の騒ぎを黙認していた。
『生徒の自主学習の向上に繋がる』という建前と、『生徒のストレス解消を邪魔すると今度はどんな問題を引き起こされるか分かったものじゃないので、この程度は黙認しよう』という妥協と、『何処で発生するか分からない騒ぎを一々止めるのは面倒だ』という本音の、三重奏による黙認である。
そうして周囲を見渡したセブンスは、仕方なく真正面に仁王立ちしたままの、自称魔術科ナンバー2の少年へと視線を移す。
その視線に気付いたのだろう。
「このトレス=エイジスの、召喚獣の威力を見るが良い!」
トレスという少年はそう叫ぶと、背丈を越えるような巨大な杖を、ふらふらしながら操り……魔術を構成し始める。
その姿は、周囲の観客を意識している所為か、酷く大仰で無駄が多く……
──隙だらけなんだが。
その様子をセブンスは、少しだけ白けた気分で見守る。
言うまでもなく……今攻撃すれば、楽勝で勝てるだろう。
召喚魔術師というのは、兎に角、接近戦に弱い。
そもそも召喚術自体……一対一での決闘に向くタイプの魔術ではないのだから。
──馬鹿馬鹿しい。
取りあえず、セブンスは周囲の学生に顔を向けると、目の前で召喚を行っている少年を指差してみる。
それは「殺っちゃって良いか?」という意思が込められていたのだが……
セブンスの視界に入っていた学生の殆どが、首を横に振って彼の行動を否定する。
どうやら彼が何となく思った通り……この隙だらけの召喚の最中、コイツへの攻撃は卑怯と見做されるらしい。
……セブンスとしては、さっさと終わらせて用事に取り掛かりたかったのだが。
「ふはは。もう少しだぞ、セブンス=ウェストエンド!
今日こそ貴様を下し、フレア=ガーデンを我が物にしてみせる!」
周囲からの視線に酔ったのか、それとも『学園最強』と戦う自分に酔っているのか……トレスという少年は大声でそう叫ぶ。
……集団群集のど真ん中で。
「な、な、何を勝手なことを言っているんだっ!」
そう叫んだのは、集団群集の少し上で浮かんでいた小柄な少女……フレア=ガーデンその人である。
彼女にしてみても、馬鹿馬鹿しくともこの決闘騒ぎが気になってしまい、ついつい見学しに来たのだろう。
恐らく自分で作り出したのだろう、羽根の生えた魔術の靴によって空に浮いている。
そんな彼女は空中で思いっきり聞かされたトレスのその叫びに、顔を真っ赤にして抗議したが……生憎とその抗議は召喚に忙しい少年の耳には入っていかないらしい。
そして……トレスの叫びを聞いた群衆は、次はその決闘相手である……『学園最強』と名高いセブンスの挙動に注視していた。
「……悪いな。
フレアを貴様の物にする訳にはいかないんでな」
周囲からのプレッシャーに負けたという訳でもないが……何となく空気を読んで、セブンスはそう答えてみる。
ちなみに……全くの嘘ではない。
事実、今日の彼が考え続けていた「急ぎの用事」とは……フレア=ガーデン絡みの用事だったのだ。
生憎と、さっきから邪魔が入り続けた所為で……今ようやくフレア=ガーデンと顔を突き合わせたばかりだったのだが。
「おおお~」
「宣戦布告よ、これは!」
「ちょ、ちょっと待てっ!
こら、セブンス!」
セブンスの言葉に、周囲の観客から一斉にどよめきが放たれ、音の津波となってこの場の空気を叩く。
空中に浮いているフレアは、やはり真っ赤になって抗議しようとしていたが……場の雰囲気が既に、そんなフレアの抗議を受け付ける雰囲気ではなくなっていた。
それに気付いた中空の小柄な少女はため息を一つ吐くと……静かに決闘の成り行きを見守ることにする。
「ふふふ。それでこそ、我がライバルだな!
セブンス=ウェストエンド!」
セブンスの答えを聞いたトレス=エイジスは、怯むこともなく、いや、むしろ意気揚々とした様子でそう大きく叫ぶ。
そこでようやく奇妙な踊りが終わり……どうやら、召喚術の準備が終わったらしい。
──来る、か。
召喚術の発動を前に、セブンスは少しだけ気合を入れる。
一応、このトレスという少年は……性格はかなりアレではあるが、コレでも魔術科ナンバー2を自称する三人衆の一人である。
……気を抜いて対応出来るほど、甘い相手でもない。
「出でよっ!
春の爽やかな風纏う光の天使よ!」
そんな、トレスという召喚師の……微妙にセンスが感じられない掛け声とともに、少年が大地へと描いた、魔力による魔法陣から凄まじい光が放たれ。
魔法陣の中からついに、巨大な『怪物』が姿を現す。
その姿は、形容し難い色合いを放ち、形容し難い形状を見せつけ、形容し難い動きで徐々に徐々にセブンスへと距離を詰め始め……
「……スライムじゃん」
野次馬の中の誰かが、その『怪物』の姿を見てそう呟く。
そして……その呟きによって我に返ったのだろう。
周囲の学生たちからは一斉に、がっかりしたとしか言いようのないため息が吐き出されていた。
ちなみに、空中のフレアは別の感情からため息を一つ吐いていた。
それは、覚悟完了とか、そういう類のため息だったのだが……生憎と、当のセブンスは決闘の最中である。
空中に浮いていたフレア=ガーデンのその呟きを聞きつけた学生は、残念ながら一人もいなかった。
「……スライムだな」
そして、確認するかのようなセブンスのその呟き通り……魔法陣から現れたのは、確かにスライムだった。
人間の頭程度の大きさの、ゲル状の生命体が、ぷよぷよと揺れている。
ただ、普通のスライムと違っていたのは……そのスライムはピンク色の奇妙な光沢を放っていたという事だろうか?
──スライム。
非常に弱い生物の一種である。
構造上、打撃は無効化するものの……兎に角、弱い。
斬れば千切れ、燃やせば焦げ、凍らせば砕ける。
……はっきりと言ってしまえば、『雑魚』である。
当然ながら、セブンスもスライムの姿を見て気を抜いた中の一人だった。
と言うより、フレア=ガーデンに用事があるため、手早く片付けようと気が逸っていたのかもしれない。
「燃えろ・炎」
スライム系が基本的に苦手とする、炎の魔術を放つ。
スライムはあっさりと炎に包まれ……
「ふははははははっ!」
その光景を見て、トレス=エイジスが笑い声を上げる。
その高笑いを聞いた周囲の誰もが……『彼の脳みそはついに配線が歪んでしまった』のだと確信していた。
正直な話、賭けの対象となっている、空中で様子を窺っているフレアもそう思ってしまったくらいである。
「……ちっ」
だが、あの片腕の貴婦人によって「魔術を放った後の残心」を叩きこまれていたセブンスは、自分の放った炎から目を離すことなく……だからこそ、召喚士の少年が何故笑っているか理解してしまう。
直後、弾かれたように後ろに下がり半身になると……セブンスは油断なく敵の反撃に備える。
「どうしたんだ、セブンスは……」
「もう、勝った筈、なのに」
「何故、スライムなんかに……」
周囲からは、そんな彼を訝しがる声が上がる中……炎が晴れる。
そして、炎に巻かれていた筈のスライムは……焦げるどころか、無傷であった。
──いや、違う。
不定形の所為で分かりづらいが……よく見ると、さっきと比べても、サイズが一回り大きくなっている。
さっきまでは人間の頭部くらいの大きさだったのに、今は胴体くらいの大きさに膨れ上がっていたのだ。




