第一章 第一話
神聖王国があるのは、それほど大きくない島である。
暫く海路を東に向かうと大きな大陸があるのだが、そこへ向かう海路は非常に険しく、その上、海の魔物が支配する土地である。
よっぽど間抜けな船乗りか、よっぽど欲に目が眩んだ船乗りか……そういう連中だけしかこの海路を渡らなかった。
故に神聖王国は本日も平和だった。
……外敵がいないのだ。
周囲の小島を根城にしている海賊もいるのだが、陸上の村々を強襲してくるほどの大勢力でもない。
そして、海の魔物達もまた、陸上へは侵攻して来ない。
だからこそ、神聖王国は非常に平和であり……
士官学校という軍人を育てる機関は、この神聖王国の王都であるサウスタの郊外にある、神聖王国立サウスタ聖騎士学園の一校のみだった。
「……参った」
「そこまでっ!
勝者セブンス!」
闘技場に歓声が響き渡るのを、セブンスは冷めた表情で聞いていた。
さっきまでの対戦相手である教官が、眼前で膝を突き、荒い息を吐いているのを眺める視線も、やはり冷ややかなものだった。
……当然だ。
彼は息一つ切らしていない。
それどころか、汗一つかいていないのだから。
この学園で剣術を指南している教官を相手にしていたというのに、だ。
「流石はセブンス=ウェストエンド様」
「教官まで全く太刀打ち出来ないなんて」
「流石は、学園最強の剣士にして魔術師。
射手にして策士。
……もはや、この学園で学ばれることなんて一つもないですのに」
「ああ。
今日も素敵なお姿」
女生徒達の囁きが耳に入っても、セブンスの表情は動かない。
右手に持っていた剣を振りかぶると何気なく投げる。
練習用の剣とは言え、鋼で出来ているソレを、彼は三十歩以上もある用具入れの中へとあっさりと放り込んでいた。
それを見て、周囲の生徒達がまた騒ぐ。
だが、セブンスは周囲の声を、特に気にする様子もない。
というよりも、この程度の手妻……ちょっとした魔術を使えば。誰にでも出来る程度の小技である。
士官学校に入っている癖に、騒ぐほうがおかしい。
──なによりも、これは自分自身の力という訳でも……
と、セブンスは自分の左手を覆う、黒く禍々しい籠手に目を向ける。
……コレは、契約の証。
彼が彼である……学園最強を誇ることの出来る理由の一つでもある。
彼以外の目から見ると、それは単純に黒いだけの金属製の籠手としか見えない幻術がかけられているのだが。
──何しろコレは……
子供の頃を……その籠手を受け取った頃を思い出し、彼が自分の考えに沈みかけた。
その時、突如背後から声がした。
「素晴らしい投擲ですわね。
ですが、剣術の授業はまだ終わっていませんわ!」
「……っと」
そんな声と共に、突然横殴りの鋼鉄の塊がセブンスを襲う。
その斬撃を、セブンスは上体を動かすだけで難なく躱す。
声をかけてからの攻撃とは言え……その一撃は、とてつもなく鋭い。
常人なら反応も出来ずに死ぬだろうし、訓練を積んだ剣士でも防ぐのがやっと。
セブンスだからこそ難なく躱すことが出来た。
それは、そういうレベルの一撃だった。
「また、お前か」
「……お前って。
いい加減名前くらい覚えなさい!
シェラ=イーストポートですわっ!」
振り返ったセブンスの前には『変な』少女が立っていた。
いや、顔は悪くない。
……顔だけは。
何しろ、その少女は金髪・碧眼の美少女だったのだ。
神聖王国でも、二番目に素晴らしいとされる美少女の組み合わせである。
ちなみに一位は「銀髪・碧眼」で、現在の女王がこれに該当するの……が、その辺りは実のところ王家の支持率を上げるためのプロパガンダで、それに抵抗するレジスタンスが「黒髪黒瞳」を至上として怪文書をばら撒く事件がこの王都サウスタ周辺でも度々起こっていたりする。
……閑話休題。
兎も角、その少女は一言で表すならば『変』だった。
何が変って格好が変なのだ。
髑髏の形をした兜。
悪魔をモチーフにした真っ赤な全身鎧。
邪龍を模った膝までのロングブーツ。
その挙句にどう控えめに見ても呪われている両手剣を手にしている。
背中の黒いマントには神聖王国で『邪悪・上等』を意味する金糸の刺繍が光っている。
「……また今日も悪趣味だな」
その格好を見て、セブンスはため息を吐く。
神聖王国では、銀髪・碧眼で白い翼を持ち、銀の軍衣を来た戦乙女が美の象徴とされる。
シェラの趣味は……控えめに言ったとしても、その対岸にいた。
当然、その格好にはちゃんとした理由があるのだが。
「何処がですか!
美しいではないですかっ!」
セブンスの呟きを耳にしても、胸を張ったまま自信満々にそう叫ぶシェラ。
残念ながらその胸は悪魔の邪悪な顔の後ろに隠されて、形すら確認出来ない。
男子の一部では、そのサイズのトトカルチョが行われているらしい……が、未だに確認出来た人間はいないらしい。
一人の少年が更衣室で確認しようとする暴挙に出て、あばら骨を六本へし折られる『事故』に遭って以降、彼女の胸を確認しようとする勇気のある者は一人も現れていない。
「……で、今日は何の用だ?」
セブンスは少し落ち着きがなく学生寮の方に目を向けた後……仕方なくといった雰囲気でシェラに向き直った。
「セブンス=ウェストエンド!
今日こそ、私と勝負なさい!」
シェラはそう叫ぶや否や、セブンスの返事を待つこともなく、その呪われているような両手剣を軽々と振るう。
彼女の真に恐ろしいところは、これだけの重装備をして、本人の体重を越えるような両手剣を、重量を感じさせない速度で振るうことである。
「っ?」
衣装の趣味は兎も角……彼女はこれでも剣術科次席。
……剣術だけならば、教師を超える技能を持っているのだ。
だが、その軌道を限界で見切ったセブンスは、紙一重のタイミングで前へと踏み込んでいた。
そして、それと同時に身体を反転し、シェラの第二撃を、その手を掴むことで防ぐ。
「はっ!」
ついでにシェラの体勢が崩れていたこともあって、そのまま背負って放り投げる。
武器の重量が大きいこともあって、投げは簡単に決まった。
「きゃああああぁぁぁんげっ!」
セブンスは一切の加減もなく、少女を直下へと『落とす』。
シェラが顔立ちに似合わない、蛙が潰れたような声を上げていたが……セブンスは眉一つ動かすこともない
……素手の人間相手に真剣を、しかも両手剣を振り回す奴には良い薬とくらいにしか思ってないからだ。
そのままセブンスは、振り返りもせずに寮に向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと。
こら、セブンスっ!
待ちなさい。
え、ちょっと……誰か、起こして~!」
背後で情けなくもシェラが悲鳴を上げていたが……彼はもう気にもかけなかった。