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第三章 第七話


「……くっ!」


「いてぇな!」


 自身の攻撃が通用しないという想定外の事態に……一瞬、セブンスの動きが止まってしまう。

 その隙を見過ごしてくれるほど、この赤い悪魔は優しくなかった。

 左の拳を、セブンスめがけて叩き込む。


「ぉおおおおおっ!」


 そこから先はセブンス自身、意識して行った訳ではなかった。

 悪魔の腕に食い込んだままの両手剣の柄を掴むと、振るわれた悪魔の左拳を足で受ける。

 魔力で防御したのだが、あっさりとセブンスのブーツは炎に包まれていた。


 ──ぐっ?


 だけど……それだけだった。

 左脚が炎に包まれる激痛に耐えながらも、セブンスはその拳の勢いを利用して、呪われた両手剣の柄を支点に半回転して、身体を跳ね上げ……


「ぅぉおおおおおおおおおおおっ!」


 その勢いのまま空中で身体を捻ると、柄から左手だけを離して……その漆黒の籠手を両手剣の刃へと、渾身の力で叩きつける!


「ぐぁああああああああぁっっ!」


 右腕に半分食い込んでいた刃に、セブンスの体重+腕力が勢い良く加わったのだ。

 赤い悪魔の頑強な腕とは言え、耐えられるものではなかった。

 その腕が、ゴトンと、鈍い音を立てて床に転がっていた。


「……ぐぅっ!」


 だが、セブンスも無傷とはいかなかった。

 漆黒の籠手に覆われていたとは言え、魔剣の刃に叩きつけた左腕からは勢いよく血が噴き出し始めた上に……

 悪魔の返り血を浴びた右肩が、突然燃え始めたのだのだから。


「……凍れっ!」


 咄嗟にセブンスは氷の魔術を展開して炎を打ち消したものの……出血が止まらない。


 ──あと何度、剣を振える?


 肩から伝わってくる激痛が、彼の意識を奪っていこうとする。

 セブンスは失われようとする意識を必死に繋ぎ止めつつ、呪われたような両手剣を何とか担ぎ……そう自問自答する。

 だけど、正直な話……もう振り上げたり、横薙ぎに払ったり等という、器用な真似は出来そうにない。

 ……いや、出来たとしても、あの悪魔のガードを貫けないだろう。

 ならば、重量を一気にかける上段を。

 それも渾身の一撃に全てを賭けるしか……この場を生き延びる術は、ない。

 そう判断しての、構えだった。


「てめぇっ!

 畜生、覚えてやがれぇっ!」


 ……だけど。

 流石に腕を斬られて形勢が不利と見たのだろう。

 いや、単純に人間如きに深手を負うとは思っていなかった所為で、動揺したのかもしれない。

 赤い悪魔はセブンスを四つの目で睨むと、魔術を展開し、あっさりとその場から姿を消した。


「……つっ」


 敵が目前から消えたことによって、流石のセブンスでも緊張感が途絶えた。

 その結果、先ほどまで耐えていた腕と肩と脚から来る激痛を、再び意識してしまう。

 だが、それでもなお、貴婦人からの「頼みごと」を思い出し……


 ──せめて、それだけ、でも……


 飛びそうになる意識を何とか繋ぎとめつつ、室内の机に視線を向けるセブンスだったが……


「はは」


 机はもう『なかった』。

 ……いや、机だったらしき物は転がっていたが。

 どうやら、あの赤い悪魔の返り血が吹っ飛んで、周囲にあった全ての品は、一瞬の内に燃え尽きてしまったのだろう。

 あの悪魔は腕を賭して、情報を守ったのだ。

 そういう事にしておこう。


「……これは、拙い、な」


 そこで完全に、彼の緊張は途切れてしまっていた。

 何しろ、セブンスを動かしていた目的が完全になくなったのだ。

 その所為か、これ以上、精神力で身体を支えることすら出来なくなり……

セブンスは自分が一瞬、浮かぶ感覚を覚える。

 と、同時に床が近づいてきて……

 彼は、なす術もなく、床へと転がってしまう。

 せめて起き上がろうと身体に力を込めるものの……


「……無理か」


 どう足掻いても……彼の身体はこれ以上動いてくれそうになかった。

 そう判断したセブンスは、立ち上がるのを放棄して同行者に声をかける。


「……動ける、か?」


「……暫くは、無理、ね。」


 少し遠くの壁際で倒れたままの少女からは、そんな、かすれるような声が返ってきた。

 ……どうやら、取りあえずは喋れるくらい回復したらしい。


「あ~。そうか」


「……ええ、残念ながら」


「はっ。ははは」


「ふふふ」


 その情けない有様が可笑しくて……二人は何となく、お互いに笑いあう。

 いや、楽しいというより、生きていたという安堵の笑みが浮かぶのだろう。

 それでも……何となく、お互いに分かり合えた気分になれるから、死線を乗り切った間柄というのは不思議なものだ。


「……これから、どうするつもり、ですか?」


「取りあえず、こっちを窺っている奴に、何とか頼むさ」


 我に返ったシェラの問いに、セブンスはそう呟くと何とか繋ぎとめていた意識を手放していた。

 恐らくはずっと二人の様子を窺っていたのだろう。

 ……悪魔が去ったことに気付いた学園のウェイトレスであり、密偵でもある少女が、こちら目掛けて走ってきていたのだった。




「……なん、だと?」


 ──単独で上位悪魔を撃退。


 その報告を聞いたグリーンは、手にしていた書類全てを落としていた。

 先の大戦中には『一体の上位悪魔が、百人以上の軍勢を退けた』という例が幾つも残っているのだ。

 その上位悪魔を、たった二人で撃退したと考えると……

 実際、下位悪魔ですら、最高の装備を整えたとしても、グリーンなら単独で戦うことを躊躇うだろう。

 尤も……近衛騎士団団長であるゴールドの聖剣・魔剣の双剣ならば何とかなるかもしれないが、生憎とグリーンの持つ小さな魔剣『背断ち』では……少しばかり心もとない。


 ──決定的だ。


 あの少年は、王国として敵に回してはいけない人物だ。

 ……勇者アズマと近衛騎士団団長ゴールドに匹敵する、王国最強クラスの、戦闘能力の持ち主。


「うちの娘で満足してくれるなら、喜んでくれてやるんだが……」


 そう呟いたグリーンは、大きなため息を一つ吐く。

 彼の義理の娘は、男手一つで育てた所為か……身体つきは兎も角、言動に色気の欠片も感じられない。

 しかも、化粧よりもナイフ投げ、衣装よりも変装に興味を示すあの娘で、王国が救える人材を満足させるとは、とても思えなかった。


「……お嬢様を餌にする訳にもいかないし」


 高貴にて類稀なる美貌を持つシェラ=イーストポートならまだ望みがあるかもしれないが……団長がアレである。

 ……どうしようもない、だろう。


「……はぁ」


 そこまで考えたグリーンは、もう一度ため息を大きく吐き出していた。

 士官学校を主席で卒業すれば、ほぼ確実に近衛騎士団に入団することになる。

 ……取りあえず、それで我慢しておこう。

 悪魔と敵対したということは、反逆者……即ち、悪魔と契約を行い、悪魔の力を得て悪魔の味方をする連中……という線はないという事だろうが。


 ──しかし。


 頭の何処かで、ふと引っかかるのだ。

 ……ウェストエンドという、その家名に。


「……いや、今はそれどころじゃないな」


 だが……グリーンはそう呟いて首を左右に振ると、気分を切り替えていた。

 彼にとって、そんな幽かなひっかかりよりも、目の前に山のように積まれている書類が……王都で最近活発になってきている悪魔と反逆者達の活動に関する報告書の方が大切だったのだから。




「はははは」


 報告を聞いた喪服姿の貴婦人は、珍しく大きな笑い声をあげていた。


「思っていたとおりだよ、セブンス!

 お前は私の最高傑作だっ!」


 貴婦人は昔を思い出した笑う。

 ……まだ片腕を失ったばかりの頃。

 矢に貫かれ動かない白い兎を抱え、泣いていた子供のことを。

 そして……その少年と交わした約束を。

 あれから、幾つもの事を少年に教えた。

 魔術の使い方、構成の組み方、体術・剣術・弓術・心得から知識まで。

 当然のことながら、全て『悪魔流』のやり方だったが。

 どれもこれも、彼女を恩人と敬う少年は、砂が水を吸い込むようにそれらの知識を吸収し、驚くべき速度で我が物としたのだ。


「お前も嬉しいだろう。

 ……なぁ、我が子よ?」


 貴婦人はその大きくなったままの腹へと話しかける。

 ……そこには、未だに眠ったままの彼女の子が入っていた。

 この子の存在を認識してから既に数年が経過したが、未だに生まれてくる兆候はない。

 悪魔の妊娠期間は、人間のそれとはかなりかけ離れている。

 その上……なるべくこの子を強く育てるため、彼女は魔力の全てを子供のために費やしていたのだ。

 この子供が……次代の魔王が、最強と名高い存在となるために。


「……もうすぐ、お前の騎士が誕生する。

 お前も、そろそろ出てきて良い頃だぞ?」


 黒木ドレスを纏った彼女は、穏やかな声でそう腹へと語りかける。

 彼女の目は、神聖エレステアの女神像の残骸が持ったままの、一本の剣に向けられていた。

 その剣は、彼女自身が失った右腕から作り出した、新たな魔剣。


「……本当に楽しみだよ、セブンス」


 貴婦人の微笑みは、夜の教会の中に静かに溶けていったのだった。


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