第三章 第四話
──ほぉ。
平然と建物内へと入ってくるセブンスの気配を背中で察しながら、グリーンは少しだけ感心していた。
子供の頃からこの詰所を遊び場としていたシェラは兎も角……セブンスはこの宿舎に入るのは初めての筈である。
しかも、周囲は武装した近衛兵だらけの上……自分には嫌疑がかけられているかもしれないというのに、その足取りは全く動じた様子がない。
──コレは……よっぽど度胸が良いか。
それとも鈍感か鉄面皮か、もしくは罰せられないことに絶対の自信を持っているか。
その三択の答えを前に……グリーンは少しだけ悩む。
少年という若さから来る無謀な度胸なら、あまり歓迎できる人材ではない。
だが、まだ彼は若いのだ。
歳を取って落ち着けば……素晴らしい人材になり得る、かもしれない。
──もしも鉄面皮だというのなら……
それはそれで、ここまで表情を面に出さないというのも……ある意味では指揮官としての稀有な才能と言える。
……学校の成績を見る限り、自分の置かれた立場が理解出来ないほど鈍感ではないだろう。
──だが、自分の状況を理解した上で罰せられないことに絶対の自信があるというのなら……。
その場合は最悪だ。
……いや。
もしも勇者ガルキスを失脚させた時点でそこまで計算して行動しているのであれば……
──何としてもコイツを味方につけないと、将来、最悪の敵になりかねない。
近衛騎士団団員であるグリーンは気付かれないように背後の少年を窺いつつ、そんなことを考え始める。
一体一で勇者を下したという、学生レベルでは完全に規格外とも言えるこの少年を、どうやって味方に……近衛騎士団に入れるべきか、と。
だけど……生憎と近衛騎士団の詰所は団長の性格上、入り口に近い位置に団長室は存在していた。
彼が考えをまとめる間もなく、目的地についてしまったのである。
「……お連れしました」
「よし、通せ」
ドアの向こう側……団長室からは不機嫌さを隠そうともしない、ゴールドの声が響いてくる。
珍しく殺気混じりのその声に、グリーンはふと祈る。
──団長と彼を引き合わせるこの行為が、後々神聖王国にとって最大の災禍を招く行為になりませんように。
そう祈りつつ、グリーンはドアを開け、ドアの傍らに立ち……
「どうぞ。」
と、セブンスに声をかける。
──さて、この少年はどう動くかな?
祈っても仕方ないのが分かった所為か、結局グリーンは期待半分不安半分の面持ちで、少年の動向を見守ることにした。
……だけど。
セブンスは立ち止まったまま、動こうとしない。
「……どうしたのよ?」
隣に並んでいたシェラは、そんなセブンスの行動に何も感じていないのか、それとも通い慣れた場所である所為か……平気で団長室に入っていこうとして……
「ぐぇっ!」
次の瞬間、セブンスに襟首をつかまれ、蛙が潰れたような声を出す。
「……っ!」
だけど……そんな同級生の突然の暴挙に対して、シェラが文句を言うことはなかった。
何故ならば、彼女の顔面数ミリのところを……『真剣』が通り過ぎていったからだ。
そのまま真剣は石造りの壁をバターのように軽々と貫き、柄のところが引っかかって止まる。
その切れ味から察するに、その投げつけられた剣は……恐らくは魔剣の類、だろう。
──何を考えているんだ、ゴールドっ?
近衛騎士団長の暴挙にグリーンは慌てて場を取り繕うと口を開くものの……
結局、彼の声が発せられることはなかった。
「……な、な、何を考えていますのっ! 父様っっっ!」
「げぇっ?
シェ、シェラ?
一体、お前が、何故、ここに?」
何しろ、実の父親から殺されかけたシェラの抗議が、グリーンが声を上げるよりも先に、室内から剣を投げつけた近衛騎士団団長に向けられていたのだから。
その剣幕にあっさりと気圧された、部下からは鬼と名高いゴールド=イーストポートは……情けなくも、実の娘の怒声を甘んじて受けている。
まぁ、仕方ない、だろう。
グリーンは眼前の馬鹿馬鹿しい親子喧嘩を仲裁する気すら起こらず、ただ肩を竦めていた。
──しかし、コイツ。
──さっきの一撃に、気付いていたのか?
そして、グリーンの注意はすぐにそんな室内の様子よりも……静かな目で室内の喧騒を眺めている目の前の少年に向けられる。
──本当に貴族か、コイツ?
普通の環境で育てられたただの少年が、不意に攻撃されることに慣れている筈がない。
幾ら学園で訓練を受けたとは言え……たったの二・三年程度で平和な時代で育った貴族に、常時戦場という心構えが身に着く筈がない。
──この展開を読んでいたか、もしくは何らかの方法で察知したか。
……どちらにしても。
そろそろ少年に注意を払っている場合じゃなくなった。
取りあえず、シェラ=イーストポートが真剣を抜いた以上、親子喧嘩が刃傷沙汰になる前に止めなければならない。
近衛騎士団団長であるゴールド=イーストポートの護衛というのが、先の魔王との大戦のとき以来のグリーンの役割なのだから。
「……話は理解した」
渋々と、と言った風情で、近衛騎士団団長は声を絞り出した。
先ほどまで、セブンス=ウェストエンドの諮問をしていたのだが……
──むかつく餓鬼だな、コイツ。
それが、少年の返答を聞いたゴールドの感じた、素直な印象だった。
腹立つほど、筋が通っているのだ。
──自分の技量を知りたくて、高名な勇者に喧嘩を吹っかけてみた。
──周囲で賭け事が行われていたのは知らなかったし、それで暴動が起こることまでは予想出来ませんでした、だと?
……白々しいこと、この上ない。
だが、若くて腕に自信がある奴なら、そんな無茶をしてみたくなっても不思議はないだろう。
事実、そういうゴールドも……色々とやらかした記憶がある。
ここでセブンスを重く罰せば、ゴールド自身の武勇譚の幾つかを……彼が近衛騎士団の団長を務めることになった、その手柄の数々を、彼自身の手で否定することになってしまうだろう。
何よりも……こうして何故かシェラが彼の弁護に来ている以上、下手に重い刑罰を科せば、明日から娘が口を利いてくれなくなる危険性があった。
──だが……
それでも……彼が王都の治安を乱したのは事実である。
何らかの奉仕活動くらいは課さなければ、近衛騎士団として示しがつかないのも事実だ。
──最低でも、治安維持活動として、夜の街見回りくらいが妥当か?
近衛騎士団団長が、律法にはない類の審判を、セブンスに下そうと、口を開く。
……その時、だった。
「……ですが」
突如、今まで問われたことにしか答えなかった、寡黙に見えた士官学校の少年が、自ら口を開いたのだ。
「この王都の治安を自分が乱したのは事実です。
ですので、一つの奉仕活動として……自分が近衛騎士団の仕事を一つ、任されたいと思います」
──この餓鬼っ!
──先手を打ちやがったっ!
ゴールドは忌々しい思いで、目の前の少年を睨みつけていた。
これでは自分の考えた罰則よりも軽い使役で済んでしまう。
ついでに言えば、彼の背後に控えていたグリーンが感心したような声を上げているのも忌々しい。
だが、何より忌々しいのは、セブンス=ウェストエンドの隣にいるシェラが、彼を尊敬の視線で眺めていることだっ!
「……自分が手にした情報では、王都でまた、未攻略の迷宮が一つ発見されたそうで」
「てめぇ! 何処でそれをっ!」
今度こそ、黙っていられない発言だった。
迷宮の情報管理は近衛騎士団の内部でも極秘に近い。
紛れもなく……一介の士官学校の学生程度に知れる情報ではない。
何よりゴールド自身、その手の情報を喜ぶ愛娘のシェラにすらまだ教えていない……本当の極秘情報だったのだから。
「勇者ガルキスが、酒の勢いで騒いでいるのを聞いたので」
「……ちっ!」
しれっと答えるセブンスの声を聞いて、ゴールドは舌打ちする。
確かに勇者なら知っているだろう。
勇者と呼ばれる連中に迷宮攻略を推奨しているのは他ならぬ彼自身なのだから。
──だが、酒の席でそれを喋るか?
……喋るだろうな。
勇者と呼ばれていた、ガルキスとその一味が起こした数々の不祥事を思い返し、自問自答していたゴールドはため息を一つ吐く。
「ちょっと待て。
君が、人を集めて、未踏破の迷宮を、攻略しようと言うのか?」
ゴールドがため息を吐いたことで、質問が途絶えたのを見計らったのだろう。
副団長であり彼の親友でもあるグリーンが後ろから割り込んできて、セブンスにそう尋ねてきた。
確かに、今考えるべきは情報の発信源ではなく……彼がどういう意図で迷宮の話を振ってきたか、だろう。
──攻略のための、金を寄越せ、か。
──いや、近衛騎士団を指揮してみたい、などと言い出すかも、な。
眼前の少年を睨みつけながら、ゴールドはそう当たりを付ける。
──さぁ、欲しがるのは金銭か、それとも権勢か。
──どちらにしろ……これでこの餓鬼の人となりが分かるってもんだ。
だけど……副団長の問いに答えた少年の言葉は、ゴールドの予想をあっさりと裏切っていた。
「……いえ。
私一人で十分ですので」
「……面白れぇっ!」
今度こそ、ゴールドは獰猛な笑いを隠せなかった。
──たかが一介の士官学校生が、迷宮を一人で攻略するだと?
……そう。
迷宮という存在は早い話が悪魔の住処であり、罠が無数に存在し、悪魔の手下がうじゃうじゃと生息する、地獄のような場所である。
ベテランの勇者でも数人がかりで、しかも何日もかけて挑むのが普通である。
勿論、規模にもよるのだが……それでも、この新たな迷宮は、ゴールドが近衛騎士団を数十人派遣して、十日ほどかけて攻略しようと考えていたところである。
……それを、この餓鬼は、たった一人で攻略してみせると言いやがったのだ。
「よし、任せたっ!
やってみせろっ!」
失敗して泣き面見せるのを期待しつつ、ゴールドはそう怒鳴り声で許可を出す。
──どうせ、早々に近衛騎士団の内定でも貰いたかったのだろうが……
──若さゆえに、先走ったな。
こうして、欲をかいて実力以上の仕事を名乗り出てくるような若い連中を、ゴールドは何度も見てきたのだ。
かく言うゴールド自身も「そんな若者」だったこともあり……そういう連中の心理はよく理解出来ていた。
勿論……それくらいの覇気のある連中でなければ、悪魔との戦闘が度々発生する、王国で最も激務と言われる、この近衛騎士団の団員は務まらないのだが。
──この餓鬼は、何か気に食わん。
……先日目にした、あの報告書の所為だろうか。
王都の治安を守る筈の近衛騎士団団長は、将来の団員としての人材を見い出し育成することよりも、その感情を優先してしまったのである。
……だけど。
ゴールドは一つ誤算をしていた。
セブンス=ウェストエンドの隣にいた、一人の少女の存在を……。
「父様っ!
私も、ついて、行きますわっ!」
今まで静まり返っていた少女のその発言は……近衛騎士団団長と副団長二人の思考を停止させるのに、十分な威力を持っていたのだった。




