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第三章 第三話



「……っつっ?」


 ミミちゃんと自分だけの幸せな空間を夢見ていたセブンスを現実に引き戻したのは、大きな馬車の揺れだった。

 ……どうやら、彼が乗っている馬車が拳大ほどの石に乗り上げたらしい。


「ああ、そうか」


 そして目覚めた彼は、瞬きを二つするだけで、今、自分が何をしているかを思い出していた。

 起きてすぐに現状を把握する習慣は、あの貴婦人からセブンスが真っ先に叩きこまれた戦闘技能である。

 むしろ今日は、「瞬き二つもの時間を要するほど気が緩んでいた」と言えるだろう。


 ──さて。


 近衛騎士団詰め所へ向かっていながらも、セブンスの関心は既に近衛騎士団にはなかった。

 そんなことよりも……彼はどうやってこの下らない呼び出しをさっさと終えて、あの貴婦人の『頼みごと』をこなそうか、それだけを考えていたのである。

 ……そう。

 あれは、昨日の晩。

 ミミちゃんを通じた呼び出しに、いつものように神聖エレステア教会まで足を運んだ時のことだった。




「迷宮……ですか?」


「ああ。

 最近、人間たちに位置を特定された部下の拠点が、一つあってな」


 片腕の貴婦人は、気怠そうな雰囲気を隠そうともせず、眼前に控えたセブンスに向けてそう話す。


「いや、拠点としてはそれほど大事なモノではない。

 ただ『骸骨兵』を量産する程度の迷宮で、大規模な戦闘の予定のない今では、もう利用価値すらない場所でしかない」


「それが、どうかしましたか?」


 話を聞いていたセブンスは、今ひとつ話の趣旨が掴めず、不遜と思いつつも尋ね直す。

 尤も、その問いを不遜だと思ったのはセブンスのみで……漆黒のドレスを纏ったままの貴婦人は、セブンスの問いを聞いても眉一つ動かそうともしなかった。

 この貴婦人との「契約」は、セブンスが礼儀作法すら知らなかった子供の頃から続いているのだ。

 ……今さらその程度でどうにかなるものでもない。


「いや、迷宮そのものには大した価値などなくとも……その拠点には王都の地図があるのだ。

 王都中の迷宮を印した、そんな厄介な地図がな。

 ……ったく、あの馬鹿が」


 貴婦人の声色が、少し面倒そうな声で毒づく。

 ちなみに、彼女は力こそ至上と考え、人間を隠したと見下すのが常の悪魔でありながら……情報と策略を重んじる、珍しいタイプの悪魔だった。

 そして、それを部下達に徹底しようとしていた。

 だけど、彼女の部たちは未だに人間を侮ってばかりで……その試みは上手く行っているとは言い難い。


「あ~。そこでだ。

 ……お前に頼みがあるのだ」


「他の人間よりも先に、その地図とやらを消失させれば宜しいのですね?」


 話の流れが見えたセブンスは、喪服の夫人の『頼みごと』を先んじる。

 情報を重んじる思考を持つ……言うならば『言葉が通じる』部下の存在が、よほど嬉しかったのだろう。

 漆黒の貴婦人は、珍しく愉快そうな声をあげる。


「ははは。

 流石はセブンス……話が早い。

 手段は問わない。これがその迷宮の位置を示した地図になる」

 

 貴婦人の左手が上がると共に、彼女の後ろに控えていた淫魔が、スキップしながら近づいてきて、地図をセブンスに手渡す。

 それどころか、地図を手渡した時に、彼の手を撫で上げると……


「ねぇん?

 ……これから、暇ぁ?」


 などと耳元で囁いて来る始末である。

 さっきまでの二人のやり取りを全く聞いていないのだろう。

 もしくは……その地図が人間の手に渡ることの重要性を、全く理解出来ていないのかもしれない。

 とは言え、セブンスが彼女を振り払う必要はなかった。


「この、阿呆が!」


 セブンスが返事をするより先に、苛立ちを吐き捨てた黒衣の貴婦人は、軽く左手を突出し……ただそれだけで、その淫魔は重力を忘れたかのように吹っ飛んでいた。

 遮るもののない教会を縦断し……石造りの壁まで、一直線に。


「きゅ~」


 とは言え、淫魔という存在は……思考能力が少しアレなところはあるものの、一応は下級の悪魔である。

 常人なら受け身も取れずに死を迎えているだろうあの一撃を受けたというのに、遠目で見る限り、彼女は怪我すら負っていない。

 尤も、衝撃に目を回しているようだったが……


 ──なら、問題はない、か。


 そう確認を終えたセブンスは、床に伏したままの淫魔からあっさりと興味を無くすと、視線を貴婦人へと戻す。


「みっともないところを見せた。

 生憎と……アレ以外の部下は殆ど出払っていて、な」


「……いえ」


 貴婦人の言葉に、セブンスは頭を軽く下げると、教会を後にする。

 背後の教会から、叱責の声と泣きながら弁明する声が響いていたが……彼の興味は既に自室のミミちゃんに移っていて、彼の意識には届かなかったのだった。




「着きましたわ」


 セブンスを回想から引き戻したのは、同乗者であるシェラ=イーストポートの声だった。

 ……その声は少しだけ不機嫌そうだった。

 まぁ、せっかく二人きりの旅だったのに、当のセブンスはさっさと寝入ってしまい、会話らしい会話も出来なかったのだから……彼女が不機嫌なのも仕方ないのだろう。

 尤も、現実としては御者も同じ馬車に乗っており、シェラの考えていた「二人きりの空間」なんてものは、彼女の幸せな脳みその中にしか存在していなかったのだけど。


 ──ここが、近衛騎士団の詰所。

 ──悪魔の……あの御方の、敵の巣窟、か。


 セブンスはそんな感慨を抱きながら眼前の建物を睨みつけるものの……


 ──拍子抜け、だな。


 その眼前の建物のみすぼらしさに、すぐ肩から力を抜いていた。

 ……そう。

 彼らの眼前の建物……近衛騎士団の詰所というのは、意外に貧相な建物だったのだ。

 勿論、百人を超える近衛騎士団全員を収納できるほどの大きな石造りの建物ではあるのだが……


「そう思うのは仕方ありませんわ。

 ここも、何度も悪魔の襲撃を受け、その度に修繕をしているものですから……」


 眼前の建物に同行者がどんな感想を抱いたのかを察したのだろう。

 近衛騎士団長の娘であるシェラ=イーストポートがそう弁明をするものの……


 ──だから、この有様、か。


 眼前の建物は、壊れる度に早急な復旧を目指し……粗雑な直し方をしたのだろう。

 継ぎ接ぎのパッチワークのように、色の違う箇所があちこちに存在している。

 外観よりも早く機能を取り戻そうとした結果なのだろうが、まだ板切れを打ち付けただけの箇所もあり……

 その有様は、この王国が第六魔王の引き起こした戦禍から未だに立ち直っておらず、木江騎士団ですらまるで予算が全く足りていない現状を表しているようにも見えた。


「二人とも、こちらへ」


 そろそろ頃合いだと考えたのだろう。

 二人の乗って来た馬車で御者を務めていた男……次期近衛騎士団員最有力候補を観察したいと自ら願い出た近衛騎士団副団長のグリーン=ウッドリーフが、二人を先導して歩き出した。

 門番らしき男性は、グリーンの顔を見て一つ敬礼した後、ドアを開く。

 それに軽く頷くと、彼は背後の二人についてくるように促すと、宿舎内に入って行く。


「……ああ」


「分かりましたわ」


 その後ろについて、セブンスはシェラと共に歩き出したのだった。


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