第三章 第二話
「まだまだぁ!」
「……っと」
修練場に、鋼がぶつかる音が響き渡る。
それを幾度か繰り返し、好機を見つけたセブンス=ウェストエンドは、自分の頭蓋を叩き割ろうと迫ってくる鋼の塊を、難なく身を屈めて避けてみせた。
「よっ」
その回避動作と同時に、弧を描くように足払いを放つ。
「んきゃ!」
ただそれだけで、酷く悪趣味な重装備をした少女……シェラ=イーストポートは大地に叩きつけられ、その重量故に起き上がれなくなってしまう。
……これで、本日も勝負あり、である。
「……ふぅ」
少しだけ疲労を感じたセブンスは、知らず知らずの内に息を大きく吐き出していた。
目の前で起き上がろうともがいている少女の相手も、段々きつくなってきたのだ。
シェラの腕が上がってきたというよりは、自分の動き方を覚えられてきたという感じなのだが。
「おい、セブンス=ウェストエンド!」
そんな時だった。
剣術科の教官がいきなり彼を呼び止めてくる。
その声は、普段の通りの野太い声だったのだが、微妙に戸惑いやら恐れが混じっているように聞こえ……
──何か、あったか?
そんな教官の様子に、セブンスは少しだけ身構える。
実際、平然と法を踏みにじる彼にとっても……面倒事は御免だった。
これから、彼の主たる貴婦人の『頼みごと』を一件こなそうと思っていたのだから。
「近衛騎士団団長がお呼びだそうだ。
至急、王都の詰め所に来いとのことらしい。
……貴様、一体何をやらかしたんだ?」
……教官の問いは尤もだった。
実際、近衛騎士団は『魔族の鎮圧』や『迷宮の安全確保』が主な仕事ではあるが……他にも王都内の凶悪犯罪者の逮捕や、悪魔と契約した反逆者の捕縛、騎士や貴族の中での犯罪者を取り締まる仕事なんかも行っている。
神聖王国立サウスタ聖騎士学園の生徒が呼び出されるなんて、十年に一度あるかないかと珍事なのだ。
「いや、特には」
セブンスはそう告げて肩をすくめることで、教官の追及を誤魔化していた。
だけど……その呼び出しについては、何となく想像はついていた。
恐らく……数日前に彼がやらかした、勇者を再起不能に叩き込んだ一件だろう。
とは言え、聖剣まで持っていたほどの勇者が、学生に負けたからって訴え出るような、そんな恥知らずな真似が出来る訳がない。
結局、騒ぎを起こした手前、適当に罰則を与えておかないと、近衛騎士団の面子に関わると判断されたに違いない。
──ちっ、面倒な。
そう考えると……街中で喧嘩をした一件を咎められ、厳重注意とか言われる程度で済むだろう。
だけど……面倒だからと断る訳にもいかない。
……相手は王国内でも最強と名高い、近衛騎士団なのだから。
「……分かりました」
「迎えの馬車が来ているぞ。
本当に何をやらかしたんだ、お前は?」
教官が零したその言葉に、セブンスは驚きを隠せない。
召喚状だけではなく、迎えまで来ている。
という事は、かなり興味を持たれているという事かもしれない。
──面倒なことにならなければ良いのだけどな。
セブンスが、そんな事を考えつつ、士官学校正門へ向かおうとした時だった。
「父様がセブンス=ウェストエンドを?
私もいきます!」
突然、さっきまで裏返しの亀の子同然だったシェラ=イーストポートがそう叫んだのだ。
……未だに起き上がれない、情けない恰好のままで。
「……何故、お前まで来たんだ?」
馬車の中、セブンスは少し意外そうな声色で、シェラに尋ねてみた。
だが、シェラからしてみればそれは当然の行為だった。
何と言っても彼女の父は近衛騎士団団長である。
……しかも、娘には思いっきり甘い。
だから、あまり厳重な罰を言い渡された場合、彼女は何とかセブンスを庇ってあげようと思っていたのだ。
それは、思いっきり父親を職権乱用に誘う行為なのだが……シェラ自身は、それを悪い行動と認識すらしていなかった。
……彼女はお嬢様として育てられた所為で、職権乱用を当然と考えている節があった。
「……ま、良いけどな」
そんなシェラの気遣いに気付かないまま、セブンスはそう肩を竦めると……目を閉じて眠り始める。
これが終わった後の『頼みごと』に向けて体力を温存しようと思ったのだ。
「……はぁ」
そんなセブンスの寝顔に、シェラはため息を一つ吐いていた。
ほぼ毎日格闘訓練をやっているというのに、その顔には切り傷や痣一つ見当たらない。
……どころか、何も考えてないと疑いたくなるような平和な寝顔である。
──相変わらず、鈍い人ですわね。
実際、シェラ=イーストポートという少女は、目の前の少年に酷い目に遭わされっぱなしである。
一番最初は、剣術の稽古の時だった。
入学して早々に『教官を打ち負かす』という偉業を達成したのが、セブンス=ウェストエンドという少年と、シェラ=イーストポートという少女であった。
シェラは近衛騎士団団長である父親譲りの才能と、幼少の頃から騎士団全員から色々と鍛錬させられていたのだ。
……当然と言えば当然の結果だった。
学園の教官なぞ、所詮は一戦を退き、衰え始めた程度の腕しか持たぬ相手なのだから。
そして……そんな彼女は当然のことながら、剣術科でトップの成績で卒業し、近衛騎士団に入団してみせ、そして近衛騎士団を牛耳る。
そんな、細やかな野望を抱いていたのだ。
……だけど。
それを一瞬で砕いたのが、目の前で平和そうな寝顔を見せている少年……セブンス=ウェストエンドである。
あの時は屈辱だった。
ただの一合も打ち合えず、シェラはあっさりと大の字で寝転ぶ羽目に陥ったのだから。
そして、夢を砕かれたシェラは考え直した。
父様とグリーンおじ様の二人みたいに、自分とセブンス……二人で近衛騎士団を引っ張っていこうと。
だから、次に会った時に言ったのだ。
「お互いに、背中を任せられる相手になりましょう」…・・と。
……加えるならば、顔を真っ赤にしながら、掠れた声で。
それは……彼女なりの告白だった。
とは言え、それが告白と理解できたのは……その場面を眺めていた、群衆の後ろに紛れ込んでいた、シェラとの付き合いが長かったリスただ一人だけだったのだが……。
「……誰だ、お前?」
告白の結果は……はっきり言って好き嫌い以前の問題だった。
目の前の少年は、『シェラの顔すら覚えていなかった』のだから。
……その日から、彼女の中で全てが一変する。
あっさりと告白を一蹴されたシェラは……その日の晩に泣き腫らし……翌日から服装をガラリと変えた。
……純白の神聖さと高貴さを併せ持つ服飾から、真っ黒で真っ赤な、邪悪さと印象強さを重んじる服飾へ。
士官学校に一定数存在する『シェラ親衛隊』を名乗る連中に言わせれば……「白い天使が、黒い悪魔に堕ちた瞬間」である。
そうした努力と、度重なる挑戦の甲斐あってか、セブンスはシェラの顔くらいは覚えたみたいなのだが。
「ミミちゃ~ん」
「……はぁ」
セブンスの寝言に、シェラはため息を一つ吐く。
シェラ=イーストポートは、自分がこれから辿ることとなりそうな茨の道がまだまだ続きそうな予感に、窓の外へ視線を逸らした。
同乗者が眠りっぱなしで全く喋ろうとしないこの旅路は、どう言葉を飾っても快適な旅とは言えず……
どうやら王都まで……まだまだ長い旅路が続きそうだったのだ。




