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第二章 第六話


「……おいおいおいっ!」


 信じられない思いでそう呟いたのは、野次馬ばかりではない。

 密偵としての訓練を積んだリス自身もその一人だったのだ。

 ……そう。

 彼女の眼前で行われた、学生と勇者という格の違いすぎるその勝負は……僅かに数瞬の出来事だった。

 そして……その短時間に一体何が起こったのかを理解した人間は……それほどいないだろう。


 ──この目で見ても、信じられ、ない。


 首を左右に振りながら、リスはさっきの戦いを思い出す。

 まず、先手必勝とばかりに勇者ガルキスが振るった三度の斬撃を、セブンスは体捌きだけであっさりと躱す。

 ただの餓鬼に自身の斬撃を躱され、ムキになったのだろう。

 激昂した勇者の、少し大振りの一撃が、セブンスの脳天目掛け振り下ろされたと同時に。

 その一撃を完全に見切っていたセブンスは、右手の剣を振りかぶりその軌道上へと叩きつける。

 絶妙のタイミングと角度で放たれた彼の剣は、ガルキスの長剣の一撃をあっさりと受け流し……そのままの勢いで彼は間合いを詰め、非常にも勇者の股間を膝で強打したのだ。


「ほ、ふぉっ?」


 激痛によって動きを止めたばかりか、情けなくも股間を押さえて前かがみになったガルキスの後頭部に、ダメ押しとばかりにセブンスは左手の籠手を叩き付け……

 ……そして、今の現状がある。


 ──こんなにも、強かったのか、コイツ。


 学生を相手にするところしか見ていなかったリスは、勇者を一方的に下した『学園最強』の実力に、目を見開くことしか出来なかった。


「……何が、起こったんだ?」


「……見えたか、今の?」


 そうして困惑を隠せない野次馬たちの見守る中、学生は優雅に剣を鞘に戻し……

 その足元に這いつくばったままの勇者は、股間を押さえた格好で気絶している。


「何を、どうしたんだよ、アイツ」


「馬鹿か。

 結果は……見れば分かるだろうが」


 決闘のやり取りを目に負えなかった観衆達からしても……その勝敗はまさに『一目瞭然』だった。

 最初の斬撃が僅かにかすっていたのだろう。

 セブンスの頬からは少しだけ血が流れていたものの、その勝敗に異論を挟む人間は一人としていなかった。


「剣士であり、闘士でもある分、セブンスの方が戦力の幅が広かったって訳、か」


 静まり返った路地に、リスのその一言が響く。

 その言葉で我に返ったのだろう。

 勇者の敗北というあり得ない事態に呆然としていた周囲に、火がついた。


「てめぇ! それでも勇者か!」


「屑が! 雑魚ばっかり相手にしてたんだろうが!」


 賭け金をすった観客たちは、当たり前のようにヒートアップして騒ぎ出す。

 コップやら酒樽やらが飛び交い、倒れている勇者を強打する。


「今まで偉そうな顔してくれたなっ!」


「どうせ、口先だけの屑なんだろうがっ!」


 それどころか、倒れている勇者を庇おうとした仲間達までもが袋叩きに遭っている。

 彼らは槍や短剣を手にしていたし、一人は呪文を唱えるだけで人を殺す異質の存在……魔術師だった。

 だけど……賭けに負けた怒りで動いている所為か、みんな殺気立っていて……見境いがなくなっているらしい。

 勇者の仲間達も、自分達のリーダーがあっさりとのされたのを見て、反応が鈍かった所為もあり……既に防御で手一杯になっている。


「あ~あ。

 ……ありゃ、もう二度とこの街は歩けないな」


 リスはそんな様子を見て笑う。

 彼らのその有様を、欠片も可哀想とは思わない。

 力だけで大きな顔をしていた連中は、力で敗れればああなるのが必然である。

 ……まさに、自業自得、と言うヤツだ。


「……さてと」


 リスは、騒ぎから目を離し、調査対象を探す。


「って、あれ?」


 目の前の大乱闘を引き起こした原因である筈の、『学園最強』ことセブンス=ウェストエンドは、騒ぎのど真ん中にいたにも関わらず、早くもその姿を消していた。

 どうやら彼は、戦いばかりではなく逃げ足さえも、とてつもなく早いらしい。


「……ま、今日はもう良いか」


 流石のセブンスでも、あれだけ騒げば気が済んだだろう。

 もう寮に帰って寝るだけの筈だ。

 ……そんなのを見ても面白いとは思えない。

 どうせこの仕事は……あの娘バカと名高い近衛騎士団団長が、仕事に集中できるようにと、リスの義父が命じているだけの、適当な仕事に過ぎないのだから。


「ふぁぁあ。私も、もう帰って寝るとするかな」


 リスは、密偵にあるまじき言葉を放つと、足を士官学校に向けて運び始めた。


 ──ちょっとした小遣いも手に入れたし、ね。


 ……その手でさっき稼いだ金貨を弾きながら、妙に浮かれた足取りで。

 ついでに彼女は意識をしていなかったものの……彼女が浮かれていたのは、調査対象である少年の、士官学校では見せない一面というのを見た、というのも理由の一つだった。

 『学園最強』と呼ばれる優等生の、誰も知らない自分だけが知っている顔ってのが……彼女にしてみれば、妙に気分良かったのだろう。




 そして。

 そんな騒ぎを遠くから見つめる、六つの瞳があった。


「……ふふ。どうだ。言ったとおりだろう?」


 教会の廃墟。

 遠見の魔術でその光景を覗いていた貴婦人が、隣の人影に愉快そうな声をかける。


「けっ。面白くねぇ!」


 喪服を纏った貴婦人の隣の人影……真っ赤な色をした四つの目を持つ悪魔は、そう叫ぶと近くの長椅子を殴り壊す。

 砕けた長椅子は、真っ赤な悪魔の魔力によって、あっさりと炎上、炭化して果てる。


「大体、人間なんざ、何処まで信用できるってんだよ!」


 赤い悪魔が叫ぶ。

 だが、黒衣の女性はそれに動じた様子もなく……


「よく言う。

 ……我らが同胞にも、何処まで信用できるか分からない輩が多いではないか?」


 貴婦人は、同胞たる真っ赤な悪魔を面白そうに眺めて、そう呟く。


「ちっ」


 その言葉は的を射ていたのだろう。

 赤い悪魔は舌打ちをし、近くにあったもう一つの長椅子を、今度は蹴り砕くと……さっさと姿を消していた。


「さて。

 ……そろそろ忙しくなってくるな」


 黒衣の貴婦人は誰もいなくなった虚空へとそう呟くと……己の腹を愛しそうに撫でたのだった。


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