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第二章 第五話



「……お。不良発見」


 リスは、『正義の迷路』亭の外から、そんなセブンスの様子を観察していた。

 一応、神聖王国立サウスタ聖騎士学園の学園内・寮内での飲酒は禁止されている。

 それもこれも一時代昔の、リスの義父が学生の頃……学園内・寮内において酒の勢いによる恋愛沙汰・刃傷沙汰が度々発生し、収拾がつかなくなったからだ。

 その騒ぎの発端に、リスの義父が主に関わっていたのだが……彼女はそれを知る由もなく。

 閑話休題。

 兎も角、そういう経緯もあり……学園内での飲酒は禁じられている。

 ……一応、名目上は。

 実際のところは、それほど厳密な規則でもない。

 入学するのに年齢制限のない学校である上に、貴族に連なる人間が殆どなのだ。

 罰則なんて在って無きが如きであるのが現実だった。

 だけど、規則は規則。

 である以上、それを無視する人間は不良と呼ばれて当然なのは事実であり……


 ──優等生、深夜に寮を抜け出し、酒場でガス抜きか──


 さっそくリスが嬉々として報告書に書き込む内容を編集していた時だった。


「って、おいおい」


 肝心のセブンスは、息抜きのための筈のその酒に……口をつけさえしなかった。

 それどころか、酒を持って何か人相の悪そうなおっさんに近づいたかと思うと……


「ほら、おっさん。

 酒が、好きなんだろう?」


 そのおっさんに、親切にも酒を飲ませてやっていたのだ。

 それも……頭から。


 ──なななななななにやってんだよ、アイツっ?


「てめぇえええっ!

 何しやがるっ!」


 リスが目を見開くその前で……当然のように激昂したそのおっさんは、生意気なその餓鬼……セブンスに掴みかかる。

 だが、『学園最強』と名高いセブンスは、リスの太ももよりもまだ太い、その腕をあっさりと躱すと……


「勇者ガルキスだな。

 表に出な」


 と、親指で店の玄関を指差す。


「おもしれぇな、餓鬼が。

 ……この俺に喧嘩を売るかっ!」


 その髭面のおっさんも、腕に自信があったのだろう。

 もしくは傲岸極まりない学生を、自分の手で叩きのめせる機会を逃したくなかったのかもしれない。

 勇者ガルキスは傍らの長剣を手に取ると……獰猛に笑いながら、セブンスに続いて歩き始める。

 セブンスの話が正しければ、そのおっさんは勇者を名乗る……即ち、迷宮を制覇する類の、しかも実績を上げている人間なのだ。

 そりゃ、学生に負けない自信くらい、あるのだろう。

 実際、近衛騎士団長や義父を見慣れたリスの目から見ても……そのおっさんは、かなり『出来る』人間だった。


「……どうするのよ、これ」


 そうして、リスが事態の推移を理解しきる前に。

 二人は、『正義の迷路』亭の正面で向き合っていた。




「俺を倒して名を上げようって腹か。

 餓鬼が考えそうなことだ」


 長剣を抜き放ったガルキスは、ゆらりと長剣を構える。

 その姿勢は隙だらけに見えるが……意外に隙はない。

 さっきまで真っ赤な顔をしていた癖に、既に酔っ払いであるという片鱗すら窺えない。

 それどころか、目の前にいるセブンスを「餓鬼」と貶している癖に、その実、全く油断していないのだ。


 ──伊達に、勇者を名乗ってない、か。


 眼前の勇者と同じように剣を鞘から抜いて構えつつ……セブンスは内心で舌打ちをしていた。

 たかが若造、たかが餓鬼と思ってくれれば、その隙に有無も言わさずに叩きのめすつもりだったのだが……


 ──当てが外れた、な。


 わざわざ「学生です」と見せつけるために、身バレする危険を冒してまで学園の制服を着て来たのだが……

 ……セブンスは自身の考えが余ったことを認めざるを得なかった。

 ついでに言えば、勇者の手にしている長剣は聖剣という奴だった。

 聖剣の中では下に位置する程度のレベルだが……それでも悪魔相手には凄まじい威力を発揮する武器である。

 何しろ、悪魔が聖剣で傷つけられると、治癒魔術ではその傷を癒せないのだから。

 勿論、普通の切れ味も凄まじく、人間くらいなら焼きたてのパンみたいに簡単に切断してしまうだろう。


 ──だけど。


 それでもセブンスは負けるつもりはない。

 そして、こうなればこうなったで対処する策は考えてあった。

 少しだけ怯えた雰囲気を装いつつ、周囲を見渡す。

 その一瞬の間に、野次馬の中にソレっぽい人間が……ひの、ふの、最低でも三人はいるのを確認し終えていた。


「……どうした? 

 いざ真剣を向けられたら、あっさりと臆病風に吹かれ、逃げる算段でもつけてるのか? 

 ええ?」


 そんなセブンスの様子を勘違いしたガルキスは、ニヤニヤした厭味ったらしい笑みを浮かべている。

 だが、セブンスはそんな挑発を気にもせず……

 剣に添えているだけだった左手を、とある順番で、複雑な形に組み合わせた。



 

「……俺の、倍率を、上げろ?」


 リスは、セブンスの籠手に覆われた左手の動きが、そう動いたのを、信じられない思いで眺めていた。


 ──王国に仕える密偵の、符丁だぞ、それっ!


 普通の学生は知るはずもない。

 ……いや、実際のところ、密偵の符丁といっても魔王に王都が支配されている時に使われた、ちょいと昔の暗号ではある。

 確かに、現在使われている部外秘を言明されている符丁とは違い……知っていてもそれほど不思議はないのだが。

 少なくとも、貴族育ちのお坊ちゃまが知っているような暗号じゃないのだ。


 ──私の存在に気付いている、訳じゃない、みたいだけど……


 セブンスのその符丁は彼女へと向けられているものではなく、彼らの騒ぎに集まった野次馬連中の……その中の不特定な誰かに向けれていて。

 上手く行けば儲けもの、という程度で使っているのだろう。


 ──しゃーない。

 ──動いてやる、か。


 ともあれ、少なくともリスは、彼が何を言いたいかは分かった。

 ……彼が何を企んでいるのかは、今一つ見えないままだったものの。


「おいおい。

 ありゃ、聖騎士学園の学生じゃないか」


 だから、リスは大げさな口ぶりで声をあげる。

 周囲の連中に聞こえるように、少し咽喉を細工して。


「あ? 

 ……あのろくに剣も振るえないボンボンどもか?」


「ああ。

 貴族の坊ちゃんの道楽だよ」


 近くにいた男がすぐさまリスの声に追従する。

 ……彼もさっきの符丁を読み取ったのだろうか?


「何だ、勇者が負けるはずないじゃないか」


「と言うか、負けたら自殺ものだろ、そりゃ」


「往来歩けねぇな」


 リスが流した情報は、あっさりと周囲に広がっていた。

 既にセブンスの勝利を信じている人間はいないだろう。

 実際、二人を取り巻いている野次馬が賭ける賭けないのやり取りをしているが、二人とも勇者の勝ちに賭けるため、賭けになってないようだ。


「よぉ、嬢ちゃん。

 あんたも賭けるか?」


 リスの近くにいた酔っ払いが、声をかけてくる。

 リスは少しだけ考え込んむふりを見せた後……懐から銀貨を一枚取り出し、自分が勝つと思える方に賭けた。


「ああ。私は、学生に銀貨一つ」


「お。

 あんた、かわいい顔して、意外に大穴狙いだな」


「……単に面食いかもしれねぇけどな」


「ひゃははっ!

 違いないっ!

 あの学生、なかなか良い面してるからなっ!」


 そんな野次が飛び交う内に、そろそろ周囲の賭けも決まったようだ。

 セブンスの符丁を読み取った誰か……密偵の心得のある連中が賭けを取り仕切ったのかもしれない。

 リスは今日のところ賭け自体には関心がなかったから、王国が禁止している筈の賭博を仕切った胴元を捜したりはしなかったが。

 そして、周囲の関心が賭け金と掛け率から、二人の決着に移った頃。

 それを待っていたかのように、二人は同時に動き。


「……おいおいおいっ!」


 目の前に広がった『あり得ない光景』に、野次馬たちの誰もそんな悲鳴とも叫びともつかぬ声を上げていたのだった。


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