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 午前中は大学に行くと話していたお兄ちゃんに、理由は会って話すからと言って三者面談の時間の変更を伝えた。するとお兄ちゃんが、それならランチでも一緒に食べるかと言ったので、私たちは陽だまり庵で待ち合わせることになった。

 私を心配したマナちゃんたちもついて来てくれたから、三人で陽だまり庵に向かう。店内に入ると、すぐにカウンターにいたマコさんが出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」


 マコさんが通してくれたのは、前に皇雅さんと一緒にランチを食べた席だった。テーブルの周りに観葉植物が壁になるように置かれていて、周りから見えない作りになっている。

 席には、先に着いていたお兄ちゃんが座っていた。


「お兄ちゃん」

「雪菜っ!」


 携帯の画面を睨むように見つめていたお兄ちゃんが、私の呼びかけに勢いよく顔を上げる。そして席を立つと私をぎゅっと抱きしめた。


「お、お兄ちゃんっ」

「雪菜、大丈夫か?」

「……うん。聞いたんだね、心配かけてごめん」

「今、担任の先生から連絡が来た」

「そっか」


 腕の力を弱めたお兄ちゃんを見上げると、その顔はとても辛そうに歪んでいた。


「あの人……来るかな?」

「先生は来ると言っていた」

「そうなんだ」


 思い出すように閉じた目蓋の裏に浮かぶその顔は、いつだって泣き叫ぶあの人の表情(かお)


 ……できれば……お祖母さんの話を聞くまで、会いたくなかったな。


 気持ちを切り替えるように頭を振ると、お兄ちゃんやマナちゃんたちに取り合えず座ろうと提案した。




 飲み物だけ頼むと、お兄ちゃんにHRに持ち物検査があった事。先生と一緒に職員室に行って、そこで先生が煙草は私のじゃないってわかってくれたこと。その時に美也ちゃんたちが私の鞄に煙草を入れたクラスメイトを連れてきてくれたこと。そしてそのクラスメイトたちの話から、茜の名前が出てきたことを話した。


「真奈美、朱崎さん。ありがとう」

「んー、ぶっちゃけ私は出番がなかったんだよね。美也が茂木を締め上げて認めさせたから」

「締め上げた?」


 マナちゃんがなんでもないように言った言葉に、お兄ちゃんの眉間のしわが増えた。お兄ちゃんが説明を求めるように美也ちゃんを見ると、彼女は手をパタパタと振りながら答える。


「真奈美が大げさなんです。私はただ、ユッキーが教室を出て行った後に、ニヤニヤしながら話していた彼らが気になって、ちょっと廊下で話しただけで」


 苦笑しながら話す美也ちゃんに、お兄ちゃんが頭を下げた。


「女の子が男子相手に……怖かっただろう。雪菜のために本当にありがとう」

「そんな、本当にたいしたことなかったんで」

「春樹さん騙されてるよ。美也ってば本当に茂木のことを物理的に締め上げてたんだから」

「真奈美、その言い方じゃ聞く人によっては誤解を与える」

「お兄さん私は気にしないんで」

「ちょっ、美也!?」

「真奈美もありがとうな」

「うん……って、話を終わらせないでっ」


 マナちゃんが美也ちゃんに文句を言っているけど、美也ちゃんは「まぁまぁ落ち着いて」と笑ってマナちゃんの肩を叩いていた。

 マナちゃんは嘘をつかないけど、ふざけてしまってお兄ちゃんを怒らせることは多いからなぁ。

 実際にその場を見ていない私じゃ何も言えないし。ごめん、マナちゃん。


 茂木君たちは、茜の気をひく為にしたことだったそうだ。私が原因で、山田君と別れるしかなかったと泣く茜に、それなら自分が執り成してやるよと話しているうちに、何故かああいうことになっていたらしい。


 私たちの話を聞いたお兄ちゃんは、一度きつく目を閉じた。


「だいたいわかった。雪菜、先生の話では18時半に学校に来てほしいということだったから、昼を食べたら一度家に帰ろう」

「うん」

「真奈美たちも好きな物を食べてくれ。今日は俺が奢る」


 お兄ちゃんの言葉を聞いて、プルプルの唇を尖らせていたマナちゃんの目が一瞬で輝く。


「何個でもいい!?」

「ああ、腹いっぱい食べろ」

「やったぁ!」


 すっかり機嫌を直したマナちゃんは、オーダーを聞きにきたマコさんにメニューを広げ、こっからここまでくださいと食事メニューを全部指差した。

 それを見たお兄ちゃんは、テーブルの下でこっそり……お財布の中身を確認していたのだった。



 夜に電話するねと約束してマナちゃんたちと別れると、お兄ちゃんと家に帰った。

 お兄ちゃんには少し部屋で休んでなと言われたけど、何だか落ち着かなくてベッドの上をゴロゴロ転がってみる。

 壁時計をちらっと見て確認したら、まだ15時を過ぎたくらい。当然、皇雅さんは仕事中だ。

 それはわかっているんだけど、どうしても我慢できなくて、これから学校で母に会うことになったとメールで伝えた。

 返事は来なかったけど、それはしょうがない。正直にいえば、もし時間があって声を聞かせてくれたら……なんて期待していたけど。

 でも皇雅さんに伝えるだけで、さっきまでより少し気持ちが落ち着いた気がした。

 仰向けで目を閉じて、一つ一つ確認するかのように思い出す。

 背中で揺れる赤茶色の髪や、パッチリした二重、小さな鼻など……血の繋がりが一目でわかるほど、あの人と茜は似ている。

 ただあの人は病的なまでに肌が白かった。体もほっそりしていて、あの人が好んでいつも着ていた白系のワンピースが、更にそれを際立たせていた。

 澤木亜紀子――私の母。

 ドクドク大きく跳ねる鼓動。

 昔からあの人の事を考えるだけで、何かが込み上げてくる。これは……恐怖なんだろうか? 


 胸を押さえるように両手を当てると、私はお兄ちゃんに呼ばれるまで、ジッと自分の鼓動を聞いていた。






 そろそろ家を出ようか?

 リビングでお兄ちゃんとそんな話をしている時に、玄関のチャイムが鳴った。ソファに座っているお兄ちゃんを制して、私がインターフォンに応答する。

 そして小さな画面に写るその人の顔を見た瞬間。私は玄関に駆け出していた。




「皇雅さんっ!」


 勢いよく開けたドアの向こうには、微笑みながら立っている皇雅さんがいる。


「どうしたんですか!?」

「君に会いに来た」

「へ?」

「そんなに見開くと、零れ落ちてしまいそうだな」


 そっとのばされた手に頬を包まれると、親指で目尻をなぞられた。


「皇雅さん」

「ん?」

「皇雅さん」

「ふふっ、どうした?」

「皇雅さんっ!」


 勢いよく胸の中に飛びついた私を、皇雅さんは温かい腕で抱きとめてくれた。




 目をつぶり規則正しい彼の心音を聞いていると、ふいにとってもよく知っている声が聞こえてきた。


「そろそろマンションを出発しないと、まずいのではないでしょうか」


 その声にパチッと目を開けると、慌てて皇雅さんから距離をとる。そして彼の後ろに視線を向けると、予想通りの人を発見した。

 私と目が合ったマコさんは、ニッコリ微笑む。


「ま、ま、ま」

「こんばんは、雪菜ちゃん。僕の車で送っていきますから、春樹を呼んでもらえますか?」

「は、はははははいぃーーーっ!」


 全速力でお兄ちゃんを呼びに走る私の背後で、皇雅さんが不機嫌そうにマコさんの名前を呼んでいるのが聞こえた。




 焦っていた時は不思議に思わなかったけど、送っていくってどういうこと? 

 私の疑問は、同じように疑問に思ったお兄ちゃんが聞いてくれた。


「送るというのは雪菜の高校へですか? どうして店長たちが?」

「本当は皇雅さんが一人で行くと言っていたんですけど、そろそろ面倒なことは片付けたいなと思ったので、僕もついてきました」

「いや、あのこれは家族の問題で――」

「ええ。でも車で行ったほうが楽でしょう?」

「それは、まぁ」

「時間に遅れるわけにいきませんし、さ、行きましょうか」

「は、はい」


 取りあえずは学校に向かうことにしたお兄ちゃんが「送ってもらおう」と決めたので、私もマコさんの後についていく。

 マンションの駐車場に停まっていたのは紺の乗用車だった。私は皇雅さんと一緒に後部座席に乗り込む。

 助手席に乗ったお兄ちゃんとマコさんが話している内容も気になるけど、まずはと皇雅さんに小声で謝った。


「皇雅さん、ごめんなさい」

「何がだ?」

「私があんなメールを送ったから、来てくれたんですよね?」

「違うな、私はいつだって君に会いたい。あのメールは数馬へのいい口実になっただけだ」

「皇雅さん」

「本当は雪菜を連れて行きたくないが、それじゃあ君はいつまでもあの者たちに囚われたままだろう。…………」

「皇雅さん?」


 最後に呟く様に言われた言葉が聞き取れなくて名前を呼ぶと、皇雅さんはそれ以上は何も言わずに、笑って手をつないでくれた。彼と手を繋いだところから、身体中にポカポカしたものが流れていくみたい。

 まるで私を励ましてくれているかのようなその温かさに、少しの間、私は体から力を抜くことが出来たのだった。






 先生に呼び出された場所は校長室だった。

 駐車場で皇雅さんたちと別れて、お兄ちゃんと二人で校舎の中を無言で進む。暫くして校長室のドアの前に来ると、お兄ちゃんが足を止め、私は大きく深呼吸をした。

 初めて入る場所に、緊張が増していく。

 今も学校の駐車場では、皇雅さんとマコさんが私達を待っていてくれる。それがとても心強かった。

 お兄ちゃんは私を一度振り返ると、校長室のドアをノックする。

 一歩中に入ったお兄ちゃんに、すぐさま駆け寄る人がいた。


「春樹っ!! 春樹、元気でしたか? ああ……また背が伸びたかしら? 学校はどうです。無理はしていない?」

「……」

「夕食はまだでしょう? 春樹の好きなお寿司屋さんを予約してあるの。帰りに三人で行きましょう」

「……すみませんが、手を離してもらえますか」

「春樹……」 


 自分の腕に縋るように添えられていた手を掴むと、お兄ちゃんはそっとその手を離して一歩進む。

 そして中にいた田所先生と茜の担任の佐藤先生、そして校長先生にお辞儀した。


「澤木春樹です。この度は妹たちがご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「あ……あぁ、いえ、こちらこそ急な時間変更に応じていただいて。私が雪菜さんの担任の田所です。校長と、こちらの女性は茜さんの担任の佐藤です。どうぞお掛けください」

「ありがとうございます、失礼します。……おいで雪菜」

「失礼します」


 軽く頭を下げながら校長室に入り、お兄ちゃんの隣のソファに座る。

 校長先生は自分の机の向こうに座っていて、田所先生たちは校長先生の机の前に立っていた。

 先生たちの前にある大きなテーブルを挟むように置いてあるソファに、私とお兄ちゃん、茜と母が座る。

 その様子に、先生たちが困惑しているのが表情でわかった。

 きっとどちらか片側に並んで座り、もう片方に先生たちが座るのが正解だったんだろう。

 何か言おうとした佐藤先生を制して、田所先生が立ったまま話始めた。


「お電話でも説明しましたが、今日のHRに行った持ち物検査で、雪菜さんの鞄の中からこれが出てきました」


 田所先生はお兄ちゃん達に見えるように、テーブルの上に煙草の箱を置く。


「本人は自分の物ではないと言っていますし、私も雪菜さんの物ではないだろうと思っています」

「田所先生、ですがっ」

「佐藤先生、まずは私が話すから待っていなさい」

「待てません! だって田所先生は勇気を振り絞って私に相談した彼女が嘘をついていると言っているのも同然なんですよ!?」

「誰の言葉が正しいのかを、ちゃんと判断するためにみなさんに来てもらっているんだ。いいから君は少し落ち着きなさい」

「でも先生の態度はそういってないじゃないですか!」


 興奮気味に大きな声で叫ぶ佐藤先生に、厳しい表情で田所先生が何度も落ち着くように話していた。

 私は佐藤先生の授業を受けたことがないけど、英語の担当で確か二十代だったはず。生徒との距離が近くて、あだ名で呼ばれたり友達感覚で接してくれる人気のある先生らしいと聞いたことがある。

 先生たちを校長先生が止めているけど、それで更に佐藤先生が興奮してしまった。

 一体どうなってるんだろう?

 私が困惑していると、「少しよろしいですか」とお兄ちゃんが先生達に声をかけた。


「申し訳ない。どうぞ」


 それを聞いて、すまなそうに田所先生がお兄ちゃんに先を促す。


「間違っていたら訂正してください。佐藤先生は以前から茜に家族の事を相談されていましたか?」

「え、ええ」

「そして最近、雪菜が煙草を吸っているようだと言われた」

「……そうです。茜さんは例え自分を蔑む姉でも、見つかって大変なことになる前に止めさせたいと、泣きながら私にあなたの事を相談したのよ」


 途中でお兄ちゃんから私へ視線を移した佐藤先生が、きつい眼差しで続ける。


「小さい頃からの澤木さんの行いは、私個人としてはとても許せるものではありません。でもね、茜さんはそれでも貴女との仲を修復したいと願っているの。家族じゃない。貴女はお姉さんじゃないの。どうしてこんなに想ってくれる妹の悪い噂を流したりするのっ」

「佐藤先生、それこそ何の確認も取れていない話だろう」

「田所先生っ、ですが実際に噂が一年生に拡がっているんです!」

「だからそれを言ったのが澤木かは分からないと言ってるんだっ。佐藤先生、いい加減にしなさい!」


 田所先生に叱られた佐藤先生が、ビクッと体を揺らして口をつぐむ。

 静まりかえった部屋のなか、急に茜の泣き声が聞こえてきた。みんなの視線を集める茜は、体を折り曲げ膝に顔を着けるようにして泣いている。

 その姿に隣に座っていた母が狼狽えていた。


「まぁ茜ちゃん、どうしたの? 先生方の声に驚いてしまったのかしら。先生、先程から何か仰られているけれど、確か今日呼ばれたのはそこのが何か問題を起こしたからですよね? それならばどうぞご自由に処罰していただいて結構ですよ」

「母さん!」

「お母さん、問題をおこしたのは雪菜さんと決まったわけではないんです。申し訳ない。こちらもきちんと準備をする予定だったのですが……」

「いいえ先生。こうして春樹にいらない苦労をさせて、茜ちゃんを泣かせているんですもの。いい機会です。それはこの学校をやめさせて、何処か遠くに出します。いい加減、春樹の負担を取り除いてあげまなくては」

「勝手なことを言うなよ!」


 勢いよく立ち上がるお兄ちゃんを、母は微笑んで見上げる。


「春樹は優しすぎるのです。もう荷物を捨てて帰ってらっしゃい。貴方の本当の家族は私たちでしょう?」

「本当の家族だって? ……もう……とっくに、貴女の中に、俺達の母さんはいなかったんだな……」

「春樹?」


 真っ赤な瞳で暫く母を見つめていたお兄ちゃんは、身体中の空気を吐き出すようにしながらソファに座る。

 そして隣にいる私の、膝の上にある二つの拳を包むように握った。お兄ちゃんに触れられたことで、はじめて自分が握りしめていた両手が震えていたことに気づく。

 一度私に視線を向けたあと、お兄ちゃんが茜に声をかけた。


「茜、俺からの最後のお願いだ。本当の事を正直に話してくれ」


 お兄ちゃんの声に顔をあげた茜は、涙を流しながら訴えた。


「お姉ちゃんは私が隆くんを奪ったって言って、いろんな人に私の事ビッチとか酷いこと言いふらしたんだよっ! 今の彼氏にも言い寄ってくるとか、隆くんのことを物扱いしてるとかっ! この前なんて、早く隆くんと別れなきゃ、もっと酷いことを言いふらすって脅したし!」

「……それで?」

「それでって……そ、それに自分のクラスメイトに体を使って、私の事陥れようとした!」

「流石にそれは無理があるだろう」


 ボソッと呟いた校長先生の視線が、私の胸元を見ている気がする。

 いいでしょう、校長先生。

 その喧嘩、全力で買いますよ。

 明日マナちゃん達に、前から気になってた校長先生のズラ疑惑は本当だったと言っちゃうから!


 お兄ちゃんが茜に何か言おうとするのと同時に、校長室のドアがノックされた。

 訝しげに校長先生が応えると、ドアを開けて入ってきたのは、駐車場にいるはずの皇雅さんとマコさんだった。

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